第12話〜ご安心ください
アメシスとオニキスが村へ戻った頃には、陽が西の空へ傾き始めていた。
森へ入る前には頭上高く昇っていた太陽も、いまは山の端へ近づき、村の家々と畑を茜色に染めている。
「勇者様だ!」
村の入口近くで遊んでいた子供たちが、二人の姿に気づいて声を上げた。
その声を聞きつけた大人たちも、畑や家々で作業の手を止め、次々に集まってくる。
真っ先に駆けてきたのは、やはりニィナ、ハンス、ジョンの三人だった。
「勇者様、おかえりなさい!」
「魔物はいた?」
「倒したの?」
三人は口々に尋ねながら、アメシスとオニキスを取り囲んだ。
「ただいま。森の奥に大きな魔獣がいたけど、無事に討伐できたわ。もう大丈夫よ」
「俺様が手ェ貸してやってんだ。倒せねえワケがねえ」
横から口を挟んだオニキスは、胸を張って両腕を組んだ。ふん、と鼻を鳴らす姿は、いかにも得意げだった。
「オニキスも一緒に戦ったの?」
「当然だ。俺様がいなけりゃ、こいつ一人じゃ――」
「勇者様、腕!」
得意げに功績を語ろうとしたオニキスを遮り、ニィナがアメシスの腕を指さした。
鎧甲熊の爪に裂かれた外套と袖の隙間から、応急手当てのために巻いた布が覗いている。
その布に僅かに滲んだ血を目ざとく見つけ、三人の顔から笑みが消えた。
「怪我したの?」
「痛い?」
「大丈夫?」
「これくらい、かすり傷よ」
アメシスは三人を安心させるように笑いかけたが、その隣でオニキスが負傷した腕を睨み、眉間に深い皺を刻んだ。
「血ぃ流してる奴が、かすり傷で済ませるんじゃねえ」
「でも、もう出血は止まってるから」
「そういう問題じゃねえだろうが」
低く言い切ったオニキスに、子供たちも同意するように揃って頷いた。
たちまち四人分の咎めるような視線を向けられ、アメシスは困り果てて眉尻を下げる。
「勇者様、今日はもう休まなきゃダメだよ」
「傷、ちゃんと洗った?」
「お薬も塗らないと」
「大丈夫よ。そこまで深い傷じゃなかったし、ちゃんと応急手当てもしたからね」
「テメェ、ガキどもにまで心配されてんじゃねえか」
「オニキスくんも、さっきまで同じようなことを言ってくれてたものね」
「言ってねえ!」
「言ってたんだ」
「オニキス、勇者様のこと心配なんだね」
「うるせえぞ!」
三人の笑い声とオニキスの怒鳴り声が、夕暮れの村へ響いた。
その騒ぎを聞きながら歩み寄ってきた村長が、アメシスの前で足を止めた。
後ろには、森へ家畜を捜しに入った男たちをはじめ、何人もの村人が集まっている。
「勇者様。ご無事で何よりです」
「ご心配をおかけしました」
「森の魔物は……」
「ええ、討伐しました。もうご安心ください」
アメシスが告げると、村人たちのあいだから安堵のどよめきが起こった。
「森の奥にいたのは、鎧甲熊という巨大な魔獣でした。皆さんが目撃した影も、おそらくあの魔獣だったのでしょう」
「あれを、本当にお二人で……」
「最後に倒し方を考えてくれたのは、オニキスくんなんですよ」
突然自分へ向けられた言葉に、オニキスの眉が動いた。
村人たちの視線が、小さな黒い少年へ集まる。
オニキスは居心地が悪そうに顔を顰めたが、否定はしなかった。
「へっ。あんなモン、大した相手じゃねえ」
「勝手に飛び出していって、すぐに回収されたけどね」
「余計なこと言ってんじゃねえ!」
「勇ましいのはいいんだけど、無茶はしないでほしいかな」
「テメェにだけは言われたくねえよ!」
この三日ですっかり見慣れた二人の言い争いに、村人たちから小さな笑い声が漏れた。
だが、村長の表情には、まだ僅かな不安が残っていた。
「それで……村の家畜たちは?」
アメシスの顔から笑みが薄れた。
「残念ですが、見つけることはできませんでした」
「そう、ですか……」
「鎧甲熊がいた周辺も調べました。ですが、家畜の姿はなく、血や毛など、襲われたことを示す痕跡も残っていなかったんです」
