新たな闇
1098年6月1日、フィリップは眠ったままのキアの顔を、まだ夜明け前のぼんやりと薄暗い執務室の中でじっと見つめていた。
「イツキ様、どうしてそう無茶ばかりされるのですか……命を削るような能力を、どうして容易く皆の為に使われるのです。どうか能力の加減をしてください」
まだ冷たいキアの手を握って、自分の暖かい手で包み込む。
慰霊祭の後、レガート軍事務官のグライスが教会に駆け込んで来た時は、心臓が止まりそうだった。
グライスから聞いた奇跡の内容にフィリップは絶句した。これまでも数回イツキの奇跡の瞬間に立ち会ってきた。しかし今回は、2千人近い住民の疲れを癒し、傷を治し痛みを取り除き、動かなかった身体を動けるようにしたという。
あれほど出掛けに無理をしないでくださいとお願いしておいたのに……
今回はリバード王子を助けられた時と同じ感じで、呼吸数も脈拍数も少ないが呼吸は安定している。ただ、異常に体温が下がっている。
我慢出来ずにフィリップは、キアの身体を暖め始めた。
手首足首を優しく擦ったり、足を擦ったり……それでも一向に体温は上がらない。
フィリップはキアの隣に横になり、冷たい身体を抱き寄せて自分の体温で暖める。
午前6時、キアの体温は少しずつ上がり始めた。
カーテンの隙間から射し込んだ朝日が、キアの顔を明るく照らすと、顔色も少し良くなっているように見え、フィリップは安堵の息を吐いた。そしてもう1度だけ柔らかく抱き締めると、キアが起きた時に飲ませる水を取りに行くため、静かに執務室を出ていった。
フィリップが集会所に顔を覗けると、殆どの者が起きており、キアのことを心配する話をしながらお茶を飲んでいた。
「おはようございますモーリス様、キア様の意識は戻られましたか?」
「おはようルド、まだだ。しかし少しだけ体温は上がってきた……今日中に目覚めるかどうかだな。キア様が居なくても任務をきちんとこなすぞ!朝食時に今日の予定を確認する。ハモンド、俺は今日出掛けるから……キア様を頼む」
あまり眠れていないフィリップだが、リーダーとして話す時は、【王の目】を率いる厳しい秘書官補佐の顔になっている。
「はい承知しました。ところでモーリス様、昨日起こされたキア様の奇跡を聞いて、住民達がお会いしたいと押し寄せてくるかもしれません。対応はどのようにすれば良いでしょうか?」
ハモンドは予想される面倒な事態について、事前に対策を立てようと質問する。
「そうだな……俺もこの目で始めてあれだけの奇跡を見たが、キア様に救いを求めて住民が押し掛ける可能性はある。こっちに来ていた住民は嬉しい話は聞けたが、奇跡は体験してないから、身体の調子が良くなった訳じゃない。現に俺の痛めていた肩は治った」
ルドは昨日の奇跡を思い出し、腕を元気に回しながら言う。
「真実を言えばいい。神母様は神の力を使い過ぎたせいで、倒れられたまま意識が戻らない。これ以上お力を使われたら……命が危ないと」
「成る程……確かにそう言えば自分にも奇跡を……とは言えませんね。さすがモーリス様です。では暫く面会も出来ないと伝えます」
ハモンドはフィリップの指示に納得しながらも、暫く忙しくなりそうだと気持ちを引き締める。そして再びキアの様子が心配になる。
「「おはようございます!キア様は?キア様は目覚められましたか?」」
警備隊リーダーのボグとエイコムが、仲良くハモりながら集会所に駆け込んで来た。
昨日キアの警護をしていたはずの2人は、あろうことか倒れたキアに気付かず、奇跡の光景に見とれてキアを守れなかったという失態を演じていた。
2人は夕方シュノー部長から散々叱られており、意識のないキアを見た時は、深く責任を感じキアに向かって土下座し、ただの教会の神母扱いをしていたことも含め、深く反省していた。なので、呼び方がキア様に変わっている。
「キア様は今日中に目覚められるかどうか……まだ油断出来ない状態だ。神の力を最大限に使われたのだ……命を削って戦われている姿を決して忘れるな!」
フィリップは厳しい視線を2人に向け、これからのロームズ警備隊の仕事を伝える。
「セブルとエイコム以外の警備隊員は、傭兵の数と配置、宿泊場所を調べ上げ今日中に報告を上げろ。暫く建設工事は中止になるはずだから、配置も変わるだろう。それから、交代で統治官屋敷の出入りを見張らせろ!」
「はい承知しました。直ぐに動きます。もしもサイシスから命令が来たらどうしたらいいでしょうか?」
「とりあえず分かったと答えておけ。人質の命が懸かっている」
フィリップの指示を受けて、ボグは役所の中にある警備隊本部に帰っていった。
午前7時半、朝食を食べながら今日の仕事の確認をする。
いつもなら笑顔のキアがスープを配っているのだが、その笑顔が無いだけで集会所の雰囲気がまるで違っていた。こんな場面でも、キアの存在の大きさを思い知る。
