第21話「一触即発」
なんとなく暇だったから、誘われるがまま来たお店で、
「……こんばんは」
まさかの、再会。
仕事終わりなんだろう日暮さんはスーツ姿で、いかにも真面目そうな格好を目にした南未が「瑞月好みの女じゃん」と耳打ちしてきた。
好みも何も、ドンピシャ。大好きで仕方のない相手、ということはあけすけにできないから、黙っておく。
前回同様、さり気なく隣へ座らせて、口実に奢って乾杯。お友達ふたりも、律儀にこちら側へ来てお礼を伝えてくれた。
「どうして、今日はここに?」
もはや、定番の確認。
「……瑞月さんが、いるかと思って」
「え……」
前回と違う返しには、呼吸を止めた。
まるで、“会いに来た”と言わんばかりの微笑で見つめられ、照れるを通り越して脳機能が鈍くなる。
——こんなにも、直接的な言い回しするタイプだったかな。
「私からも、ご馳走させてください」
「え、えぇ〜……いいの?」
「はい。お返し」
奢り返してくれるのは解釈一致だけど、お茶目にグラスで乾杯してるし、今日の日暮さんはなんか……メロい。普段ない色気というか、なんというか。
「あ……でも、飲みすぎたら帰れなくなっちゃう」
「何か、問題でも?」
「え?だって」
「酔っても私が介抱しますから。瑞月さんは、安心して楽しんでください」
「えー……」
なにそれ。優しい。すき。というか、今さらだけど名前呼び嬉しい。
仕事中とはまた違う雰囲気に酔いしれて、肩に頭とか乗せちゃおうとか調子に乗りかけて。
「ふぅーん……?」
“めっちゃ面白そうなもの”を見つけた時の、南未の意地悪な笑顔が視界に入って、やめた。そういえば、ふたりきりじゃないんだった。
相手も連れがいて気まずいのは避けたいだろうから、ここは我慢。
お店を出る時に、こっそり二軒目誘っちゃおう。
それで、その後は——
『ほら。目閉じて、瑞月……』
赤らんだ顔が、お酒の表面に揺れる。カラリ、と音を鳴らした氷によって、かき消されてしまったけど。
強気で攻めてくるなんて、日暮さんのキャラじゃないって分かってても、映像が浮かぶ。そして、心臓へ幸せという名の鼓動を運ぶ。
も、もし。
妄想じゃなくて、現実になったら、私は。
「ん……?」
隣にいる大好きでやまない人を見上げたら、こちらの視線に気が付いてくれて、瞳の形が穏やかに細まった。
余裕ある表情が、胸に突き刺さる。気持ちのいい痛みが、チクンと。
「少し、ペースが早くないですか」
熱くなった頬に、冷たい手の甲が触れる。
酔っちゃった、って。かわいこぶって甘えたいのに、アホみたいに口元を緩くして言葉を失うだけで、見入っちゃって何もできない。
日暮さんは私の体調を心配してか、ママに向かってお水を頼んでいた。南未とお友達ふたりが何か話してるのに、内容はまるで脳を通過しない。
五感の全て、彼女ひとりで埋まる。
「飲めますか」
「……のめない」
差し出された透明を、受け取りながら断る。すると、狙い通り手のひらで包み込まれて、“仕方のない人ですね”という眉の形を視界が捉えた。
唇の位置を確認した親指はあっさり離れて、次に当てられたのは冷たいガラスの感触。
「……飲んで」
零さないように、濡らさないように。ひとつひとつの動作には配慮が散りばめられていて、真剣な眼差しの奥には慈愛が含まれていた。
——キスしたい。
今、塞いでいるのが唇だったら良かったのに。
唾液さえも飲み込みたいと願ってしまう変態な思考を知りもせず、日暮さんは無自覚に甘い親切を振りまく。
胃に落ちた水でさえ、はちみつのように感じた。
「……いいねぇ」
見つめ合っていたふたりきりの世界を邪魔したのは、言わずもがな。
「女の夜は、こうでなくちゃね?」
カラカラ、喉が鳴る。その手元にあるコップからも、似たような溶けた氷の音がした。
私を挟んで目を合わせた日暮さんと南未は、お互いニッコリ笑顔を貼り付けて、しばらく言葉も交わさず。
「面白いね。君、名前は?」
「……以前、紹介したはずですが」
「ごめんごめん。酒の席は、忘れっぽくてさ」
「祥子です。あなたは?」
「南未だよ。よろしくね」
最後には握手もしてたから、一触即発な雰囲気は気のせいだったかも。
「この子、ほんとお酒弱いからさ」
「……そうなんですか」
「あんまり、酔わせないでやってよ」
するりと馴れ馴れしい手がお腹に回って、抱き寄せられると同時に、日暮さんの眉が一瞬だけピクリと跳ねた。
口角は、上がったまま。
私が他の体温に触れても、微動だにしない笑みを保った彼女は、脈をまるで感じさせない。
「ふ、は。いいね」
拗ねた私の耳に届くのは、南未のからかうような笑い声とアルコールを喉に通す爽快さ。
「恋しちゃってる目だ?」
いったい、誰に向けての言葉なのか。
「ね?瑞月ちゃん」
私の顔を覗き込んで笑う悪魔に、ため息が漏れた。この女は、まったく。人の真剣な恋を楽しむなんて、どうかしてる。
「……帰ります」
「えっ。どしたん、祥子」
「飼っている多肉植物の水やりを忘れていました」
「はっ……?」
お札を数枚置いて、脈絡もなく鞄を持った日暮さんは、引き止める隙もなくお店を出て行った。
突然のことに固まる周囲の人間の中には私も入っていて、お友達のひとりが「多肉植物って、飼うもんなの?」と隣の女の子に質問を投げていた。
南未だけが、笑いを堪えて肩を震わす。
「っはぁー。おもろ。……てか、瑞月。いいの?」
「なにが……?」
「追いかけなくて」
それが、彼女なりのお節介だ、と。
すんなり受け入れられたのは、長年の付き合いがあるからで。
そうでなければ、ぶん殴ってた。




