作戦発動
食事時間には相応しくない表現が含まれています。
見張りが居なくなったキアは、統治官の部屋に居た警備隊隊長と事務長を手招きし、廊下まで出てくるよう笑顔で合図する。
「ここに閉じ込められて以来、初めて部屋から出たよ。しかし、ヒブロに対して……君はまるで恐いものなど無いようだね」
警備隊隊長のタングは呆れた顔をして笑いかけ、廊下の窓から久し振りに外の景色を見て背伸びする。しかし、目の前の看護師だとか神母様だとかいう少女に、決して心を許してはいなかった。
「それにしても前の部屋は酷い臭いがするが、大丈夫なんだろうか?」
事務長のラドムは、向かいの部屋に閉じ込められている仲間を心配する。
「何を悠長に……死にかけていますよ。鍵は掛かっていません。これから環境を改善するので、手伝ってください。グライス事務官の話では、一刻の猶予もないそうです。このタオルで私のように口と鼻を覆ってください」
キアは有無を言わせず、2人にタオルを手渡し指示を出す。2人が口と鼻を覆うのを確認したキアは、ゆっくりとドアを開けた。
2人はグライスの名を聞いて、人質になっている自分達の事情も背景も、この娘は知っているのだと理解した。
薄暗い室内は悪臭と熱気が充満し、とても人が住める環境ではなかった。
それでもキアが中の衝立を横に開くと、少しだけ外の空気が室内に流れ込んでくる。閉じ込められていた4人は、明らかに脱水症状を起こしていた。
キアが水瓶を確認すると、中の水から嫌な臭いがする。これでは飲用にすることは出来ない。
「「助けてくれ、水、水を」」
「あぁ……隊長……」
「なんて酷いことを!事務長、警備隊隊長、これから先程作った水を作ります。あなた方の部屋のカップを持ってきてください。わたしが水を作ったら急いで全員に飲ませるように。それが終わったら窓の板を外します。何をしているの?急いで!」
あまりの惨状に言葉もなく立ち尽くしていた2人に、キアは叱咤して指示を与える。
2人はハッと我に返ると、キアの指示に従いカップを取りに行く。キアは廊下の水瓶から清潔な水を桶に汲んで、その中に砂糖と塩を入れると、急いでスプーンでかき混ぜる。出来た水を2人が持ってきたカップに注ぎ、2人は町長、工場長、部下2人に飲ませていく。
その間キアは排泄物を確認し、冷静に状況を判断しようとする。
『これは、予想以上に厳しいな……2日、いや3日は動かせそうにない』
キアは作戦決行日を19日と決めていた。これでは自力で歩ける程に回復するかどうか、微妙なところだと頭を抱えた。
そこへ事務官のオールズが掃除用具を持って戻ってきた。
「オールズさん、最後のタオルで口と鼻を覆ってください。急いで……疫病の恐れがあります」
キアは他の者には聞こえないように小さな声で言って、オールズに最後の清潔なタオルを渡した。
運良く傭兵は壁の中に入ってこなかったので、さっさと窓を塞いでいた板を外しにかかることにする。
「さあ、3人でこの板を外してください。奴等が来る前に空気を入れ替えます」
「そんなことをすれば、サイシスが激怒するのでは……?」
キアの指示に対し、事務長のラドムが心配するように訊いてきた。
「サイシス?私の方がよっぽど激怒しています!事務長、貴方は今からこの部屋で生活出来ますか?サイシスなどギラ新教に操られた小者に過ぎません」
「「…………」」
事務長と警備隊隊長は、キアの言葉に何も言い返せず絶句する。恐怖で支配してきた独裁者サイシスを、小者呼ばわりする小娘のキアを、驚きのあまり異質者を見るような視線で見る。
午後3時……それは発動し始めた。
始めにヒットしたのはヒブロだった。そして次は赤髪の傭兵テンパルだった。
教会の鐘の音を合図にしたのか、はたまたキアの清み渡る午後の祈りを聞き、体が中の汚い物を浄化しようとしたのか、トイレを出たり入ったりし始めた。
一方、人質の部屋は窓の板が一部外され、風が通るようになったので悪臭がかなり減り、キアとシルビア、事務官のオールズが気合いを入れて掃除したので、人の住める部屋になっていた。
そしてキアの午後の祈りが始まると、澱んでいた気が浄化され、死ぬ寸前だった4人は、止まらない涙に癒されていく。
『なんて美しい祈りなのだろう』(警備隊ハロッド中尉)
『ああ神様……お救いくださり……あり、ありがとうございます』(町長)
『・・・生きていて・・・よかった』(国境警備隊コート大尉)
『まるで天使のような声だ……あぁ……苦しみが癒される』(工場長)
「ここは……私は……神に召されたのか……天使の祈りが、祈りの声が聞こえる」
眠ったままだった統治官は、キアの祈りの声で目を覚まし、皆と同じように涙を流しながら言った。
当然キアは癒しの能力【金色のオーラ】を放っていた。ゆっくりと少しだけ。故に、2つの隔離部屋にだけ癒しの能力は有効に働いていた。
