第11話「独身のままで」
灰原さんは、仕事で詰まると足を組む癖がある。
肘はデスクに乗せ、手のひらには顎が乗り、眉間には悩ましくシワが寄る。喉からは、「うーん……」と鼻から抜けるような声が漏れていた。
問題なのは、お御足。
僭越ながら「露出を控えてほしい」などと頼んでみた結果、黒タイツで予防してくれた、風通しのいい上司である灰原さん。
だけど、“タイツを履いてるから大丈夫”という安心感が働いてしまったせいか、逆にいやらしいことに。スカートが捲れて、太ももまで露わになってます。
「んー……」
やんわり、伝えるべきか否か。
「う、うーん……」
仕事関連で悩む上司の横で、仕事以外の要因で頭を抱える部下の私は、決して人のことを言えるような立場じゃない。
が。
「灰原さん。少しいいですか〜」
「ええ。大丈夫よ」
男性社員の登場により、懸念は現実となりそうで。
思わず間に割って入ろうとするくらい焦った私とは裏腹に、動じることなく絡んでいた足を解いて応対した灰原さんを、横目で見守る。
「ここで平気?」
「できたら、別の場所で……」
「そう。じゃあ、移動しましょ?」
え。
大丈夫なのかと立ち上がりそうになったものの、冷静になればふたりきりで会議室等を使う場合は、扉の開放を義務付けられているため何も心配はいらない。
セクハラや、その他犯罪を防止するルールが設けられているというのに、反射的に引き止めるところだった。
なぜか切迫する心を諌めて、パソコンの画面へ意識を向けた。その間に、ふたつの背中は視界から消えていく。
「——助かりました」
「ふふ、いいのよ」
「お礼に、今日のランチ……」
「気にしないで。あなたをサポートするのも、仕事のうちだから」
気が気じゃないまま、十数分。
しばらくして和やかな雰囲気で戻ってきた会話に、耳を傾ける。どうやら、男性社員が「ランチが無理なら夜に飲みに」と、あの手この手で誘っているようだ。
明らかな好意を感じ取り、灰原さんの対応が気になっていく一方で。
「いやでも、僕……個人的に相談したいことがあって」
「相談があるなら、勤務中にお願い。仕事以外の相談は、ごめんなさい。私は受け付けてないの」
こちらの不相応な心配を知ってか知らずか彼女は、だから他の上司を頼ってね、と暗に伝え「それじゃあ、よろしく」——気持ちいいくらいきっぱり断り、切り上げていた。
そこまでされて食い下がるわけにもいかなかったんだろう、おとなしく引き下がってくれた男性社員にも安堵して、キーボードを叩く。
灰原さんはけっこう、公私の区別がちゃんとしている。尊敬できる、素敵な人だ。
だから安心でもあり、
「日暮さん……お昼は、どうする?」
「ん。どうしましょうね、考えてなかったです」
「よかったら、その。一緒に……」
「もちろん。私でよければ、ぜひ」
ランチのお誘いも、それを受け入れた時も、業務中には絶対にしないひどく照れた顔をするから。
私相手には、素に近い状態を見せてくれていることが、疑問でもあり嬉しくもあり。
「日暮さん、趣味は?」
最近はプライベートに踏み込むような質問も増えてきて、ますます心の距離は近付いている実感はあって。
「私は読書と……貯金です」
「わ。堅実なのね。投資とかもするの?」
「少し。けど、そこまでは……」
普段、友達には話さない密かな楽しみを話したりも、した。
口座の数字が増えていく喜びを毎月噛み締めたくて、ケチと思われるかもしれないが出来るだけ財布の紐を緩めたくないこととか。
資産運用を程々にしているのは、
「今のところ……子供とかパートナーとか。残す相手もいないので、身に余るお金はいらないかなって」
使いきれるくらいの資産で、人生を目一杯楽しみたいから、とか。
家族や友人にも使いつつ、最後には好きな本に囲まれて死ぬのが夢だ、みたいな。
ちょっとだけ、自分の人生観についても話した。
「すごい……よく考えてるのね」
「や、そんな。将来設計や日々の積み重ねが、好きなだけで」
友達には稀に、「楽しいの?」や「つまらなくない?」と言われたりもするけど。
自分で決めた道をコツコツ進んでいく、小さな目標の石を拾って歩くような達成感が得られると、それだけで人生が充実した気分になるから良い。安心も得られる。
灰原さんも似たような感覚を持っていたらしく、「私も貯金は好き」と微笑みかけてくれた。
「私の場合は、好みの相手が女性だから……結婚もできないじゃない?」
「あ……そういえば、そうでしたね」
「安定を取るのに、自分のキャリアを積まなきゃいけないから。必然的にね」
同性婚がない現代、そういった悩みもあるんだと。
儚く笑う灰原さんを前に、世知辛さを痛感した。
「死ぬまで一緒にいてくれる人が、いたらいいんだけど」
——見つかりますよ、きっと。
男女なんて関係なく魅了してしまう彼女なら、大丈夫。頭では、前向きな言葉が流れていたのに。
「独身でいるうちは、ぜひ。私とも仲良くしてください」
どうせ、私も独り身ですから。
「話し相手くらいには、なれると思います」
なんて。
耳障りがいいフリをして、「だから、私がいるから焦って見つけなくていいよ」と含ませた呪いの言葉を吐いてしまった。
裏に潜んだ歪みに気付いたのか、否か。
「……そうね」
強がるみたいな笑顔の中に、悲しみが混ざっていた。




