第25話〜そういうことにしておけ
「ニィナ!」
森を抜け、村へ続く道へ戻った途端、遠くからニィナの名前を呼ぶ声が響いた。
午後の日差しに照らされた村の入口には、何人もの村人が集まっていた。その中からニィナの両親が飛び出し、こちらへ向かって駆けてくる。
ほかの子供たちの親も、我が子の姿を見つけるなり、そのあとへ続いた。
我が子の名を呼びながら次々と走ってくる親たちに、アメシスとともに歩いていた六人の子供たちが足を止めた。
真っ先に辿り着いたニィナの母親は、勢いのまま娘を腕の中へ抱き締めた。父親もその傍らへ膝をつき、怪我がないか確かめるようにニィナの頭や肩へ触れていく。
「ニィナ……よかった。本当によかった……!」
「お母さん?」
声を震わせる母親とは対照的に、ニィナは何が起きたのか分からない様子で目を瞬かせた。
「どうしたの? そんなにぎゅってしたら苦しいよ?」
ほかの子供たちも、泣きながら抱き締めてくる親に戸惑っている。
夜明け前、呼び声に意識を操られたまま自ら家を抜け出し、呼び止める声にも応じず森へ入っていったことを、誰も覚えていないのだろう。
年長の子供たちは困惑した顔でされるがままになり、一番幼いマリーだけが、涙を流す母親につられるように泣き声を上げていた。
子供たちの無事な帰還に、親だけでなく周囲の村人たちからも安堵と喜びの声が上がる。
アメシスは少し離れた場所から、湧き立つ人々を微笑ましそうに見守っていた。
「大袈裟な奴らだな」
そのなかで、隣に立つオニキスだけが、喜び合う村人たちへ目を向けたまま鼻を鳴らした。
「夜明け前から、ずっと心配して待っていたのよ」
「ガキどもは何も分かってねえ顔してるぞ」
「覚えていないんでしょうね。かえってそれでよかったのかもしれないわ」
やがて、村長が村人たちのあいだからアメシスのもとへ歩み寄ってきた。
「勇者様……本当に、ありがとうございました」
声を詰まらせながら深々と頭を下げる村長に続き、子供たちの親も、我が子を抱き締めたまま口々に礼を述べる。周囲の村人たちからも感謝の言葉が重なり、いくつもの頭がアメシスへ向けて下げられた。
「みんな無事で何よりでした。怪我もありませんから、安心してください」
「いったい、森の奥で何があったのですか?」
村長の問いに、アメシスは森の方角を一度振り返った。
「子供たちと家畜は、森の奥へ集められていました。そこに居着いた魔族が、術を使って子供たちや動物を操っていたようです」
「魔族が……」
村人たちのあいだに、不安げなざわめきが広がった。
「その魔族は倒しました。子供たちも動物たちも、術から解放されています。もう操られる心配はありません」
アメシスの言葉に、張り詰めていた村人たちの表情が僅かに緩んだ。
「倒したっつうほどの相手でもねえ。悪知恵をつけた小賢しい雑魚ゴブリンだったがな」
「オニキスくん」
「本当のことだろうが」
アメシスが窘めるように名を呼んでも、オニキスはつまらなそうに顔を背けるだけで、悪びれる様子はない。
だが、アメシスはこほん、と咳払いをすると、オニキスの細い肩に手を置いた。
「でも、そのゴブリンの術を破ってくれたのが、オニキスくんなんですよ。この子がいなければ、子供たちを無事に連れ帰ることはできませんでした」
その言葉に、村人たちの視線が一斉に小さな黒い少年へ集まり――オニキスは僅かに身を引いた。
「な、なんだよ」
驚きに目を剥いた村人たちが、オニキスの上から下へ視線を流すと、あちこちからざわざわと声が上がり始める。
「この子が?」
「こんなに小さいのに、なんとまあ……」
「威勢がいいだけじゃなく、本当に勇敢な坊主だったんだな」
「ちびちゃん、よくやってくれたねえ」
村人たちから次々と向けられる言葉に、オニキスの眉間へ皺が寄った。
そのとき、周囲のざわめきを割るように、ひときわ元気な声が飛び込んだ。
「オニキス、すっごく大きくなって、悪い魔族をやっつけたんだよ!」