「今日から国境警備隊は本格的に始動する。準備は大丈夫かヤマギ?」
「当然抜かりはない。本隊の15人は今夜からホテルに住居を移す。そして全部隊を6つに分けて作戦を遂行させる。5つ任務を交代で行い休みを取らせる。ケガ人には今日から3日間の休みを与える」
「分かった。ロームズ奪還作戦が成功するかどうかは、国境警備隊の働きに大きく影響される。期待しているぞお前たち!」
「はい、必ず期待に応えて見せます!」
国境警備隊サブリーダーのイグモ中尉が立ち上がり答えると、本隊の残り14人も立ち上がり、フィリップに向かって軍礼をとった。
「それからギルバート神父、キア様が倒れられた今、教会の仕事を仕切れるのは貴方だけです。今日から住民達が朝の祈り、午後の祈り、夕べの祈りにやって来ます。住民への声掛やキア様の説明をお願いします。教会警備隊のお2人には、サイシスの傭兵を教会の中に入れないよう、キア様の護衛である警備隊のセブルとエイコムと面通しをお願いします」
「分かりました」
ギルバート神父は、フィリップの指示にやや不服そうな顔で了承する。
「「承知しました」」
教会警備隊の2人は、頼もしい笑顔で了承してくれた。
「それから、俺とガルロとドグとレクスは狩り担当だ。奴等の見張りの目を欺くためにも、我々は魔獣調査に出掛ける。午後からは、レクスは役場へ行き魔獣に関する文献の調査という名目で、役場の様子を探って来い」
「承知しましたモーリス様」
「ガルロとドグは、午後から建設現場の見張りだ。出来れば屋敷の図面が欲しい。簡単な敷地図と配置図を頼む」
「「承知」」
「よし、お茶も飲み終えたな。では仕事にかかれ!」
フィリップの号令で、全員が一斉に散らばっていく。
◇ ◇ ◇
朝の祈りの為に礼拝堂に向かうギルバート神父の気持ちは重かった。
昨日墓地の慰霊祭で起こった奇跡の話を聞いてから、どう表現していいのか分からないが、気持ちが前向きになれず、何をするにも溜め息が出る。
まだどこかで、リースであるキアさんより、自分の方が優れているのではないかと思っていたのだ。
だが、聞いた奇跡の内容はどうなんだ……
キアさんの能力は、尋問する《印》の能力ではなかったのか?それが、蕾だった花が祈りによって満開に開いた?それだけなら『ああ、そうなの』と思えただろう。
だが、ケガが治っただの、動かなかった身体が動いただの、疲れが無くなっただの……どういうことだ?
1人の人間が、いくつもの能力を持つなんて聞いたこともない……歴代のリース様でも、そんな人間が居たとは神学校でも習っていない。
それに信じられないが、13歳でブルーノア教会病院の院長が、医師資格と薬剤師資格を与えたという。常識では考えられない。
学業だけは自分の方が、絶対に優れているだろうと確信していたのに……
リースとは、頑張れば成れる地位ではなく、桁違いの能力を持っていないとダメだと言うことなのか?
ギルバート神父という人間は、挫折を知らなかった。いや1度だけ、本教会からハビル正教会で勉強をし直せと、教育担当のファリス様から命令された時に、始めて挫折感を味わった。
その命令さえも、何故なのか分からず納得出来ていなかった。
教育担当のファリス様も、ハビル正教会のシーバス様も「神父として何が大切なのか、神父として何が出来るかを考えろ」と言われたが、その意味を理解できてはいなかった。
だいたい奇跡を派手に起こして住民の気を引くなんて、能力があれば誰だって出来ることだ。
可哀想なギルバート神父は、人間性という言葉を知らなかった。
そしてキアの強すぎる能力に対し、嫉妬を通り越して畏怖の念を抱いていく。自分の常識を遥かに越えた存在であるキアを、否定することで自分を保つことにしたのである。
あれは……神の力などではない……皆は騙されているのだと……
今朝の礼拝堂には300人を越す住民達が来ていた。
ふと、墓地で起こった奇跡の話が耳に入ってきた。
住民達はすっかり騙されている。私の祈りの力で、皆の目を覚まさせよう。
ギルバート神父は、いつもよりいい笑顔で住民に挨拶をして、祈りの前に神の話をする。これまでは、誰も神の話なんて真面目に聞いている者は居なかった。だから面倒だと思っていた神の話だが、ロームズの住民は静かに話を聞いている。
祈りが始まっても皆が真剣に自分の祈りを聞き、祈っているのが分かる。
『大丈夫だ。ロームズの住民は、私を尊敬し敬ってくれている。これから全ての祈りは私が行えばいい。あの女に騙されないよう、私が住民を導いてゆこう』
ギルバート神父は祈りを終え満足そうに微笑むと、別人のように住民達に話し掛けていく。困ったことはないか?心配事はないかと。
キアの眠っている間に、新たな闇を内側に抱えることになったロームズ教会である。
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