ロイス少佐の苦悩
6月2日に目覚めてから、キアはずっと教会の敷地から出ていなかった。
奇跡の反響が大き過ぎて、祈りに来た住民が倒れられた神母様にと、野菜やら木の実やらお菓子やらを毎日持って来てくれる。とても有り難いのだが、住民の中に刺客が紛れ込む可能性が大きくなった。
モーリスを演じ続けているフィリップと技術開発部部長のシュノーは、必ずサイシスがキアの命を狙うはずだと言い、勝手に動かないよう教会内待機をお願いしたのだ。
実際に今回の奇跡の後、キアの体力の回復は遅かった。あれから1週間が経ったというのに、まだ激しい運動が出来る程にはなっていない。
何処にも出掛けられず退屈していたキアの耳に、大好きなミムの上機嫌で鳴く声が聞こえてきた。
キアはピッタリと離れない護衛のセブルを連れ、教会の庭に向かう。
時刻は既に夕刻なので、住民の姿は無かった。
ミムはご主人様の姿を見付けると、嬉しそうに枝から飛び立ちキアの肩にとまった。
「ミム、お疲れ様。いつもありがとう。返事が来たのね」
キアはミムの頭を撫でながらお礼を言うと、美しいブルーの羽根も優しく撫でていく。
ミムの足に取り付けられている通信箱を開くと、中から未開封の小さな手紙を取り出した。そして掌の上でそっと広げる。
イツキ君へ
ハキルの件了解。6月20日到着予定。新しい警備隊長とレガート軍建設部隊の中隊を向かわせる。医学大学の件はハキルに任せた。サイシス以外にギラ新教徒がいれば爵位を剥奪するので、至急名前を知らせて欲しい。今後ロームズには領主を置くことにする。くれぐれも無茶はしないように。 バルファー・レガート
「無茶するなか……なんだか信用ないなあ……」
キアはクスクス笑いながら、この手紙を書いている王様の姿を想像する。短い文章に込められた気持ちは、とても有り難く心が暖かくなった。
キアは手紙をエプロンドレスの内ポケットに入れると、返信を書くため急いで執務室に戻っていく。
10分後、再びキアはミムを肩にのせて話し掛けていた。
「ごめんねミム。今からもう1度ハビル正教会まで飛んで欲しいの。ミムなら日没までに到着できるわよね?明日の早朝折り返しの手紙を飛ばしたいから」
キアは申し訳なさそうに言いながら、自分の頬に何度も頭を擦り付けて甘えているミムを、腕に移動させて手紙を通信箱に入れた。
ミムはピイピイポーと元気よく鳴いて、翼を広げてみせる。どうやら再びハビル正教会に行ってくれるようだ。
日没に向かう太陽とは反対方向にあるハビルの町へ向け、キアはミムを空へと飛ばし「よろしくねー」と言いながら手を振った。
キアを見守っている警護担当セブルは、ハヤマまで扱えるキアに、勝てるものが何も無いような気がして、フーッと息を吐きながら肩を落とした。
そんなセブルが所属している警備隊からの報告によると、工事現場では建設資材の不足が深刻で、サイシス達にとって、それはかなり致命的だったらしく、あれから目立った動きも見せていない。
それどころか、見張りをしていた傭兵が、今では建設現場の労働力になっていると。
これまで住民を虐げていた傭兵達が、汗を流して働いているのだが、それも長く続けられる訳がないとキアたちは観ている。
◇◇ 統治官屋敷 ◇◇
6月7日午後7時、ルンナの町を出発したヒブロが帰ってきた。
早速主であるサイシスに報告する為、執務室のドアを開けた。室内にはロイス少佐がソファーに座り、傭兵頭のマゴンが立って控えていた。
「なんだと!予定の3分の1しか調達できなかっただと!この役立たずが!」
「申し訳ございません。ですがルンナの問屋にはハビルの街の復興の為に、予約済みの資材しかなかったのです。それを強引にオリ王子の名前を出して、調達してきました。このままではずっと調達するのは無理です。どうか調達場所を変えてください」
ヒブロは激怒しているサイシスに、土下座をして詫びる。しかし、調達できないのは自分のせいではないので、これ以上の謝罪方法が無かった。
「それでは15日に伸ばした大師イルドラ様の訪問までに、3階部分は手付かずになってしまうではないか!」
サイシスはハーッと大きく息を吐きながら肩を落とし、執務机をドンドンと数回叩きながら唇を噛んだ。
「サイシス様、資材が調達出来ないのでは仕方ありません。それに調達できても……今は住民が使えません。金を出してきちんと雇うしかないでしょう。しかし我々には、オリ王子と大師様にお伝えできる有益な情報がございます」
現在建設現場の指揮を執っているレガート軍ロイス少佐が、サイシスの機嫌を取るように助言する。
「まあ……それはそうだが……だが2度も日程の変更をするのはどうなんだマゴン?」
「それは大丈夫だと思います。サイシス様がハキ神国の伯爵となられる日は遅くなりますが、投石機のことなどを伝えれば……そうですね、この私が大師様に直接お伝えしましょう。資材不足の件も相談すれば手配出来るかもしれません。サイシス様は私が戻るまでに、用意出来た資材で工事を進めておいてください」
コイツらに任せていては、らちが明かないとマゴンは思い、1度大師イルドラ様の指示を仰いだ方が良いだろうと考えた。
結局マゴンの意見を取り入れ、サイシスはマゴンを大師イルドラの元へ向かわせることにした。
