第13話〜まだ終わってねえ
納屋へ戻ったアメシスは木戸を閉め、吊り下げられた灯りに火を点けた。
橙色の光が、壁際に並んだ二人分の敷き藁の寝床を照らし出す。新しい藁の上には、それぞれ敷き毛布と掛け毛布が用意されていた。
オニキスは黒い外套を脱ぎ、自分の寝床に腰を下ろした。窮屈なフードから解放された長い耳が左右へ伸び、背中の小さな翼も、外套の下から抜け出すように広がる。
アメシスもグレイブを壁に立てかけると、鎧甲熊に裂かれた外套を脱ぎ、荷物のそばに置いた。
それから薬と新しい布、ガーゼを荷物の中から取り出し、手の届くところに並べた。
着替えを済ませ、応急手当てのために巻いていた布を解いていく。
腕を斜めに走る傷からの出血は、すでに止まっていた。縫合が必要なほど深くはないものの、応急手当てのあとに滲み出た血が乾いて残り、傷口の周囲もまだ赤みを帯びている。
アメシスは水桶から汲んだ水で布を濡らし、傷口の周囲にこびりついた血をそっと拭っていく。
僅かに眉を寄せたのを、向かいから見ていたオニキスは見逃さなかった。
「痛えんじゃねえか」
「少し染みただけよ」
「どこがかすり傷だ」
「深くはないでしょう? もう出血してこないし、これくらいなら明日にはもっと良くなってるわ」
「そういうこと言ってんじゃねえんだよ」
オニキスは不機嫌そうに吐き捨てた。
アメシスは小さく笑い、傷に薬を塗ってガーゼを当てると、その上から新しい布を丁寧に巻きつけた。
「これで大丈夫」
「何が大丈夫なんだか」
なおも納得していない様子のオニキスをよそに、アメシスは鞄から裁縫道具を取り出し、鎧甲熊の爪に裂かれた外套と服を手元へ引き寄せた。
灯りのそばに座り直すと、針に糸を通していく。
「今度は何してやがる」
「見れば分かるでしょう? 破れたところを直すの」
「もう寝ろ」
「明日も森に入るのに、破れたままじゃ着られないでしょ。それに、勇者がこんな格好じゃ格好がつかないもの」
冗談めかして笑うアメシスに、オニキスは呆れたように眉間を揉んだ。
「……気にするとこ、そこかよ。んなもん朝やりゃいいだろうが」
「朝は森に入る準備をしないといけないじゃない?」
「テメェ、さっきガキどもに何言われたか忘れたのか」
「忘れてないわよ。だから、手当てもちゃんとしたし」
悪びれもせずに答え、アメシスは外套の裂け目を縫い合わせていく。
細い針が灯りを反射し、その手元で小さく光った。
オニキスはしばらくその様子を睨んでいたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「勝手にしやがれ」
「ええ、そうするわ」
オニキスはふんと鼻を鳴らすと、自分の寝床にごろりと横になり、アメシスに背を向けた。
しかし、長い耳だけはアメシスのほうへ僅かに傾き、その気配を窺っていた。
納屋の外から聞こえていた村人たちの声も、いつしか途絶えていた。食事会の片づけを終え、それぞれの家へ戻ったのだろう。
村は静かな夜へ沈み、家々に灯っていた明かりも、いまごろはほとんど消えているはずだ。
アメシスは手元へ視線を落としたまま、口を開いた。
「鎧甲熊が家畜を襲ったわけじゃないみたいよね」
「だろうな」
「あれだけ大きな魔獣が、何頭もの家畜を襲って食べたのなら、何かしらの痕跡が残るはず。血の跡も、毛も、骨も見つからなかった」
「そもそも、家畜は自分から森へ入っていったんだろ」
「ええ。村の人が見たとおり……本当に何かに呼ばれていたのかもしれないわね」
針を動かしていたアメシスの手が止まった。
「この前の大鹿と、今日の鎧甲熊。どちらにも魔晶石の欠片が仕込まれていた」
「偶然なわけがねえ。同じ奴の仕業だろうな」
「その何者かが、家畜も森へ呼び寄せたと思う?」
「さあな。だが、別々の奴が同じ森で好き勝手してると考えるよりは、そっちのほうが筋は通る」
「だとしたら、何のために……」
「知るか」
オニキスは敷き毛布の上で寝返りを打ち、アメシスのほうへ向くと、片肘をついて頭を支えた。
「……だが、まともなことを考えてるヤツじゃねえな」
家畜はどこへ消えたのか。
魔晶石の欠片を獣や魔獣に仕込んだ者は、何を企んでいるのか。
鎧甲熊を倒しても、どちらの答えも見つかってはいない。
「まだ終わってねえ」
「そうね」
アメシスは静かに頷き、再び針を動かし始めた。
「明日は、鎧甲熊がいた場所よりも奥まで調べてみるわ。家畜の足跡も、もう一度探してみましょう」
「ああ」
「オニキスくんも来るんでしょう?」
「当たり前だ。テメェ一人で行かせられるか」
答えた直後、オニキスは小さく欠伸をした。
誤魔化すように顔を背けたものの、アメシスの目にはしっかりと映っていた。
「眠いなら、先に寝ていいのよ」
「眠くねえ」
「無理しなくてもいいのに」
「うるせえな。テメェこそさっさと――」
言い切るより先に、今度は隠しきれない大きな欠伸が漏れた。
それきり、オニキスの声は続かなかった。
不意に静かになったことに気づき、アメシスがちらりと視線を向ける。
オニキスはいつの間にか敷き毛布に頭を預け、目を閉じていた。先ほどまでアメシスの気配を窺っていた長い耳からも力が抜け、ほどなく小さな寝息が聞こえ始める。
アメシスは何も言わず、僅かに目元を和らげた。
再び手元へ視線を落とし、灯りの下で外套の裂け目に針を通していく。
夜が更けるにつれ、灯りの炎は少しずつ小さくなっていく。
静まり返った納屋には、オニキスの小さな寝息と、ときおり外で鳴く虫の声、布に針を通す微かな音だけが残っていた。
やがて最後の裂け目を縫い終え、アメシスは糸を切った。
直した外套と服を丁寧に畳み、翌朝すぐに着られるよう、荷物のそばに置く。
凝り固まった肩を軽く回してから、自分も休もうと立ち上がったところで、アメシスは隣の寝床へ目を向けた。
眠っているあいだに動いたのだろう。
オニキスの掛け毛布は腰元までずり落ち、細い肩と小さな翼が夜気に晒されていた。
アメシスは藁を鳴らさないよう動きを忍ばせ、オニキスの寝床へ近づいた。
腰元で丸まった掛け毛布を拾い上げ、小さな翼を押し潰さないように気をつけながら、細い肩までそっと掛け直してやる。
オニキスは僅かに身じろぎしたが、目を覚まさなかった。
乱れた黒髪を指先で軽く整えると、アメシスは小さな声で囁いた。
「今日はありがとうね。おやすみ、オニキスくん」
アメシスは隣にある自分の寝床へ戻ると、灯りの炎を吹き消し、掛け毛布に潜り込んだ。
納屋の明かりが消えたのは、村中が寝静まってから、随分とあとのことだった。




