第24話〜うるせえ!
――ぼふっ!!
弾けるような音とともに、オニキスの身体から白い煙が勢いよく噴き出した。
「きゃっ!」
「うわあっ!」
不意に吹きつけた強い風が、オニキスと向き合っていたアメシスの顔を真正面から打つ。背後からも子供たちの驚いた声が重なった。
瞬く間に辺りは濛々とした煙に包まれ、何も見えなくなっていく。
アメシスは煙と風を避けるように反射的に身をよじった――が、その瞬間、頬から顎までを押さえ込んでいた手と、腰を抱いていた腕の拘束が同時に解け、身体に触れていた逞しい胸板の感触も消えた。
「え――」
目の前から大きな存在が消え、代わりに手元で何かが落下しかけている。
何が起きたのか理解するより先に、アメシスは咄嗟に両腕を伸ばし、煙の中から落ちてきた小さな身体を抱き留めていた。
白い煙はなお濃く立ち込め、腕の中に何がいるのかさえ見えない。
息を吸った拍子にその煙が喉へ入り込み、咽せ込んでしまうほどだ。
「こほっ……すごい煙……」
腕の中の身体を抱えたまま、アメシスはしばらく咳き込んでいた。
やがて、辺りを覆っていた白い煙が少しずつ晴れていく。
その向こうから現れたのは、見慣れた黒い髪と、小さな翼角だった。
「オニキスくん?」
先ほどまでアメシスを抱き寄せ、上から見下ろしていた巨体は、どこにもなかった。
代わりにいたのは、幼い姿へ戻り、いつものようにアメシスの胸元へ抱き込まれたオニキスだった。
「……クソが」
忌々しげな声音は、先ほどまでの低く重いハイバリトンではない。すっかり聞き慣れた少年の声――ボーイソプラノのそれだった。
オニキスは小さくなった手へ目を落とし、険しい顔で拳を握っている。
「大丈夫? どこか痛いところとかない?」
アメシスは抱き留めたオニキスの様子を確かめながら、怪我がないかと頭や肩へ触れていく。
「触んな」
「でも、急に小さくなったのよ。何か身体に異変が――」
「何もねえ!」
「本当に?」
心配そうに顔を覗き込まれ、オニキスは苛立たしげに舌打ちした。
魔晶石から取り込んだ魔力が、なぜか尽きていた。
普通なら、これほど短い間に使い果たせるはずもない量を、あの原石から取り込んだ。それにもかかわらず、せっかく元の姿へ戻った身体は、再び幼い姿へと逆戻りしている。
その原因はオニキス自身にもわからなかったが、そのこと以外に身体の異常は感じなかった。
そんなことよりも――
オニキスは険しい顔のまま、アメシスの唇を凝視した。
触れた。
それだけは間違いなかった。
唇に柔らかなものが触れた感覚は、確かにあった。
にもかかわらず、アメシスは唇を気にする素振りすら見せない。それどころか、また幼い姿に戻ったオニキスを心配し、身体のあちこちを確認してくる。
もしかすると、気づいていないのか。
そう思った途端、オニキスの眉間に皺が寄る。それを見て、アメシスがきょとんと首を傾げた。
「……オニキスくん」
「あ?」
「変な顔してどうしたの?」
「なんでもねえ!」
「そう? ならいいんだけど」
安心したように息をつくアメシスを見上げ、オニキスは眉間の皺をますます深くした。
アメシスは、何も分かっていない。
いつまでも子供扱いするアメシスに、自分が子供ではなく男なのだと分からせてやるつもりだった。
それなのに、先ほど何をされようとしていたのかも、唇へ触れたものが何だったのかも、まるで気にしていない顔だった。
問い質そうにも、それではアメシスに何をしようとしたのかを、自分から白状するようなものだ。
それだけは、オニキスのプライドが許さなかった。
オニキスが言葉を呑み込んだ、そのときだった。
「ねえ、オニキス」
背後から聞こえた声に、オニキスはアメシスに抱かれたまま振り返った。
先ほどまで六人を守っていた水の膜は、いつの間にか解けている。
子供たちはアメシスのすぐ近くまで寄ってきており、その先頭で、ニィナが目を輝かせていた。
「オニキス、勇者様のこと好きなんだね!」
「……は?」
一瞬、広間がしん……と静まり返った。
その沈黙を破り、子供たちが口々に騒ぎ始めた。
「だって、さっきおっきくなったオニキス、勇者様をぎゅってしてた!」
「顔もすごく近かったよ! 顎ぐいってしてさ!」
「ちゅーしようとしてたよね!!」
「あとちょっとだったのに惜しかったね!」
次々と飛んでくる言葉に、オニキスの顔がみるみる赤く染まっていく。
「してねえ!」
「でも、しようとしてたよね?」
「してねえっつってんだろうが!」
オニキスが怒鳴り返しても、子供たちはまるで怯まない。
その騒ぎを聞きながら、アメシスは何度か目を瞬かせた。
「……ちゅー?」
自らの唇へ、そっと指先を触れる。
煙が弾けた瞬間、唇に何かが掠めたような感覚が蘇った。だが、オニキスの唇が触れたのか、それとも勢いよく吹きつけた風をそう感じただけなのかまでは、よく分からなかった。
アメシスは、胸元に抱き留めているオニキスへ視線を落とした。
「あなた、私にちゅーしようとしたの?」
「テメェまで真に受けんな! あと、ちゅーとかガキみてえに言ってんじゃねえ!!」
「さっき、確かに顔を近づけてきたわよね?」
「うるせえ!」
「オニキス、顔真っ赤!」
「黙れ! ガキども!」
オニキスの怒鳴り声と、子供たちの楽しげな声が広間に響き渡る。
子供たちへ顔を向けたまま怒鳴り返すオニキスを見下ろすアメシスの頬にも、遅れてじわじわと赤みが差してくる。
まさかそんなことをされかけていたとは思いもよらず、いまになってようやく認識が追いついたようだ。
それでも、オニキスが本当に何をしようとしていたのか問い詰めようと、真剣な顔で口を開きかけた――が、その問いが声になるより先に、突如として甲高い笑い声が割り込んだ。
「なーっはっはっは! これで勝ったと思うなよ!」
その声に、アメシスたちが一斉に玉座の方へ顔を向けると、先ほどまでその場に転がっていたはずのゴブルの姿が、すでにどこにもなかった。
「余は不死身、不死身なり! たとえ余を倒そうとも、いずれ第二、第三の余が現れ、魔獣帝国の再建を誓うのだ――!」
声は古城の奥から幾重にも反響し、次第に遠ざかっていった。
あとには、奇妙な静けさだけが残された。
「……逃げたね」
子供の一人が、ぽつりと言った。
オニキスは呆れたように鼻を鳴らし、アメシスはゴブルの消えた玉座の周りをしばらく見つめた。
やがて、アメシスは背後にいる六人の子供たちへ目を向ける。
魔晶石の支配から解放された動物たちも、オニキスの魔力に怯えて城の外へ逃げており、あたりは静かだった。
子供たちも家畜たちも無事で、差し迫った危険はすでに去っている。
「……とりあえず、帰りましょうか」
アメシスは腕の中にいるオニキスを抱き直すと、何事もなかったように告げるのだった。




