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第18話〜解放しなさい

「何者だ! 余の許しもなく、この神聖なる謁見の間へ――」


 謁見の間に足を踏み入れた二人へ、玉座の前に垂らされた帳の向こうから、鋭い声が飛んだ。


 その誰何とほぼ同時に、アメシスは腰元からフルートを抜き取り、素早く唇へ当てていた。

 澄んだ音色が広間に響き渡った瞬間、彼女の周囲に浮かんでいた三人の精霊が、一斉に光を強めた。


 紫色の光を纏った土の精霊が、石造りの床へ両手を向ける。


 低い地鳴りとともに床石がひび割れ、その下から土が一気にせり上がった。隆起した土は、壇上の傍らに並ぶ子供たちと玉座のあいだを遮るように、分厚い壁を作り出す。


「な、何だ!?」


 帳の向こうから、狼狽した声が上がる。


 続いて、風の精霊が両腕を大きく広げた。

 緑色の光が瞬き、謁見の間を満たす空気が激しく渦を巻いたかと思うと、収束した風が突風となって玉座へ一気に押し寄せる。


「ぬおおおおっ!?」


 玉座を覆い隠していた帳が風をはらんで大きく膨らみ、支柱から外れて宙へ舞い上がった。


 その向こうにいた小さな影もまた、悲鳴を上げながら玉座から吹き飛ばされた。


 影は壇上へ落ち、何度も身体を打ちつけながら階段を転がり落ちていく。

 やがて、広間の床へ叩きつけられ、うつ伏せになってようやく止まった。


 小柄な身体を包んでいるのは、その背丈には不釣り合いなほど大仰な衣装だった。


 肩から掛けた赤黒い外套には、金糸の刺繍と毛皮の装飾が施されている。

 頭にも先端の尖った黄金色の冠を載せていたらしいが、それは吹き飛ばされた拍子に外れ、持ち主とは別の方角へ虚しく転がっていった。

 それでも、手にした杖だけは離さずに死守していた。


 転がり落ちてきた人物の肌は黄緑色で、耳は横へ長く尖っていた。長い鼻と、大きく裂けたような口を持つその顔立ちは、人間のものではない。

 背丈はいまのオニキスと大差なく、大仰な衣装に包まれた姿も相まって、帳の向こうから声だけを響かせていたときほどの威圧感は、どこにも残っていなかった。


 露わになった相手の姿を前に、アメシスはきょとんと目を瞬かせた。

 その隣で、オニキスは黄緑色の魔族をしばし無言で見下ろし、拍子抜けした様子で片眉を吊り上げていた。


「なんだ。やたら偉そうにふんぞり返ってるから、どんな奴かと思えば……ただのゴブリンじゃねえか」


「ゴブルである!」


 床に這いつくばったまま、声の主は勢いよく顔を上げた。


「吾輩の名はゴブル! 偉大なる魔獣帝国の皇帝にして、いずれ魔王軍四天王の一角たる魔獣王の座に就く鬼才である! そんじょそこらにいるゴブリンどもと一緒にするでない!!」


「魔獣王だあ?」


「そうだ! 現魔獣王を打ち倒し、吾輩がその座を奪ってやるのだ!」


「ほぉん。骨は拾ってやんねえが、肉片くらい残るといいな」


「なぜ吾輩が負ける前提なのだ!?」


「テメェが雑魚ゴブリンだから」


「だから違うと言っておろうが! 吾輩は偉大なる魔獣帝国の皇帝であり、魔王軍四天王の次期魔獣王として、咆獣軍を率いる天才であるぞ!」


「どんだけ盛っても大して変わらねえだろ」


「全然違うわ!」


 ゴブルは声を張り上げながら立ち上がると、床に転がった冠へ慌てて駆け寄り、拾い上げて頭に載せ直した。


 その一連の様子に呆気に取られていたアメシスは、それでもフルートの構えを解かないまま、彼が騒ぎのあいだも手放さなかった杖へ視線を移した。


 杖の先端には、大人の拳ほどもある黒紫の宝石が取りつけられていた。

 濃く澱んだ魔力がそこから溢れ出し、広間全体に満ちている。


 さらに、魔力の一部は細い流れとなって、土壁によって玉座から隔てられた子供たちへと繋がっている。


「大人しく、村から連れ去った子供たちと家畜を解放しなさい」


 アメシスの声からは普段の柔らかさが消え、勇者としての強い意志を宿した鋭い響きだけが残っていた。


「断る!」


 ゴブルは杖を胸元へ抱え込み、即座に言い返した。


「あれらはすべて、我が魔獣帝国の大切な財産だ! 家畜どもには帝国を支える糧となってもらい、子供たちにはその世話をさせる。皇帝たる吾輩が直々に役目を与えてやったのだ。むしろ光栄に思うべきであろう!」


