潜入開始(2)
キアとシルビアは、ヒブロの案内で2階に上がると、事務官のオールズから聞いていた通りの、後付けで作られた壁の前まで来て立ち止まった。
「まあ、まるで疫病患者を隔離しているようですね……しかも鍵まで掛けるとは……いったいどんな症状なのかしら?もしや下痢や嘔吐があるのですか?」
「そんな症状はない……はずだ」
キアの問いに面倒臭そうに答えたヒブロは、ガチャガチャと音をたてて鍵を開ける。そして最初の鍵の掛かった小さなドアを潜ると、廊下が続いていて左右に部屋があった。
キアは衛生面を考えて、清潔なタオルで口や鼻を覆うまでは病人の診察は出来ないとヒブロに言って、オールズが持ってくるまで勝手に待つことにした。
それなら水と熱湯が届くまで、ついでに待ちましょうとシルビアも言う。
「神母様、なんだか臭いますね。もしや疫病なのでは?」
「シルビアさん、そんな最悪なことを口にしてはダメよ。2年前このロームズの町では【神の怒り病】という、ランドル大陸で流行った疫病の中でも、最悪にして最強の疫病が発生したのよ。そのせいでハキ神国軍は母国に逃げ帰ったの」
「申し訳ありません神母様。でも……この感じは……」
シルビアは顔を歪ませ、とても不安そうな顔をして右側の部屋に視線を向けた。
タオルや水や熱湯が届くまで暇なキアとシルビアは、疫病についての話を始める。
「下痢や嘔吐を伴う疫病で怖いのは【ルブル病】ね。始めの1日は下痢の症状が出るの。2日目になると嘔吐が始まり、ダルくて動けなくなるのよ。4日以内に【灰色夏草の根】を煎じて飲まないと……」
「の、飲まないと、ど、どうなるのですか神母様?」
「女性は子が出来なくなり、男性は大切な所が腐り始め、用をたすと激痛でのたうち回るらしいわ」
キアは首を振りながら「怖いわねぇ」と言い、シルビアは「怖いですわね」と言って、震えるように自分の肩を抱いた。
「なんだその話は、男にとって最悪な病気だな!」
懸命に水瓶を運んできた屋敷の警護リーダーのビランは、大きな声で話していた2人の会話を壁の前で聞いて、よっこらせと言いながら、小さなドアから水瓶を運び入れた。
「でも、まだあるわ!1日目は普通の下痢、2日目からは血便になり高熱を伴い、身体中の間接が痛くなる【ダルーン病】とかね」
「それ知ってます!ダルーン王国が発祥の疫病ですよね。確か不衛生な場所での生活が原因で、空気感染だから患者の近くに居た人は、感染しやすいんですよね」
「お前達黙れ!疫病の話などするな!」
2人の疫病談義が気に入らなかったのか、ヒブロは大声で怒鳴った。
が、しかし、そんなことでキアの話は止まらない。
「そう言えば、レガート国ではギラ新教徒の貴族が、今月末に一斉に爵位を剥奪されるらしいわ。なんとか言う調査する人達が、ミノスとカイとマサキ領で調査をしたらしいわ」
「ああ、技術開発部のシュノー様が、レガート国を発つ前に王様から聞いたという話ですか?本当なのでしょうか?」
「そうねえ……私のような神母では分からないけど……レガート国王は薬草の買い占めを、とても怒っているらしい……」
「遅くなりました神母様、早く診察をお願いします」
キアの話の途中で、清潔なタオルや着替えを用意した事務官のオールズが声を掛けてきたので、2人のお喋りはこれで中断することになる。
キアとシルビアはタオルで口と鼻を覆って、着替えの服の枚数を確認する。
「病人はいったい何人居るのですか?着替えは7人分有りますが?」
「はい、この先の右の部屋に4人、左の部屋に3人居ます」
「何ですって!7人も病人が居るのに、医師ではなく看護師に往診させたのですか?」
「…………」
キアは怒りを込めた口調でオールズに向かって問い質したが、返事は返ってこなかった。もちろんヒブロにも視線を向けたが、無言のままである。
