第17話「これって、好きなの」
ひとりの、人間として。
上下関係を脇に置いてくれた寛容さに頭が上がらない思いで、目頭に熱を持たせた。やはり、この人は心から尊敬できる女性だ。
なのに。
『日暮さん……』
脳を満たすのは、ふたりベッドに沈んだあの日の記憶ばかり。
情欲に近しい激動が心臓へ訪れると、成す術もなく妄想の世界で灰原さんの服を脱がせようと思考が働く。現実で目の当たりにした胸元の光景が、ぐわりと広がって鼓動の源を掴む。
恋愛に肉欲は付き物だと聞くが、それにしたってひどい。
まるで、ケダモノじゃない。
「日暮さん……?」
相手は純粋に、真剣に悩みを受け止めようとしてくれる心優しい人だというのに。
私は——
「——上司を、エロい目で見てる?」
「うん……」
夜。
ひとりで抱えるには知識も心の整理も追いつかなくて、友人を頼った。
竹本は恋人とデートがあるとかで来れず、急遽呼び出したというのに美笠は快くふたつ返事で駆けつけてくれた。
実家暮らしの私の部屋で、冷蔵庫に余っていたお酒とおつまみを許可を得て拝借し、乾杯をして、話はウジウジした私の恋愛相談へ。
「それって、好きなんじゃないの?」
「……これって、好きなの?」
「私は女の人好きになったことないから、分かんないけど。触りたくなるんでしょ?」
「うーん……」
触りたいと言えば、触りたい。
けど、同時に“触れない”や“触ってはいけない”という真逆の制御本能も湧く。
大切にしたいと言えば聞こえはいいが、実際は臆病なだけ。触れたらどうなってしまうのか、恐ろしいのだ。
美笠は恋愛も性愛も対象が男性で、彼氏とは肉体的に交じりたいと願うよりも安心感を得たいだったり、そばにいたいという心の繋がりを大切にする性格。故に、今回ばかりはふたりで悩んだ。
「こんな時、竹本がいたらねぇ……」
「……そうだね」
「でもわたし、恋心に男も女もないと思うの」
「いいこと言う」
「でしょ?だから、祥子が恋と感じるなら恋なんだよ」
私が、そう感じるなら。
「恋と呼ぶには、性欲が先行しすぎてる気がする」
「それだけ、相手の女性が魅力的ってことじゃないの?」
「そうなのかな」
「そうだよ。あれだけ恋愛に興味なかった祥子を目覚めさせるくらいだもん。とても、素敵な人なんでしょ?」
異論は、ない。
灰原さんは、確かに魅力的だ。性的な魅力だけではなく、人間的にも惹かれるところがたくさんある。
だからこそ、怖気づくのだ。
「仮にこの気持ちが恋だとして……」
「うん」
「私なんか、眼中にもないよ」
だって、彼女からすれば私は社会人になって一年も経ってない、未熟者。職場での迷惑はもちろん、ここ最近は何かと変なことを口走りがちで、負担をかけているかもしれない。
幸い、同性愛者であることからチャンスがゼロではないものの、とても振り向いてもらえる気がしなかった。
「なんで後ろ向きなの〜。祥子も素敵だよ?」
「あの人の足元にも、及ばないよ」
「もう。崇拝しすぎ。相手も人間なんだから、平気だって」
分かってる。
自分に、極端に自信がないわけじゃない。ただ、私が灰原さんを尊敬しすぎて、おこがましいかもと畏怖の念を抱いているだけ。
それに。
「こんな気持ち、初めてで……」
どう処理していいか、分からない。
「え〜。かわいい〜。恋しちゃってるんだ?祥子」
からかって頭を撫でてきた美笠には一瞥を返して、赤く染まった顔を隠すため曲げた膝へ額をつけた。
二十三歳。冬の始まり。
人生初の恋をした。
「——出張、ですか」
「ええ」
そして。
「岩村さんとね、ふたりで」
幸先悪く、おそらく恋敵である男性社員——岩村さんの研修も兼ねた出張があると、灰原さん本人から知らされた。
男性と恋に落ちることはないだろうから、そこの心配は毛頭ない。
けど。
「……灰原さん」
相手はどうか信用できない以上、
「お酒の飲み過ぎには、気を付けてくださいね」
「?……うん」
忠告してしまった。余計なお世話と、自覚していても。




