反撃開始(1)
1098年6月9日夕刻、ハキ神国首都シバにあるブルーノア本教会病院から、医師と看護師、薬剤師の計3名がやって来た。キアが初日にハビル正教会のシーバス様に宛てた手紙に書いて頼んでいたのだ。
体調不良と暗殺を恐れた保護者(フィリップ、シュノー)から、10日まで医療活動を禁止されていたキアは、これで本格的に住民の治療が出来ると安堵した。
執務室に入って来た3人は、キアを小さい時からよく知るメンバーだった。
ロームズに来る前に立ち寄ったハビル正教会で、「イツキ様は、キアさんと言う神母に変装していらっしゃいます」と、シーバス様から聞いていた3人だったが、実際に女装しているイツキを見て、あんぐりと口を開けてしまった。
「イツ……キア様、絶対にこれでは分かりません。完璧です!」
久し振りの再開に感動して半泣きしているのは、看護師のリーズ33歳だった。
リーズは、イツキが4歳になってレガート国に行くまでの間、本教会で看護師としてイツキの健康管理と、身辺警護をしていた。リーズはイツキの他にも、聖女メルダ(エンター先輩の妹)と次期リーバのレイの世話係もしていた。
今回、ギラ新教のロームズでの暗躍と、住民を奴隷のように虐げていた事実を知ったリーバ様は、イツキが動きやすいように、イツキの邪魔にならず自分の身を守れる者という条件で、この3人を選ばれた。
そして、イツキがロームズに医学大学を作ろうとしていることを前提で、ロームズに長く滞在できる者という条件も加え、志願してくれた3人だったのだ。
「ソデブ医師、リーズ、シルビアさん、今回はありがとうございます。申し訳ありませんが、現在ロームズ教会は大所帯です。ホテルをとって貰ったので、暫くそこから通ってください。明日の朝から私も一緒に住民の皆さんを診察します」
「いいえ、先程フィリップ神父に聞きましたが、2,000人の住民を神のお力で回復させ倒れたとか……あまりにも無茶が過ぎます。まだ無理はさせられません!」
ソデブ医師は呆れた顔をして、無理やりイツキを椅子に座らせ診察を開始した。長身で銀髪に銀色の瞳、40歳とは思えない体躯をしているのは、鍛えるのが大好きだからである。
「わたしは大丈夫ですから……」
「いいえ、リーズの目はごまかせません!ソデブ医師、しっかりと診察してください」
赤ん坊の頃から世話になっているリーズは、姉のようであり母親のようであり、とにかくイツキを守るためなら何でもやる武術にも長けた、頼もしい看護師だった。
「そうですイツ……キア様。昨年フラリと本教会に立ち寄られた時も、倒れる寸前だったではありませんか!私も誤魔化されませんわ!リーズ看護師長、薬を煎じます」
薬剤師のシルビア31歳は、昨年イツキが本教会に戻った時、イツキに最新の薬剤情報を教えてくれた薬剤師である。そして、本教会病院で薬剤師見習いをしていた14年前から、天使のような赤ん坊だったイツキのファンだった。シルビアもまた、武術の出来るたくましい女性だった。
キアは何も言い返せず、大人しく診察され薬を飲まされるのだった。
◇ ◇ ◇
6月10日午前8時、オリ王子の別邸建設現場に働きに来た住民は20人だった。
ロイス少佐は頭を抱えたが、それでも働く人間が集まって来たことで、工事は少しずつでも進むことになる。
住民の話によると、今日働きに来た者が乱暴されず、きちんと給金を払って貰えたら、他にも働きに来る者は増えるだろうと言うことだった。
ロイスの報告を聞いたサイシスは、それでは予定通りに工事が進まないと激怒し、午前10時、人質にとっている町長と工場長の家族である、町長の弟エイドと工場長の息子オーブを統治官屋敷に呼び出した。
「ロームズの住民は、町長と工場長の命は惜しくないようだな」
「そんなことはありません。そもそも住民は反乱を起こす気など毛頭ありません。どうか2人を釈放してください」
悪人顔で脅しを掛けるサイシスに、町長の弟エイドは深く頭を下げ釈放をお願いする。
