第15話〜なんでもねえ
板張りの壁の隙間から差し込む朝の光が、敷き藁の上まで伸びていた。
村はすでに朝を迎えていたが、アメシスとオニキスはまだ穏やかな寝息を立てている。
その静けさを破るように、激しく木戸を叩く音が納屋の中に響き渡った。
「勇者様! 起きておられますか!!」
「ん……」
切迫した呼び声に、アメシスは重い瞼を持ち上げた。
隣の寝床は空で、腕の中にはいつものようにオニキスが収まっていた。
いつの間に移ってきたのか、アメシスにはまるで覚えがない。
小さな翼ごと抱き込まれていたオニキスも、木戸を叩く音に長い耳を震わせ、鬱陶しそうに眉を寄せる。
「何だ、朝っぱらから……」
「勇者様!」
「は、はい! 起きています!」
アメシスは慌てて身を起こしかけ、昨夜のうちに寝間着へ着替えていたことを思い出した。
「わわ、ちょっと待っていてください。いま着替えますので!」
「その前に! オニキスくんはいますか!?」
木戸の向こうから飛んできた問いに、アメシスは目を瞬かせた。
眠気の残っていたオニキスの黒い目も、僅かに鋭くなる。
「ええ、いますけど……」
「そうですか……よかった」
安堵したような声が返ってきた。
アメシスは腕の中のオニキスと顔を見合わせる。
なぜ真っ先にオニキスがいるかと尋ねられたのか、二人には分からなかった。
「何なんだ」
「分からないわ。とにかく、急いで着替えましょう」
アメシスは掛け毛布から抜け出し、昨夜のうちに繕っておいた服へ手を伸ばした。
オニキスも渋々起き上がり、黒い外套を羽織る。背中の小さな翼を布の内側へ収め、長い耳を窮屈そうにフードの中へ押し込んだ。
自分の身支度を整え、オニキスの長い耳と小さな翼もきちんと隠れていることを確かめると、アメシスは納屋の木戸を開いた。
朝の光とともに目に飛び込んできたのは、納屋を取り囲むように集まった大勢の村人だった。
先頭に立つ村長の後ろには、青ざめた顔の男女が何人も並び、そのさらに後ろにも、不安げな村人たちが詰めかけている。
木戸のそばに立つオニキスへ、村人たちの視線が一斉に向けられる。
その視線を受け、オニキスは黒い目を鋭く細めた。
「……何だよ」
「ああ、本当に無事だった……」
「オニキスまでいなくなっていたら、どうしようかと……」
村人たちから、安堵の息が次々に漏れた。
自分へ向けられた視線に敵意がないと見て取り、オニキスは僅かに警戒を緩めた。それでも、眉間に刻まれた皺は消えない。
「さっきから何の話をしてやがる」
アメシスも周囲の村人たちを見回し、その尋常ではない様子に表情を引き締めた。
「何があったんですか?」
村長は一度言葉を詰まらせたあと、重い口を開いた。
「夜明け前に……村の子供たちが、いなくなりました」
「子供たちが……?」
「はい。ニィナとハンス、ジョン。それから、カール、エルナ、マリーの六人です」
つい昨夜まで笑いながらオニキスを追い回していた三人の名に、アメシスの顔つきが険しくなった。
集まった村人の中には、ニィナたちの両親もいた。
ニィナの母親は夫に身体を支えられ、青ざめた顔で唇を震わせていた。
「何が起きたのか、詳しく聞かせてください」
「夜明け前、ニィナが突然寝床から起き出して、森へ向かって歩いていったんです。呼びかけても、まるで聞こえていないようで……」
ニィナの母親が、掠れた声で答えた。
「腕を掴んで止めようとしました。そうしたら、何かに弾き飛ばされて……」
「ほかの子供たちも同じだったそうです」
村長が、母親の言葉を引き継いだ。
「誰が手を伸ばしても、目に見えない力に阻まれて、触れることさえできなかったと……」
「それで、六人とも森へ?」
村長が重々しく頷いた。
「親たちは村の外れまであとを追いましたが、子供たちはそのまま森へ入ってしまいました」
「俺たちも、すぐに森へ入ろうとしたんです。子供たちだけで、あんな場所へ行かせておけるはずがない!」
ニィナの父親が、堪えきれないように口を挟んだ。