ギラ新教本部までは、最短馬車で3~4日の行程である。ロームズに帰って来るのは6月15日を過ぎることになる。
マゴンは8日朝、ハキ神国の首都シバに居るイルドラに会うため旅立った。
サイシスはマゴンを見送った後、ロイス少佐とヒブロと3人で、無い知恵を絞って工事をさせる人材の確保の方法を考えていた。
「現在ある資材の量だと、50人を昼間だけ働かせて10日で完了するくらいです。傭兵達はこれ以上建設現場で働くなら辞めると言っています。倍の給金を払う約束で働いていますが、当てには出来ないでしょう」
工事現場を指揮しているロイス少佐は、6月に入ってからの状況に頭を抱えていた。
奴隷のようにこき使っていた住民達が働けない今、文句ばかり言う傭兵たちの機嫌を取りながら、なんとか工事を進めているのだ。
「なんだと!あと10日もかかるのか。それなら100人雇えばいいだろう」
サイシスは何事も簡単にことが運ぶと思っている。これまで組織を指揮したことなど無いのだ。カイ領に居た頃は、領主に文句だけ言っていれば良かった。
ロイスとしても早くハキ神国の貴族には成りたいのだが、サイシスは現場のことは技術者3名に丸投げで、3日に1度くらいしか現場に来ない。だから混乱している状況がきちんと分かっていない。
「とにかく役場に求人を出しましょう。これまでの倍の給金を出せば、住民たちも喜んで働くはずです」
イライラする気持ちを押さえながら、ロイスは前向きな行動をとるため、サイシスの決裁を仰ぐ。
「しかしサイシス様、事務官のオールズが統治官屋敷の資金が底をついたと言っていました。今回の資材の調達で、1年分の予算をほぼ使いきったようです」
考え無しで物事を決めようとするサイシスに、ヒブロは恐る恐る報告する。
「チッ!もう金がないのか!仕方ない。オリ王子から預かっている資金を使う」
本来なら使わずに残して置きたかった金だが、ハキ神国の爵位を得ることの方が大切だと思い直し、サイシスは机の引出しの鍵を開け、皮袋の中から金貨を一握り取り出し机の上に置いた。
「ロイス、これはお前に預ける。なんとしても100人は確保しろ!」
「承知しました。これから直ぐに役場に向かい、住民達に知らせます」
ロイスは金貨を自分の軍服のポケットに仕舞うと、急ぐように執務室を出ていった。
「ヒブロ、お前には新しい任務を与える。教会に居る生意気な神母を殺せ!傭兵は工事現場で働いているから、一人で殺れ。期限は15日までだ……いや待て!……捕らえて屋敷に連れてこい。たっぷりといたぶってから殺してやる」
「はいサイシス様、承知しました。出来るだけ無傷で捕らえてきます。……ところで、シュノー部長はあれから何か言ってきましたか?確か10日までに統治官と2人で挨拶に来いと言っていたはずですが……」
ヒブロはオドオドしながらサイシスに質問する。
「何も言ってきてない。何を言われようと無視すればいいのだ!邪魔なら殺す!」
「そうですねサイシス様。邪魔なら殺せばいいのですね」
ヒブロは大事なことを伝えていないことを焦っていたが、どのみちサイシスの答えは同じであったろうと思い、心の中で安堵の息を吐いた。
6月8日午後、町の至る所に設置してある掲示板に、明日から工事現場で働く者を募集する告示が貼り出された。
それによると、労働時間は朝の7時から夕方の6時までで、1日の給金がこれまでの2倍になっていた。しかしその金額は、本来普通に軽作業で1日働いた給金に過ぎなかった。
翌9日午前7時、工事現場に到着したロイス少佐は愕然とする。
工事現場には、誰1人として住民が働きに来ていなかったのだ。
「何故だ!あいつら倍の給金を払ってやるのに、何故来ないんだ」
ロイスは叫びながら、仕方なく傭兵達に仕事をさせようとする。しかし、連日休み無く働かされていた傭兵達は、「今日は絶対に休む。もしも働かせるなら今日限り仕事を辞める」とごね始めた。
仕方なくロイスは住民が働きに来なかったことと、傭兵に1日休みを与えたことを報告するため、統治官屋敷に向かう。途中2人の住民に出会ったので、何故働きに来なかったのかと質問した。
「だってなぁ……俺達は皆、元々自分の仕事を持ってるし、屋敷の工事に出ている間に溜まった仕事をするだけで、充分に忙しいんだ」
「それに掲示板の給金じゃあ、女房が働いて貰う給金にもならねえ。掲示板の倍の給金なら働く奴は居るだろうさ。俺は御免だが。それにロームズじゃあ、朝8時から午後5時までが仕事時間だ。誰があんな安い給金で、朝7時から午後6時まで働くんだ?」
これまで散々こき使われてきた2人は、既にコイツら(統治官代理の一派)の指示に従う必要がないことを、教会で行われた慰霊祭の時、本国から来た偉い人(シュノー部長)に聞いて知っていた。なので、恐れることなく敬語も使わない。
その日の午後、新しい告示が掲示板に貼り出された。
仕事時間は午前8時から午後5時まで。給金は昨日の値段の倍を出す。そして給金は日払いで支給すると。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次話からいよいよイツキが本格的に始動します。




