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第19話〜そこで待っていて

「行け、我が魔獣帝国の軍勢よ! 邪魔な大人を倒せ! ただし、子供には手を出すでないぞ!」


 ゴブルが杖を振り上げ、広間に響き渡る声で命じた。

 その声に呼応して、薄暗い回廊に浮かんだ赤い目が、一斉に動き出す。


 蹄が石床を蹴り、爪が乾いた音を立てる。

 開け放たれた出入り口から、鹿や猪をはじめとした獣たちが、謁見の間へ雪崩れ込んできた。


 アメシスは咄嗟にオニキスの前へ進み出ると、彼を背に庇うように、迫り来る獣たちへ向き直った。


「オニキスくんは、子供たちのところに行っていて!」


「……ああ」


 アメシスの言葉に、オニキスは素直に返事をした。

 いつもなら文句の一つや二つ、鋭く返すところだが、オニキスはそれ以上何も言わなかった。


 その黒い瞳は、ゴブルが掲げる杖の先端――大人の拳ほどもある黒紫色をした魔晶石の原石に釘づけになっていた。

 そこから溢れ出す濃密な魔力に、すっかり意識を奪われている。


 アメシスは、オニキスが上の空で返事をしたことに気づかないまま、フルートを唇へ当てた。

 息を吹き込むと澄んだ音色が広間に響き、紫と緑の光が左右へ飛び出していく。


 紫色の光を纏った土の精霊が石床へ両手を向けると、床が大きく隆起し、先頭を駆けてきた猪の前に土壁となって立ちはだかった。

 猪は行く手を阻まれて急停止したものの、後ろから続いていた鹿が勢いを殺しきれず、その身体に激しくぶつかる。


 ほかの獣たちが土壁の左右へ進路を変えたところで、待ち構えていた風の精霊が緑の光を煌めかせ、両腕を大きく薙いだ。

 巻き起こった横殴りの風が何頭もの身体を押し戻し、獣たちは互いにもつれながら回廊へ転がっていく。


 衝撃で気を失ったものもいたが、倒れた獣の多くはすぐさま身を起こした。

 赤く濁った目をアメシスへ向け、低い唸り声を上げながら、再び謁見の間へ踏み込んでくる。


 不意にその足元を縫うように、小動物たちが素早く駆け抜けていった。

 兎や栗鼠が、乱雑に隆起した床の隙間をすり抜け、壁際を伝ってアメシスの背後へ回り込もうとしている。どこかで翼が羽ばたく音も重なり、数羽の鳥が飛び込んできた。


 足元と頭上へ素早く視線を走らせ、アメシスは咄嗟に旋律を変えた。

 変化した音色に応じ、土の精霊が小動物たちの進路を塞ぎ、風の精霊が飛び込んできた鳥を広間の端へ押し流していく。


 倒そうと思えば、難しい相手たちではない。

 だが、どの獣もゴブルに操られているだけだ。傷つけずに動きを止めようとすれば、それだけ精霊たちへ細かな指示を送り続けなければならなかった。


 その隙を縫うように、風を逃れた一羽の鳥がアメシスの顔へ飛びかかってきた。

 鋭い嘴が頬のすぐ脇を掠め、アメシスは咄嗟に上体を反らす。


「勇者様!」


 壇上の傍らから、ニィナの声が飛んでくる。


 アメシスは一度フルートを唇から離し、ニィナたちへ声を返した。


「大丈夫よ。そこで待っていて」


 そう言うと、すぐさまフルートを構え直す。


 水の精霊が広げた膜は、六人を獣たちから守ると同時に、彼らが外へ飛び出すのも防いでいる。


 だが、その膜のすぐ外を栗鼠が走り抜け、頭上を小鳥が飛び交っていても、六人へ牙や爪を向ける獣はいなかった。

 どうやら獣たちは、邪魔な大人を倒し、子供には手を出すなというゴブルの命令に、忠実に従っているらしい。


 アメシスはそれを確かめ、僅かに安堵した――が、ふと、そこに子供が一人足りないことに気づいた。


「え? え!? オニキスくん!?」


 アメシスは演奏を中断し、迫る獣たちを避けながら、慌てて広間を見回した。


 横手から突進してきた鹿が、大きな角を振り上げる。

 アメシスが咄嗟に身を捻ると、鋭い角が肩口すれすれを掠めていった。それでも足を止めず、なおも黒い少年の姿を探す。


 子供たちのそばにはいない。

 土壁の陰にも、広間の端にも見当たらない。


 やがて、行き交う獣たちの向こうに、小さな黒い背中を見つけた。


 オニキスは子供たちのもとへ向かうどころか、広間の中央を堂々と横切り、まっすぐゴブルへ近づいていた。


 獣たちは、まるでそこにいないかのようにオニキスの脇を駆け抜け、ただただアメシスだけを目がけて襲いかかってくる。

 ゴブルの命令によって、オニキスもまた、襲ってはならない子供の一人として扱われているのだろう。


 だが、だからといって、安心できるはずがない。


「オニキスくん、どこに行くの!? そっちは危ないから!」


 アメシスが呼び止めても、オニキスは振り返らなかった。


 その黒い瞳は、ゴブルが抱える杖の先端――黒紫色の魔晶石の原石だけを見つめている。


 アメシスはあとを追おうとしたが、その進路に猪が割り込んできた。

 突き出された牙を横へ跳んでかわし、再びフルートを唇へ当てる。

 鋭い音色に応じて床が隆起し、猪の巨体を押し戻した。


 そのあいだにも、オニキスは獣たちに阻まれることなく、ゴブルとの距離を着実に詰めていった。


「む……? 貴様、よく見ると人間ではないな?」


 獣たちがアメシスへ襲いかかる様子にすっかり悦に入っていたゴブルは、いつの間にか目の前まで来ていたオニキスへ、ようやく意識を向けた。


 黒い外套のフードの左右から突き出した、艶やかな一対の翼角。さらに、人間とは異なる魔力が、その小さな身体から漂っている。


 ゴブルの顔に、すべてを察したとでもいうような得意げな色が浮かんだ。


「そうか! 誇り高き魔族の身でありながら、あの人間の女に無理やり従わされておるのだな!」


「あ?」


「皆まで言うな。余には分かっておるぞ!」


 何も言っていないオニキスをよそに、ゴブルは自らの推測に大きく頷いた。


「そこな魔族の子よ! 特別に、貴様を我が魔獣帝国軍の大元帥に取り立ててやろうぞ! あの女を見限り、偉大なる帝国の礎となるがよい!」


 尊大に言い放つゴブルの声を、オニキスはほとんど聞いていなかった。


 オニキスの黒い瞳は、すぐ目の前にある魔晶石の原石だけを捉えていた。


 これまで手に入れた欠片とは比べものにならないほどの魔力が、その黒紫色の宝石の内側で渦巻いている。


 これだけあれば、失った力を大きく取り戻せる。


 オニキスは杖の先端を見上げ、迷いなく片手を伸ばした。


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