キアはツカツカと歩き始めると、行き止まりの本物の壁にある小窓を開け放った。
すると嫌な臭いが少しは緩和され、初夏の風が吹き抜けていった。
熱湯が到着したところで、サイシスから預かった鍵でヒブロは左側の部屋の鍵を開け始めた。その場に居た傭兵のビランとテンパルはドアの外で見張りをするようだ。
ヒブロは鍵を開けると、キアとシルビアに入れと命じ、オールズも一緒に部屋の中に入っていった。
「まあ、なんなの此処は!同じ部屋の中にトイレを置くなら、毎日取り替えなさい!」
早速キアは文句を言い始める。ほぼ命令である・・・
衝立を横にずらして奥の部屋を開けたヒブロが「ここだ、さっさと診察しろ」と偉そうに命令すると、「じゃあ、さっさと退いて!」とキアは言い返した。
部屋の中には2人の男性が椅子に座っていて、少女が入って来たのに驚いたのか、ポカンとした顔をキアとシルビアに向けてきた。この2人は痩せてはいたが、急を要する状態ではなさそうだった。
そしてベッドの上には、物音や声にも反応しない統治官が横になっていた。
「統治官様、教会の看護師と薬剤師が来てくれました。目を開けてください統治官様」
オールズは、先日の状況より悪化した様子の統治官を見て、手に持っていた着替えを床に落とし、ベッドに駆け寄った。
「オールズさん退いてください。シルビアさんは、ぬるま湯でいつものやつを作ってください」
キアはシルビアに砂糖と塩を混ぜた飲み物を作るよう指示し、統治官の診察を始める。
脈も呼吸もかなり良くない状態である。意識も低下しており全ての反応が鈍い。目や口の中を観察し、衣類を脱がせて体の異常がないかを調べる。
いつから食べていないのか、痩せ細った体が痛々しい。キアは体に幾つかの鬱血の痕を見付けると、脳裏に毒殺されたヤマノ侯爵の顔が浮かんできた。
『これは……恐らく毒による中毒症状だ。サイシスは毒を使ったんだ』
キアは込み上げてくる怒りを抑えて、シルビアに必要な薬草の名前を告げる。シルビアは薬草名を聞き、驚いたように目を見開いたが、黙って薬箱から薬草を探す。
「シルビアさん、私は水分を摂らせるので、その薬草の4分の1を煎じて来てください。苦味が強いので蜂蜜を混ぜると飲みやすいでしょう」
「はい神母様、直ぐに煎じてきます」
「お前達はこの部屋から出るな!薬なら他の者が煎じて来る」
ヒブロは偉そうに命令するが、それに逆らうようにシルビアは薬草を手にして立ち上がる。そして深呼吸をしてから傭兵に向かって言った。
「この薬草は煎じるのに時間がかかります。火加減が難しく素人に煎じられる薬草ではありません。テンパルさん、付いて来てくださるかしら?」と。
ヒブロは「チッ!」と舌打ちしたが、部下のテンパルが見張りで同行するならと許可するしかなかった。
キアは残りの患者2人の名前と歳を尋ねる。
「私は警備隊……」
「名前だけ答えろ!余計なことを言うと、看護師達を帰すぞ!」
警備隊隊長だと身分を名乗ろうとしたタングは、憎悪の視線をヒブロに向けて「私はタング、52歳だ」と名前と歳だけ答えた。
「私はラドム、45歳だ」
ラドムは統治官屋敷で事務官を率いる事務長だった。サイシスは其々の部署のトップを幽閉していたのだ。
キアはタングとラドムから、統治官のこれまでの病状の推移をゆっくりと聴き出す。
それによると、1ヵ月前くらいから食欲がなくなり、胸が苦しいと言われることが多くなり、時々吐くことがあった。10日前くらいから殆ど寝たきりになっているとのことだった。
「ここに監禁されてから飲んでいた薬はありましたか?」
「いいや看護師さん、最初に倒れてから3日間くらい、医者が薬を出していたらしいが、私がこの部屋に来てからは1度も無かったよ」