母親に抱き締められていたニィナが、待っていましたとばかりに身を乗り出していた。
「大きく?」
「そうだよ! 勇者様よりもずっと大きくなったの!」
「すっごく大きい翼もあったよ!」
ニィナに続いて、ジョンが両腕をいっぱいに広げる。
「その前に、魔族が持ってた大きな石を食べたんだ」
「ばりばり噛んでた!」
「そうしたら急に大きくなって、悪い魔族を何度も殴ったんだよ!」
子供たちは親の腕の中から飛び出すと、次々に古城で見た出来事を我先にと話し始めた。
村人たちは、困惑した顔で互いを見合わせている。
「同じ術にかけられていたから、皆で同じ幻でも見たのか……?」
「操られていた影響かしら……」
そんな半信半疑の呟きがそこかしこから聞こえ始め、アメシスは一瞬だけ苦笑いを浮かべた。だが、すぐに気持ちを切り替えるように頷いた。
「そうですね。魔族の術を受けていた影響で、見たものと実際に起きたことが混ざっているのかもしれませんが、すぐに落ち着くと思います」
「はあ!? ガキどもの言ってることは本当のことだろうが!!」
横からオニキスの怒声が飛んだ。
「あれが俺様の本来の――むぐーーーっ!!」
すべてを言い終えるより早く、アメシスの手がその口を塞いでいた。
オニキスは口元を覆うアメシスの手を引き剥がそうともがきながら、忌々しげに彼女を睨み上げた。
「ですが、オニキスくんが魔族の術を破ってくれたのは本当のことです。この子が勇気を出してくれたから、子供たちも動物たちも無事だったんですよ」
「んんんっ!?」
その言葉に、村人たちのあいだから改めて感嘆の声が上がり、オニキスへ向けられる眼差しも温かなものへ変わっていく。
「ありがとう、オニキスくん」
ニィナの母親から礼を告げられ、オニキスの動きが一瞬止まった。
ほかの親や村人たちからも次々と感謝の言葉が飛んでくると、オニキスはアメシスの手を振り払い、居心地が悪そうに顔を背けた。
「俺様は、あの石が欲しかっただけだ」
「あの石を壊したから術も解けたのよ。だから、あなたが助けたことに変わりはないわ。本当にありがとうね、オニキスくん」
「チッ。……そういうことにしておけ」
オニキスはそれ以上何も言わず、深く被ったフードの奥へ顔を隠した。
「それで、勇者様。家畜たちは……?」
村人の一人が、不安げに尋ねた。
「家畜も無事です。ただ、牛や馬だけでなく、羊や山羊、鶏までいましたので、私たちだけでは連れて帰れませんでした。いまは森の奥にある古城にいます」
「古城……というと、あの尖塔が見える場所ですよね?」
「はい。山の斜面に建っている、大きな石造りのお城です」
アメシスが答えると、村人たちのあいだから驚きの声が上がった。
「あんなところにいたのか」
「俺たちが子供の頃は、よく肝試しに行ったものだ」
「懐かしいな。ずいぶん長いこと、近くまで行ってなかったが……」
村人たちにとって、森の上へ突き出した尖塔は昔から見慣れたものだったらしい。
だが、半年ほど前から森の動物が荒れ始め、巨大な魔物まで目撃されるようになったことで、森の奥まで入る者はいなくなり、古城へ足を向けることもなくなっていたようだった。
「いまから急げば、暗くなる前に連れ帰れるな」
「なら、すぐに迎えに行こう。牛や馬はともかく、羊と山羊をまとめるには人数がいるぞ」
「荷車も出した方がいい。鶏を入れる籠も必要だ」
家畜が無事だと知るや否や、村の男たちは慌ただしく動き始めた。
牛や馬を引くための縄が納屋から運び出され、鶏を入れる籠が荷車へ次々と積み込まれていく。
誰が何を連れ帰るのか、誰が荷車を引くのか。相談する声があちこちから飛び交い、村の入口はたちまち騒がしくなった。
やがて準備を終えた一団は、日が暮れる前に家畜を連れ帰ろうと、揃って森へ続く道を歩き出した。
アメシスたちは村に残り、賑やかな声とともに遠ざかっていく男たちの背中を見送った。