「ですが、昨日まで獣が荒れていた森です。それに、子供たちの周りに働いていた力が何なのかも分かりません。救いに向かった者まで戻らなくなってはならないと、ひとまず私が皆を止めました」
村長は苦渋の滲む顔で、アメシスを見つめた。
「それで、こうして勇者様のもとへ……」
アメシスは唇を引き結び、森の方角へ目を向けた。
「いなくなったガキどもの年齢は?」
不意に、オニキスが尋ねた。
アメシスと村長が、小さな黒い少年へ目を向ける。
「一番上のカールが十一歳です。一番下のマリーは、まだ五歳で……村にいるその年頃の子供が、一人残らずいなくなりました」
「ほかに残ってるガキは」
「十二歳以上の子供たちは、全員無事です。ただ、マリーより幼い子供たちも、同じ頃に一斉に泣き出したそうです。乳飲み子まで、火がついたように泣いていたと」
オニキスは黙り込み、僅かに目を伏せた。
その様子に、アメシスが眉を寄せる。
「オニキスくん?」
「……あん時の声か」
「声?」
オニキスは顔を上げ、村の向こうに広がる森を睨んだ。
「夜が明ける前に、声が聞こえた。“来い”、“森へ来い”って、何度も繰り返してやがった」
村人たちのあいだに、ざわめきが広がった。
いまここに集まっている大人たちの中に、その声を聞いた者は一人もいなかったのだ。
「オニキスくん、その声が聞こえていたの?」
「ああ。微かだが魔力が乗っていやがった」
「では、子供たちはその声に操られて……」
村長が、強張った声で呟いた。
「たぶんな。俺には効かなかったが、あのガキどもは意識ごと持っていかれたんだろ」
「どうして、すぐに起こしてくれなかったの?」
「テメェが俺を抱え込んで放さなかったんだろうが!」
「え?」
「……なんでもねえ!」
オニキスは村人たちから顔を背け、忌々しげに舌打ちした。
アメシスはなおも首を傾げていたが、すぐに表情を引き締めた。
村長もまた、沈痛な面持ちで口を開いた。
「家畜に続いて、今度は子供たちまで……」
「同じ奴の仕業だろうな」
魔晶石の欠片を獣や魔獣に仕込み、凶暴化させた何者かがいる。
そして、その者が家畜を呼び寄せ、今度は村の子供たちまで連れ去ったと考えれば、すべてが一本に繋がる。
アメシスは納屋の中へ戻り、壁に立てかけていたグレイブを背負った。腰にフルートを下げ、荷物の中から森へ入るために必要なものを取り出していく。
「すぐに子供たちを捜しに行きます」
「私も行きます!」
ニィナの母親が、夫の腕を振りほどくように一歩前へ出た。
その隣へ、ニィナの父親も無言で進み出る。
ほかの親たちや村の男衆からも、同行を申し出る声が次々に上がった。
アメシスは支度を終えると、縋るように見つめる村人たちへ向き直った。
「お気持ちは分かります。ですが、森で何が待っているのかも分からない以上、皆さんまで危険に晒すわけにはいきません」
「ですが……!」
「それに、子供たちが自分で戻ってくるかもしれませんから。そのとき、すぐに迎えてあげられるよう、村で待っていてください」
それでも、親たちは簡単には頷けずにいた。
なおも迷う彼らを見て、オニキスが苛立たしげに鼻を鳴らした。
「ぞろぞろついてこられても邪魔なだけだ。ガキを捜しながら、テメェらまで守ってやる余裕はねえ。大人しくここにいろ」
「オ、オニキスくん……」
「何だよ。本当のことだろうが」
オニキスの言い方はあまりにも容赦のないものだったが、その内容を否定できる者はいなかった。
押し黙ってしまった村人たちを前に、アメシスは親たちの顔を一人ずつ見つめ、迷いのない声で口を開く。
「私が、必ず子供たちを連れて戻ります。ですので、皆さんは待っていてください」
三人の精霊も彼女の周囲へ集まり、任せろと言うように色とりどりの光を瞬かせる。
村長は沈黙したままアメシスを見つめていたが、やがて深く頭を下げた。
「どうか……子供たちを、よろしくお願いいたします」
アメシスは力強く頷くと、オニキスとともに、朝露に濡れた村外れの道へ歩み出た。
そこには、森へ向かって迷いなく続く、六人分の小さな足跡が残されている。
二人は村人たちに見送られながら、そのあとを追い、再び薄暗い森の中へ足を踏み入れた。




