第3話〜また納屋か
「……また納屋か」
村外れに建つ、幾度も補修を重ねた年季の入った納屋を見上げ、オニキスは露骨に顔を顰めた。
日暮れを前に森を抜けた二人が辿り着いたのは、畑と牧草地に囲まれた小さな農村だった。
北へ続く街道から外れているため、旅人が訪れることは滅多にないらしく、宿屋はおろか、酒場らしい酒場さえなかった。
今夜も野宿かとアメシスが諦めかけたところで、一人の村人が、彼女こそ“紫水晶の勇者”ではないかと声を上げた。
紫水晶を思わせる瞳。蜂蜜色の長い三つ編み。細身の身体には不釣り合いなほど巨大なグレイブと、その周囲を飛び回る精霊たち。
その姿は、旅人たちから伝え聞いた“紫水晶の勇者”そのものだったらしい。
アメシスの名は瞬く間に村中へ広がった。
噂の勇者の来訪を聞きつけた村人たちが次々と集まり、辺りはたちまち歓迎ムードに包まれた。
そんな中、アメシスがしばらく雨風を凌いで休める場所はないかと尋ねると、一人の若い農夫が、空いている納屋でよければと申し出てくれたのだ。
「勇者様にお泊まりいただくには、こんなところでお恥ずかしいのですが、中は整えてありますので」
二人を案内してきた若い農夫が、納屋の木戸を開いた。
中には乾いた藁が積まれ、床も綺麗に掃かれている。隅には新しい藁を敷いた寝床が二つ作られ、毛布と水桶まで用意されていた。
建物自体は古びているものの、雨風を凌いで休むには申し分ない。
「いいえ。急なお願いだったのに、ここまで綺麗に整えていただいてありがとうございます」
「夕食もあとで持ってきます。大したものは出せませんが、腹の足しにはなるでしょう」
「そんな。寝床を貸していただけるだけでもありがたいのに、夕食まで……重ね重ねありがとうございます」
アメシスが頭を下げると、男は恐縮したように首を振った。
「紫水晶の勇者様に来ていただけたんです。これくらいはさせてください。それに――弟さんも、長く歩いて疲れたでしょう」
「弟じゃねえ。俺は魔――」
オニキスが正体を明かすより早く、背後から伸びたアメシスの手が、その口をぴたりと塞いだ。
「この子は私の旅の連れです。少し人見知りなところがあって」
「んんんっ!?」
「そうでしたか。まだ小さいのに勇者様の旅に同行とは、大変ですねえ」
男はオニキスの抵抗も口の悪さも、見知らぬ土地へ連れてこられた子供の不機嫌だと受け取ったらしい。微笑ましげな笑みを浮かべ、納屋を出ていった。
木戸が閉まり、足音が充分に遠ざかったところで、アメシスはようやくオニキスの口を塞いでいた手を離した。
「何しやがる!」
「駄目でしょう。いつも村へ入る前に言ってるじゃない」
「俺は人間に正体を隠す気なんざねえ」
「私はあるの。あなたが魔族だってバレたら村になんか入れてもらえないんだからね。私はせめて屋根と壁のあるところで寝たいの」
「ここは納屋だぞ」
「野宿より百万倍マシよ」
アメシスは平然と答え、背負っていた荷物を藁の上に下ろした。
オニキスは忌々しげに舌打ちし、改めて納屋の中へ目を向けた。
乾いた藁と飼料、家畜の残り香。それに、湿気を吸った古い木材の匂い――
アメシスに拾われ、幼い姿となって初めて目を覚ました場所も、よく似た納屋だった。瀕死だった影響で自分の脚で立つことさえままならず、アメシスに飯を食わせられ、毛布を掛けられていた頃の記憶まで引きずり出される。
だからこそ、余計に気に食わなかった。
「前に借りたところより綺麗ね」
「比べてんじゃねえ」
「藁も新しいのを敷いてくれてるし、これならよく眠れそう」
「俺はどこだろうが寝られる」
「そうねえ。すぐ眠くなって寝ちゃうものね」
「殺すぞ」
アメシスは気にも留めず、荷物の中から必要なものを取り出し始めた。腰のフルートを外し、グレイブを壁際へ立てかけ、食料や水筒を使いやすい場所へ並べていく。
その周囲では、三人の精霊も手伝うつもりらしく、藁を一本ずつ抱えて楽しげに飛び回っていた。
オニキスは被っていたフードを深く引き下げ、人間よりも長く尖った耳を布の内側へ収め直した。
左右へ張り出した耳。頭上に戴く艶やかな黒い翼角。そして、背中に生えた一対の小さな翼。どれもオニキスが魔族であることを示す、人間にはない特徴だった。
耳はフードの内側へ隠し、背中の翼も小さく畳めば外套の下へ押し込める。だが、頭上へ突き出した翼角だけはどうやっても隠しようがない。
そのため、フードの左右には角を通す穴が開けられている。外へ突き出した翼角の根元を布で覆い、初めからフードへ取りつけられた飾りだと言い張る――それが、アメシスの考えた誤魔化し方だった。
本物の角を衣服の飾り扱いされることも気に食わなければ、長い耳を窮屈なフードへ押し込み、翼を外套の下へ閉じ込めておくことも気に食わない。
ようやく落ち着ける場所へ辿り着いたというのに、村人の目があるうちは外套を脱ぐことさえできず、その煩わしさがオニキスの機嫌をさらに悪くしていた。
オニキスは、気に食わない場所の粗でも探すように、忌々しげに納屋の中を見回した。
壁際には牛を繋いでいたらしい縄が垂れ、反対側には山羊用と思われる低い柵が並んでいた。
柵の奥の床にも蹄の跡が残り、餌箱の底には乾ききっていない牧草が僅かに張りついている。
つい最近まで、ここには何頭もの家畜がいたのだろう。だが、いまは一頭もいない。
「牛も山羊もいねえんだな」
「そうね。別の場所へ移したのかしら」
アメシスは餌箱をちらりと覗き込んで首を傾げたが、すぐに荷物へ視線を戻した。そのまま荷解きを続け、寝床の上へ毛布を広げていく。
その背後で、納屋の木戸が僅かに軋んだ。




