第4話〜断る
アメシスが振り返ると、隙間から三つの小さな顔がこちらを覗いていた。目が合った途端に慌てて顔を引っ込めたが、逃げていく気配はない。
「そこにいるのは分かってるわよ」
声を掛けると、短い沈黙のあと、一人の女の子がおずおずともう一度顔を覗かせた。
「紫水晶の勇者様?」
「ええ。そう呼ばれているわ」
アメシスは柔らかな声音で返事をして微笑んだ。
その途端、女の子の顔が明るくなり、木戸を大きく開けて納屋の中へ入ってきた。後ろには、同じくらいの年頃の男の子と、それより少し幼い男の子が続いている。
「本物の勇者様だ!」
「精霊もいるぞ!」
「すごい!」
三人は先ほどまでの遠慮を忘れ、アメシスを取り囲んだ。
宙を飛び回る精霊たちを三人の目が夢中で追う。水の精霊が一番幼い男の子の鼻先へ雫を飛ばすと、納屋の中へ楽しげな笑い声が弾けた。
「あなたたち、この村の子よね。名前は?」
「ニィナです」
女の子が真っ先に答え、そのまま左右の二人を順番に指差した。
「こっちがハンスで、こっちがハンスの弟のジョン」
「俺、自分で言えるんだけど」
「僕も言えるよ」
「私とハンスが九歳で、ジョンは七歳です」
「歳まで聞かれてないだろ」
ハンスが横から口を挟んでも、ニィナはまったく気にしていない。ジョンも慣れているらしく、兄の隣でこくこく頷いている。
アメシスは思わず笑い、その三人へ精霊たちを紹介した。
得意げに胸を張る風の精霊。踊るようにくるくる回る水の精霊。土の精霊は床へふわりと降り立つと、土の上へ小さな花を咲かせてみせる。
子どもたちは歓声を上げ、しばらく夢中で精霊たちを眺めていた。
やがて、ニィナが納屋の隅にいるもう一人に気づいた。
「あの子は、勇者様の弟?」
「違う」
オニキスが即座に鋭く否定した。
ニィナの視線が、まっすぐ彼へ向く。
深く被った黒いフード。そこから覗く乱れた黒髪と、同じ色の瞳。村では一度も見かけたことのない、よそから来た同年代の男の子。
それだけで、ニィナの興味を引くには充分だった。
彼女はオニキスの前まで歩いていくと、遠慮なくその顔を覗き込んだ。
「あなたは?」
「…………」
オニキスは煩わしげにニィナを一瞥しただけで、答えようとはしなかった。
「ねえ。名前は?」
「…………」
「この子はオニキスよ」
代わりにアメシスが答えた。
「私と一緒に旅をしているの。仲良くしてあげてね」
「余計なこと言うんじゃねえ」
「オニキスくん、ちょっと人見知りなのよ」
「違う。こいつらに興味がねえだけだ」
冷たく言い放たれても、ニィナはまったく怯まなかった。
「オニキスは何歳?」
「知るか」
「自分の歳、知らないの?」
「そういう意味じゃねえ」
「私とハンスは九歳。ジョンは七歳だよ」
「さっき聞いた」
「じゃあ、オニキスも九歳でいい?」
「よくねえ」
オニキスが横へ動けば、ニィナも同じだけ横へ動く。反対側へ顔を背ければ、今度はそちらから覗き込んでくる。
「何だ、テメェ」
「別に」
「なら近寄るな」
「そのフードの飾り、どうなってるの?」
ニィナが無遠慮に、フードから突き出た翼角に手を伸ばす。
だが、指先が触れる直前、オニキスがその手首を掴んだ。
「触るな」
「分かった」
きょとんとしたニィナの答えは素直だったが、離れる気はないらしい。
その様子を見ていたハンスが、少し呆れたように口を挟んだ。
「ニィナ、近すぎるぞ」
「だって、見たことない子だもん」
「僕も初めて見た」
ジョンまでオニキスの前へやってくる。
「明日、一緒に遊ぼう!」
「断る」
「四人なら二人ずつに分かれられるな」
ハンスが言うと、ニィナがすぐに頷いた。
「じゃあ、オニキスも今日から私たちの仲間ね」
「勝手に決めんな」
「明日の朝、迎えに来るから」
「来んな」
「何して遊ぶ?」
「人の話を聞け!」
「こら、お前たち。勇者様に迷惑をかけるんじゃない」
オニキスの怒鳴り声に重なるように、納屋の外から呆れた声が飛んできた。
開けっぱなしの木戸の向こうには、先ほど二人を案内した男が、両手で鍋を抱えて立っていた。
取っ手には厚手の布が巻かれ、僅かにずれた蓋の隙間から白い湯気がこぼれていた。煮込まれた芋や豆、香草の匂いが納屋の中へ流れ込んでくる。
「夕飯の時間も近いんだ。帰った、帰った」
「迷惑かけてないよ」
真っ先にニィナが反論した。
「オニキスと仲良くしてただけ」
「誰が仲良くした」
「明日も来るからね」
「来んなっつってんだろ!」
ニィナはまるで聞いていなかった。ハンスとジョンを連れ、男に追い立てられるように納屋を出ていく。
三人とも何度も振り返り、そのたびにオニキスへ手を振っていた。
「すみません。何もない小さな村なもので、よそから人が来るだけでも珍しいんです」
子供たちの姿が見えなくなると、男は申し訳なさそうに頭を下げた。
「まして、自分たちと同じくらいの年頃の子が来たとなれば、余計にはしゃいでしまったんでしょう」
「誰があいつらと同じくらいだ」
「悪い子たちではないんです。迷惑でなければ、少しくらい相手をしてやってください」
「断る」
「気にしないでください。私も賑やかで楽しかったですから」
アメシスは笑って鍋を受け取った。
「とても美味しそうですね。ありがとうございます」
「妻が作ったものです。鍋は明日にでも取りに来ますから、今夜はゆっくり休んでください」
男はもう一度頭を下げ、木戸を閉めて帰っていった。
納屋へ、ようやく静けさが戻る。
アメシスは鍋を藁のない床へ置き、持っていた器を二つ取り出した。蓋を開けると、温かな湯気が立ち上り、芋と豆を煮込んだ素朴なスープの匂いが広がっていく。
「ニィナちゃんに随分と気に入られたみたいね」
「知るか」
「オニキスくん、格好いいもんねえ」
「……馬鹿にしてんのか」
「どうして? 褒めてるのよ?」
「ガキに言うみてえな言い方しやがるからだ」
「でも、格好いいっていうのは本当よ?」
「…………」
オニキスは途端に黙り込み、スープを器へ注ぐアメシスの横顔を見た。
「なに?」
「別に。テメェも少しは見る目があるってだけだ」
「はいはい」
「その返事やめろ!」
怒鳴る声とは裏腹に、オニキスの機嫌は先ほどまでより僅かに直っていた。
ニィナに気に入られたことなど、どうでもよかった。だが、アメシスの口から出た「格好いい」の一言だけは、満更でもなかったらしい。