「本当に反乱を起こす気が無いと言うなら、そして2人の釈放を望むのなら条件がある。これから10日間、100人の元気な大人の男どもを、屋敷の工事現場で働かせろ!」
「それは掲示板に貼り出された条件で働くということですよね?それなら集められるかもしれません。しかし、我々は捕らえられた町長と工場長の無事を確認出来なければ、その命令には従えません。これから直ぐに2人に会わせてください」
工場長の息子オーブは、オドオドすることなく強気の発言をする。
現在追い込まれているのはサイシス達であり、住民が協力しなければ屋敷は完成しない。だから強気で発言してくださいとキアに指示されていたのだ。
「チッ!生意気に。10日間工事に参加したら会わせてやろう」
「それでは住民は1人も働かないでしょう。会わせられないのなら帰らせて貰います。午後5時までに2人の生きている姿が確認出来なければ……住民全員に伝えます。2人はもう殺されていると」
エイドはサイシスと視線を合わせることなく、指示通りの台詞を言い終わると、さっさと部屋を出ていく。オーブも一緒に急ぐように執務室を後にする。
早歩きで統治官屋敷を出た2人は、決して後ろを振り返ることなく、敷地を出ると全速力で走り出した。
「あー怖かった……これで良かったのかな?」
「お、俺だって、あ、足がガクガクですエイドさん」
2人はそれだけ言うと、無言で走った。時々よろけながら役場まで真っ直ぐに走り続けた。
まさか2人が逆らうとは思っていなかったサイシスは、勝手に出ていった2人を止める間も無く、執務室に残されて激怒していた。
「奴隷の分際で身の程知らずが!」と叫びながら、机の上のカップを床に叩き付け派手に割った。
その音を聞き付けたヒブロが、ノックをしながらサイシスの執務室のドアを開ける。
「サイシス様、如何されましたか?2人はもう帰ったのですか?」
「あいつら!この私に、人質に会わせなければ、命令に従えないとほざいた!」
怒りの収まらないサイシスは、花台を蹴り倒し、空の花瓶まで割ってしまった。
「ヒブロ、今直ぐレガート軍のグライス事務官を呼んで来い!ああ、警備隊のボグも呼んで来い。こうなったら他の人質を使う。どいつもこいつも勝手なことばかり……誰が支配者なのか思い出させてやる」
◇ ◇ ◇
サイシスが統治官屋敷で花瓶を割っていた頃、ロームズ役場と町中の掲示板に新しく貼り出された告示を見た住民と役人達が、役場前広場に集まり始めていた。
掲示板に書かれていた内容は次の通りである。
◆ ロームズ統治官は重病につき、本日よりレガート軍技術開発部部長シュノーが、統治官の業務の全てを代行し、統治官代行の任に就く。
◆ 提出書類等の手続きはロームズ役場で行うものとする。
◆ 本国から来ている警備隊・国境警備隊・事務官・その他の役人は、本日より統治官代行の指揮下に入るものとする。従わぬ者は反逆者と見なす。
◆ 今後、統治官代行の決済無き書類の支払いは出来ない。
◆ ロームズの出入国禁止を解除する。
◆ ロームズの住民は、前統治官代理が雇った、傭兵の指示に従う必要なし。
◆ 警備隊は、統治官代行の指示を妨害する者や、住民に危害を加える者を、速やかに取り締まる。
1098年6月10日 ロームズ統治官代行 シュノー・ディグ・マホル 副町長 エイド
ロームズの全住民は、掲示板に貼り出された告示を見て歓喜した。
特に出入国禁止が解除されたことにより、ロームズの主要産業である紡績業や織物業が再開できる。
もちろん、傭兵の指示に従う必要が無くなったことで、暴力や搾取に脅える不安が解消されたことは、何よりの喜びであった。
午前11時、ロームズ役場前に集合し整列した警備隊・国境警備隊・事務官・役場の職員達は、新しい上司である統治官代行の、就任挨拶を聞いていた。