「本人たちの意思を奪って連れてきておいて、何を言っているの」


「皇帝が臣民へ命を下すのは当然である!」


「臣民じゃねえだろ。操って誘拐しただけじゃねえか。ショボイ誘拐犯もいたもんだな」


「う、うるさい!」


 図星を突かれ、ゴブルの顔がみるみる赤くなった――かと思えば、不意にはっとし、二人へ目を向けた。


「そ、そうだ! 貴様ら、どうやってここまで入ってきた! 我が帝国を守る獣の軍勢は何をしておったのだ!」


「森にも城の中にも随分いたけど、襲ってこなかったわよ」


「何だと!?」


「子供を襲うなって命令してたんじゃないの?」


「…………」


 ゴブルは半端に口を開いたまま、アメシスと、その隣に立つ子供――オニキスを交互に見比べた。


 やがて、自分が下した命令によって子連れの大人まで素通りさせてしまったことに思い至ったらしい。その顔が、僅かに引き攣った。


 ゴブルは何かを言い返そうと口を開き、結局何も浮かばなかったのか、そのまま閉じた。


「罠まで外しておいて、ほんと親切野郎だな。面倒がなくて助かったぜ」


「貴様らへの施しではないわ!」


 オニキスの嘲るような笑い声が広間に響くなか、悔しげに歯を食いしばっていたゴブルの表情に、不意に余裕が戻った。


「ふ、ふん。城へ入り込めた程度で、吾輩を追い詰めたつもりになるでないぞ。森の主たる魔獣、鎧甲熊をこの場へ呼び寄せ、貴様らなんぞ赤子の手を捻るように撃退してやろうぞ!」


 言うや否や、ゴブルは黒紫の宝石を戴く杖を振り上げかけた。


「あの熊なら、もう倒したわよ」


 杖が、頭上でぴたりと止まる。


「…………何?」


「俺様が仕留め方を考えてやって、こいつが串刺しにした。テメェが仕込んだ魔晶石の欠片も、俺様が貰ったぜ」


 ゴブルは杖を掲げかけた姿勢のまま固まり、その顔から見る間に血の気が引いていった。


「そ、そんな馬鹿な……! あれは吾輩の魔獣帝国において、最強の――」


 言いかけて、ゴブルは我に返ったように口を噤んだ。


 動揺を誤魔化すように咳払いをすると、杖を床へ突き立て、再び尊大に胸を反らす。


「ふ、ふん! 鎧甲熊は、我が魔獣帝国が四天王の中でも最弱! あれを倒した程度で、いい気になるでないぞ!」


 アメシスの表情が、僅かに険しくなった。


「あんな魔獣が、ほかに三体もいるの!?」


「…………」


 ゴブルは答えなかった。


 アメシスはフルートを構え直し、警戒するように周囲の気配を探る。

 オニキスも笑みを消し、何かが現れるのを待つように広間の出入り口へ目を向けた。


 しばしの沈黙の末、ゴブルがぼそりと口にした。


「……現在、鋭意選定中である」


「鎧甲熊一匹しかいねえんじゃねえか!」


「これから増えるのだ! 帝国とは、少しずつ大きくしていくものであろう!」


 オニキスの怒鳴り声に、ゴブルも負けじと声を張り上げた。


 その姿を見つめていたアメシスは、短く息を吐いた。

 ゴブルがどれほど大仰な言葉を並べようと、子供たちを操り、家畜を連れ去った事実は変わらない。


「もう一度だけ言います。子供たちと家畜を解放しなさい」


「断ると言っておろう!」


 ゴブルは杖を両手で握り、先端の宝石――魔晶石を高く掲げた。


「貴様らさえ片づければ、吾輩の計画を邪魔する者はいなくなる! 我が帝国の全軍をもって、ここで消し去ってくれる!」


 黒紫の魔晶石が、強い光を放った。


 そこから溢れ出した魔力が幾筋にも分かれ、謁見の間の壁や床を抜けて、城中へ広がっていく。


 同時に、六人の小さな身体が、揃ってぐらりと揺らいだ。


「みんな!」


 アメシスが呼びかけると、虚ろだったニィナの瞳から赤い濁りが薄れていく。

 ハンスとジョンをはじめ、並んでいたほかの子供たちも次々に力を失い、その場に崩れ落ちかけた。


 青い光が素早く飛び込み、水の精霊が作り出した水の膜が、六人の身体を柔らかく受け止める。


「う……ん……」


 ニィナの口から、微かな声が漏れた。


「……あれ? 勇者様?」


「オニキスもいる! なにしてんの!」


「わ! なにここ!!」


 正気を取り戻した子供たちは、見知らぬ広間を見回しながら、口々に戸惑いの声を上げた。


 アメシスが安堵する一方で、オニキスは広間の外へ広がっていく魔力を追い、顔を顰める。


「ガキどもに使ってた力を、獣どもに回しやがったな」


 その言葉を裏づけるように、城の奥から低い唸り声が響いた。


 一つではない。


 重い蹄が石床を打つ音。

 鋭い爪が床を引っ掻く音。

 荒い息遣いと、幾重にも重なる獣の咆哮。


 それまで城内の各所で大人しくしていた動物たちが、一斉に謁見の間へ向かってくる。


 開け放たれた出入り口の向こう。

 薄暗い回廊を埋め尽くすように、赤く濁った無数の目が浮かび上がった。


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