村人たちのあいだに、再びざわめきが広がった。不安そうに、互いの顔を見合わせている。
「あの魔物に食われたわけではないと?」
「まだ、はっきりしたことは言えません。ただ、日が暮れ始めていたため、鎧甲熊のいた周辺までしか調べられませんでした。明日、もう一度森へ入り、さらに奥を捜してみます」
「勇者様、しかし、お怪我をされて……」
「この程度なら問題ありません。それに、家畜が生きている可能性があるのなら、放ってはおけませんから」
迷いなく言い切ったアメシスへ、村長は深く頭を下げた。
「何から何まで、本当にありがとうございます」
その後ろで、村人たちも次々に頭を下げる。
家畜の行方は、いまだ分からないままだった。
それでも、男衆でさえ近づけなかった巨大な魔獣は、もういない。森の奥へ踏み込むことすらできなかった昨日までとは違う。
「これで、畑へ出てくる獣も減るかもしれないな」
「森の奥まで野草を採りに行けるようになるぞ」
「襲われた跡がないなら、家畜もまだ生きてるんじゃないか?」
そんな声が、村人たちのあいだから上がり始めた。
張り詰めていた村人たちの表情が和らぎ、安堵はやがて笑顔となって村中へ広がっていく。
やがて誰かが二人に温かい食事を振る舞おうと言い出し、村人たちは慌ただしく家々へ散っていった。
◇◇◇
その日の夕食は、広場に長い卓を並べ、村人たちが持ち寄った料理を囲むことになった。
焼きたてのパンに、根菜をたっぷり煮込んだスープ。木の実と香草を混ぜた麦粥や、塩漬けにして保存してあった肉まで卓に並べられている。
ささやかな祝いを兼ねた食事会で、アメシスは何度も村人たちから礼を告げられていた。
その隣では、オニキスが子供たちに囲まれながら、黙々とパンを口へ運んでいる。
「オニキス、魔物をどうやって倒したの?」
「勇者様を助けたんでしょう?」
「すごいね!」
「うるせえ。食ってるときくらい静かにしろ」
「オニキスも勇者なの?」
ジョンの問いかけに、オニキスの手が止まった。
「誰が勇者だ。俺様をあんな連中と一緒にすんな」
「でも、勇者様と一緒に魔物を倒したんでしょ?」
「勇者様を助けたなら、オニキスも勇者なんじゃない?」
「違えっつってんだろうが!」
否定すればするほど三人は面白がり、オニキスの周囲から笑い声が絶えない。
隣でその様子を見ていたアメシスは、口元に笑みを浮かべた。
だが、オニキスが睨んできたため、何でもないというように顔を逸らし、村の様子に視線を向けた。
空が藍色に染まり、村の家々に明かりが灯り始める。
長く村を覆っていた不安が、この夜だけは遠ざかったようだった。
アメシスとオニキスが食事を終え、納屋へ戻る頃には、空はすっかり暗くなり、村の子供たちも帰宅する時間になっていた。
広場に集まっていた子供たちは、一人、また一人と、それぞれの家へ帰っていく。
ところが、ニィナ、ハンス、ジョンの仲良し三人組だけは、帰る様子もなく、当然のように二人のあとをついてきた。
「明日も遊ぼうね、オニキス」
「遊ばねえよ。明日はまた森へ行くんだ」
「じゃあ、帰ってきてから遊ぼう」
「石弾きの続きしようね」
「紐跳びもまだやってないよ」
「やらねえっつってんだろ」
「明日の朝も迎えに行くね!」
「来んな!」
アメシスは、オニキスの拒絶をまるで気にしていない子供たちへ笑いかけた。
「迎えに来るなら、あまり朝早くならないようにね。オニキスくん、お寝坊さんだから」
「テメェまで、こいつらが来る前提で余計なこと話してんじゃねえ!」
アメシスが笑うと、三人も声を上げて笑った。
「じゃあ、また明日!」
「おやすみ、勇者様!」
「オニキスも、おやすみ!」
元気よく手を振り、三人はそれぞれの家へ向かって駆けていく。
オニキスは不満そうに三人の背中を睨み、アメシスと並んで納屋へ入るまで、目を逸らそうとはしなかった。
村へ戻った穏やかな笑い声とともに、静かな夜がゆっくりと更け始めていた。