前回の奇跡から、まだ体力が完全に戻っていなかったし、19日まで自分が倒れる訳にはいかなかったのだ。
「テンパル、お前はいつまでトイレに居るんだ!早く出ろ!」
「ヒブロさん、私が先に並んでいたのです!」
「うるさいオールズ!お前は外に行け!文句を言うなら看護師を帰すぞ!」
トイレの前で仁義なき闘いが始まっていた。しかし分の悪いオールズは、我慢出来なかったのもあり、変な歩き方で外に出ていった。
薬剤師シルビアは怒っていた。
だからシルビアは容赦なかった。掃除も辛かったし、人質の4人も可哀想だった。
3人分のスープにだけ、皆とは違う野菜?が入っていた。誰がそのスープを飲むかは分からなかったので、オールズは運が悪かった……そう、ウンが……
人質達には、薬草入りの病人食をシルビアが特別に作っていた。
賄いのおばさんが勝手口の外に出た隙に、シルビアは特別な野菜?を入れておいた。
これから3日間、昼食と夕食にいろんな野菜?を混入させる予定である。教会で働く薬剤師だが、リース様の指示なので何も問題ない。むしろ積極的にやる気である。
午後7時、マゴンがギラ新教の本部から帰ってきた。
戻ってきたマゴンは、まずヒブロにロームズの現状を聞いた。
技術開発部のシュノーが10日から統治官代行に就任したこと、国境軍(国境警備隊)の動きや住民の様子など、留守の間の出来事を一通り確認する。
そして、神母は殺したのかと訊ねると、現在人質の治療のために屋敷内に居ると知ると、急ぎサイシスのもとへ向かった。
「サイシス様、只今戻りました。大師イルドラ様が神母に会ってみたいと仰っています」
「何ぃ?イルドラ様が?」
「はい、奇跡の力が本物なら大師ドリル様に献上されるとか……ですから、丁寧に扱ってください」
「…………」
早速今夜からでも生意気なキアをいたぶろうと思っていたサイシスは、楽しみを奪われた気がして黙り混む。しかし、大師イルドラ様に逆らうことなど出来ない。
「それで、大師様は如何されている?ロームズへはいつ頃入られるのだ?」
オリ王子の別邸が2階部分まで出来上がった今、サイシスは1日でも早く見に来て欲しいのだ。ハキ神国の伯爵位を頂き安心したいのである。
「それよりも、20日にやって来る秘書官補佐はどうされるのですか?大師様もご心配されています。先程ヒブロが出入国禁止が解除されたと言っていましたが、大丈夫なのですか?」
何も策を練っていなさそうなサイシスに、マゴンは不安を感じながら質問する。
「なに、本国まで馬で知らせに行ったとしても8日は必要だ。折り返し軍隊を送ってきたとしても、6月末か来月になるだろう。その時にはロームズは既にハキ神国になっている。20日に秘書官補佐がやって来たら、皆殺しにすればいい。せいぜい20人程度の部下と来る筈だ。技術開発部のシュノーも、反乱など無いと思っているだろう。見張りによると本国に伝令や手紙を送った形跡もない」
サイシスは人質が屋敷に居る間は、誰も自分に逆らえないと思っていた。その証拠に別邸の工事に住民も国境軍(国境警備隊)も警備隊も働いた。
「問題があるとしたら、今居る傭兵達で始末出来るかどうかだ。マゴン、ハキ神国軍をお借りすることは出来ないのか?月末に来る予定を早めればいいだろう」
「それは大師様でなければお答えできません」
サイシスもマゴンも、ハキ神国から人が流入してくることが、何の問題もなく出来ると思っていた。技術開発部のシュノーでは、統治官代行をしていても何も出来ないだろうと……
結局サイシスとマゴンは、大師イルドラに会い指示を仰ぐため、18日の午後共にルンナの街に行くことにした。
その頃大師イルドラは、ハキ神国のルンナに留まり、建設資材の調達とカルート国ハビル経由でロームズへ向かうであろう、秘書官補佐一行の様子を探るため宿を取っていた。
ハキ神国ルンナの街とカルート国ハビルの街は、国境を挟んではいるが徒歩1時間で辿り着ける距離にあった。
20日にロームズに到着する予定であれば、19日にはハビルに宿泊するだろう。
秘書官補佐の同行者の数や武器の携帯状況を調べ、邪魔であれば排除する必要があると考え、大師イルドラは秘書官補佐が宿泊する宿に当たりをつける為、護衛をハビルに向かわせた。
「もう少しで計画は成功する。しかし、手練れの護衛やオリ王子推薦の軍人が行方不明になっている今、戦力不足は否めない。王子に50人、いや100人の軍を送って貰おう。とりあえずルンナのハキ神国軍に話をつけるか」
イルドラは一人呟きながら、急いでオリ王子への手紙を書き、明日17日は、ハキ神国軍のルンナ基地に行こうと決めた。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
初めて春バテしました。




