第10話「ご、ごめんなさい……」
友達もいる手前、お持ち帰りするわけにもいかず。
「それじゃあ、また」
「……うん。またね、日……祥子さん」
わいわい飲み交わした夜は、あっという間に終わりを告げた。
別れ際、日暮さんは手を振ってくれて、私も照れながら振り返した。プライベートの彼女は、良い意味で期待を裏切る人当たりの良さで。
「あ。連絡先、聞くの忘れた……」
「おっ。早くも、次の恋?」
「う、うぅん」
南未は片思いの相手が日暮さんって知らないから、私が乗り換えたように映ったんだろうけど。
知ったら知ったでからかわれそうだし、黙っておこ。
そんなことより、彼女に同性が恋愛対象だとカミングアウトできたのは、大きい。これを期に、意識してもらえるかも。
となれば、今まで以上にアピールするだけ……!
「おはよう!日暮さん」
「おはようございます、灰原さ……ん」
気合を入れて、お化粧も服装もバッチリ決め込んだ翌日の朝。
一瞬、面食らったと思ったら、
「涼しそうですね。外、暑かったんですか?」
「ええ。まあ……」
「残暑ですからね」
微笑みながら立ち上がって、不意に背もたれにかけていた膝掛けを持った。
どうしたんだろう?と目で追っていたら、私の椅子が引かれて、揃えた指の先で座るよう丁寧に促される。
執事さながらの動作につられて腰を落とすと、膝掛けを膝掛けの用途で私に使い、さらには胸元にまで手が伸びた。
触られそうになる緊張で背筋を伸ばすも、彼女が触れたのは膨らみではなくボタンひとつ。首元まで、自然な流れで留められた。
「けど、ここは空調が効いてますから。そのままでいたら、体を冷やしますよ」
「ありがとう……」
先のことまで考えて、体調を気遣ってくれるなんて。感激で、涙腺が緩む。
脳内が“好き”の二文字で埋め尽くされ、潤んだ視界のまま見上げたら、相手は困り眉で見つめ返してくれた。
「日暮さん……」
好き。
まだ襟元にあった手を、握るとも呼べない弱さで触る。
「……仕事に戻ります」
「あ。そ、そうね」
誰かの視線を浴びる前に、彼女から離れてくれて助かった。でなければ、想いが溢れて職場とか関係なしに告白の言葉を溢してしまいそうだった。
「おはようございます、灰原さん」
「あ……おはよう。岩村さん」
「はは。朝から、寒かったんですか?」
「え、ええ。ちょっとね」
「僕の上着も貸しましょうか」
「ふふ。けっこうよ」
日暮さんと同期の男の子からの厚意は丁重に断って、仕事はなるべく私情を挟まず取り掛かる。
途中、書類確認の際に肩が触れるほど近い距離で会話をするような場面が訪れても、平静を崩さないよう努めた。最低限、上司としての威厳は保ちたいから。
彼女も彼女で、至って普通。
「ありがとうございます」
「いえ。また不明点があれば、聞いてちょうだい」
「はい。感謝します」
まるで女として見られてないんだなぁって痛感するたび傷付くけど、ノンケを相手に恋してしまった以上は致し方のないこと。
天地がひっくり返って、夢中になってくれる日を夢見続けるしか、沼に足を突っ込んだ私にできることはないのだ。
「ふぅー……今日も疲れた」
定時過ぎ。
パソコンの電源を落として大きく伸びをしたら、パサリとひざ掛けが落ちた。
当たり前のように使っちゃってたけど、借りてたんだ。思い出して、拾った後は返す名目で話しかけて、そのついでに飲みとか誘っちゃう?
なんて。
「……私、拾いますよ」
大胆なことをしでかす前に、デスクの下でばったり。
手と手が触れて、目が合った。
吐息がかかってもおかしくないほど間近に、好きな相手の顔があって、つい唇をきゅっと結ぶ。
日暮さんは、珍しくあどけない仕草でコテンと首を傾げた。
「気に入ってくれましたか」
「え?」
「これ」
持ち上げたシンプルな色合いの布を見て、反射的に首を縦に動かす。気に入ったを通り越して、もはや家に持って帰りたい。あのジャケット同様、大切に使わせてもらいたい。
「……灰原さん」
私が「ちょうだい」とこれまた不躾なお願いをしようか葛藤していたら、日暮さんも日暮さんで悩んだ苦悶の表情を浮かべて、口を開いた。
いったい、どうしたんだろう……?
「大変、申し上げにくいのですが」
「え、ええ。なに?」
私の目を、真っ直ぐに見据えて。
「露出を、控えていただけませんか」
上司としてあるまじき、懇願をされた。
はじめの数秒は理解が追いついてなくて、ぽかんとして。
「その……灰原さんは、魅力的ですから」
フォローのつもりなんだろう、慎重な言葉選びが続いて。
「目のやり場に困る人も、出てくると思うんです」
最後には、はっきりと注意を受けた。
部下に忠告をさせてしまったことも、あくまでも「他の人の目に毒だから」という、微塵も脈を感じさせない理由だったことも。様々な要因が入り組んで、折り重なって、全身が熱く染まる。
アピールも無駄に終わり、恥も晒し。
「ご……ごめんなさい」
誰か、穴を掘って。私が入る、大きな穴を。
帰宅後、私はテディベアに抱きついて、日暮さんのにおいに包まれながら、悶えに悶えた。
その日から、せめて生足は避けようと黒タイツを履くようになったのは、私の中だけの決意である。