この場に来ていないのは、サイシス、ヒブロ、ロイス少佐、統治官屋敷の事務官オールズ、工事現場の事務官ソンシブ、レガート軍事務官グライスだけであり、ロイス少佐の下で働いていた他の事務官2人は集合していた。
「本日より、統治官の仕事を代行するシュノーです。此処に居る全員は、ロームズの住民の治安を守り、ハキ神国からの脅威に備え、より良いロームズの町作りの為に、骨身を惜しまず働かねばならない。レガート国王バルファー様は、ロームズの住民がレガート国の民として、平和で安心して暮らせることをお望みである。これからは、役場の職員、警備隊、レガート軍、事務官が、共に手を取り協力し合うものとする。私は神に誓う!ロームズの住民のため町の発展の為、全身全霊を捧げることを」
シュノーが挨拶を終えると、大きな拍手が起こった。その拍手の殆どは、役場に集まった500人近い住民達から起こったもので、シュノーに寄せる期待の大きさを表していた。
◇ ◇ ◇
統治官屋敷に呼び出されたレガート軍事務官グライスは不機嫌だった。
「私は忙しいのですが、それに昼食時間に呼び出すとは、屋敷の工事がこれ以上遅れても良いのですか?」
「グライス、お前まで生意気な口を聞くのか。その屋敷の工事を遅らせない為、警備隊と国境警備隊の奴等に、明日から工事現場で働けと命令しろ!」
どいつもこいつも自分に対して、従順な態度を取らなくなったことが気に入らないサイシスは、机の引出しから短剣を取り出し脅すように言い放つ。
「それは無理でしょう。貴方はこれまで統治官様や警備隊長や他の者を人質にし、皆を強引に働かせてきました。しかし警備隊のボグは、隊長は既に殺されていると隊員達に言い始めました。だから警備隊はシュノー部長側に付こうとしています。私もそう思っています。人質が生きていなければ誰も貴方には従わないでしょう。今から私に確認させてください。もしも元気で生きていたら、皆に働くよう伝えます」
グライスは短剣など無視し、感情のこもらない口調と冷めた表情で、隊員達の現状を伝えながら、人質との面会を交換条件に交渉する。
「グライスさん、人質は生きていますよ。毎日人数分の食事も出していますし、剣を持った見張りの傭兵だって2人居ます。私は貴方以上に忙しいのです。そんな面倒なことを言うのは止めてください。サイシス様を怒らせて、人質を殺されても良いのですか?」
「これは驚いた……事務官のオールズさんは人質の安否を確認したのですか?貴方の大切な恩人であるウルファー統治官に、直接食事をお出ししているとでも?」
グライスは、サイシスの執務室内にいた統治官屋敷の事務官オールズに文句を言われ、睨み付けるようにしながら質問を返す。
「警備隊も国境警備隊も、つべこべ言わずに働けばいいじゃないですか……どうせ資材は少ししか無いのですから。それとも統治官屋敷に武装して殴り込みますか?数ではあなた方の勝ちです。だが、その前に人質は確実に死にますよ」
面倒臭いという顔をしたオールズは「そうでしょうサイシス様?」と言いながら、サイシスに視線を向ける。
「うるさい!そんなに人質の顔を見たければ見せてやる。まだ息はしているから安心しろ。だが、顔を見たら住民と隊員に命令し、全ての資材分の工事を5日で終えさせろ。いいな!」
サイシスは不機嫌な顔をより不機嫌にしながら、鍵の掛かった机の引出しを開け、中から鍵束を取り出した。
オールズの発した武装して殴り込むという言葉に、一抹の不安を覚えたのだ。
そして鍵束を手に執務室を出ると、2階の廊下を奥に向かって歩き始める。
廊下を3分の2程進むと、奥の2部屋など無いかのような壁が現れた。
壁の前には見張りの傭兵が2人居り、サイシスの姿を見付けると軍礼をとった。2人の傭兵はハキ神国軍の軍人で間違いないだろうとグライスは思った。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
50話までに終わる……?う~ん、サクサクいかない文章力不足を反省。