「ラドムさん、私のことはキアとお呼びください。もう1人の薬剤師はシルビアと言います。本教会から来ました。精一杯出来る限りの治療はしますが、お2人の協力も必要です。これからお2人は、統治官様に無理矢理にでも水分補給をさせてください。私が手本を見せますので、1日に5回、少しずつでも飲ませてください」
キアはそう説明すると、タングに統治官の体を出来るだけ起こさせ、後ろから支えるようにして貰う。それからシルビアが作った塩と砂糖を混ぜた水を、ゆっくりと口を開いて飲ませていく。目が覚めている時に行う方が安全だとも教える。
統治官に水分を与えてから、一応2人の診察もする。運動不足やストレスからくる不調が診られたが、1日1食の食事では栄養不足は仕方がないだろう。
「それではヒブロさん、薬を煎じている間にもう片方の部屋の人達を診察します」
キアはそう言いながら、勝手に部屋を出ていく。もう1人残っていた傭兵のビランに「荷物をお願いするわ」と、一応お願いのような、命令のような物言いで薬箱を持たせる。
廊下に出るとキアは、また直ぐにこの部屋に入るから、統治官の部屋には鍵を掛けないよう指示を出す。そして、もう片方の部屋の鍵を開けようとするヒブロに向かって言った。
「こちらの部屋は、掃除の必要がありそうだけど、アナタも当然手伝うわよね?見張りをするならやって頂かなくては。私達は治療に来たのだから、汚い部屋での診察はお断りします。もしもアナタや警護の方が掃除しないのなら、目障りでしかありません。あの壁の小さなドアに鍵をかけて構いませんので、出ていってくださいね。ピカピカに掃除出来ないなら、直ぐに掃除道具一式を揃えなさい!」
どこまでも強気なキアである。今居た部屋でキアの話を聞いている警備隊隊長のタングは、ヒブロに向かって命令口調の少女に、目をパチパチさせて驚いている。
「なんて生意気な女なんだ!この俺に掃除をしろだと?コイツ!」
「あら、私を叩くの?神母である私を?たかが14歳の小娘に手を上げると言うの?それとも汚い部屋で一緒に、ずっと監視してくれると言うのかしら……それが出来るのなら、掃除は手伝わなくてもいいわ。掃除を手伝うか、掃除道具を渡して壁に鍵を掛けるか、汚い部屋で診察の間ずっと一緒に居るか、決めてくださる?さあ、どうするの?」
怒りで拳を振り上げたヒブロに、全く怯みもせず畳み掛けるキアである。相手に考えさせることで脳を使わせ、選択の権利を与えることで満足感を与える。
「私は掃除しに来た手伝いではないから、こんな酷い臭いがする部屋の掃除だけはお断りだわ!」
キアはそう言って、顔をこれから入る部屋からプイと逸らす。
「そんなに嫌なら、お前達に掃除をさせてやるよ。掃除は女の仕事だ!オールズ、掃除道具を持ってきてやれ。掃除が終わったら俺を呼べ。綺麗になった部屋で診察するのを監視してやるよ。アーハッハッ」
ヒブロは勝ち誇ったように笑いながら、もう1つの部屋の鍵を開けるとドアノブを引いた。途端に信じられない悪臭が漂ってきた。ヒブロは直ぐに鼻をつまんで「クソ!なんだこの臭いは」と言って、耐えられなかったのか再びドアを閉め「さっさと掃除しろよ!」と言い捨てて、監禁場所から離れていく。
オールズは掃除道具を取りに行き、見張りのビランは壁の外で待機することになり、キアは1人残された。
「まあ、計画通り過ぎて、笑っちゃいそう」
キアは小さく呟くとクスリと笑い、再び統治官の部屋に入り、警備隊隊長のタングと事務官のラドムを手招きした。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
今年のヒノキ花粉は目にきた……痒くて、涙が出て、目にくまができた。
画面をじっと見ていることが辛いので、更新が遅れがちです。




