第11話〜また食べた
突進する鎧甲熊の速度は緩まなかった。
前脚が、オニキスの魔力で斜めに隆起した岩を捉える。
巨体はその勢いのまま足場を駆け上がり、後脚で岩を強く蹴った。
黒褐色の身体が宙へ飛び出した。
四足で低く構えていた前半身が持ち上がり、鎧板に守られていない、比較的柔らかな胸元が露わになる。
巨体の影が、二人の頭上に覆い被さった。
「今だ! 跳べッ!」
オニキスの合図に、アメシスはグレイブの柄から両手を離した。
左へ身を投げ出しながら、右腕でオニキスの身体を攫う。
二人が鎧甲熊の進路から外れた、その直後――
飛び込んできた鎧甲熊の胸に、グレイブが突き刺さった。
悲鳴のような咆哮と鈍く重い音が、岩場全体を震わせる。
突進によって増した速度。
踏み台を蹴って飛び込んだ勢い。
そして、鎧甲熊自身の巨体が持つ重さ。
そのすべてが、斜め上へ向けられた刃の一点へ集中した。
刃は胸の皮膚を貫き、肉を裂いて心臓まで届く。
鎧甲熊の勢いはそれでも止まらず、刃先は心臓の奥に留まっていた魔晶石の欠片を捉え、そのまま背中側へ押し抜いた。
黒紫の欠片が血飛沫とともに宙へ弾き出される。
石突を受け止めていた大岩に亀裂が走り、グレイブの柄が大きく撓んだ。
鎧甲熊の咆哮が途切れる。
巨体は胸を貫いたグレイブを巻き込みながら地面へ落ち、岩場を揺らしてうつ伏せに倒れ込んだ。
落下の衝撃で土と小石が弾け飛び、突風じみた風圧が岩場を駆け抜け、巻き上がった土煙が瞬く間に周囲を覆った。
アメシスは風圧に煽られ、オニキスを抱えたまま地面を転がり、背中を大岩に打ちつけて止まった。
「っ……オニキスくん、大丈夫?」
「テメェはそれしか言えねえのか」
痛みに顔を顰めたアメシスの腕の中から、不機嫌そうな声が返ってくる。
オニキスはアメシスの胸元から顔を上げ、土煙の向こうへ目を向けた。
鎧甲熊は倒れ伏したまま、もう動かない。
巨体の下から、血が地面へ広がっていく。
「倒した……?」
「心臓を貫いたんだぞ。あれで生きてたら化け物だ」
「前例がそれ言う?」
「うるせえ、そういう意味じゃねえ」
アメシスの腕が緩んだ隙に、オニキスはその胸元から抜け出して立ち上がった。
土煙の薄れ始めた岩場を見回す。
黒い目は倒れ伏した鎧甲熊を通り越し、その向こうの地面で止まった。
目的のものを見つけたらしい。オニキスは迷いなく、そちらへ歩き出した。
「どこに行くの?」
「俺のモンを拾いに行くんだよ」
「オニキスくんのもの?」
鎧甲熊から少し離れた場所に、黒紫の光が落ちている。
オニキスは土の上に転がる欠片へ近づき、当然のように拾い上げた。
大人の親指の爪ほどの大きさ――大鹿の角から落ちたものより、明らかに大きい。
表面には鎧甲熊の血が付着していたが、オニキスは気にした様子もなく袖で拭った。
「それ……魔晶石の欠片?」
「ああ」
「やっぱり、この魔獣にも仕込まれていたのね。どうりで――」
立ち上がったアメシスが近づくより早く、オニキスは欠片を口へ放り込んだ。
「えっ!?」
制止する間もなく、硬いものが砕ける乾いた音が、静まり返った森の中に響いた。
アメシスは伸ばしかけた手を止め、目を丸くする。
「また食べた!」
「うるせえ」
オニキスは口の中に残った欠片まで完全に噛み砕き、平然と飲み込んだ。
砕かれた欠片から黒紫の魔力が溶け出し、喉を下って胸の奥へ落ちていく。心臓の近くに達した途端、吸い込まれるように消えた。
胸の奥で、鈍い熱が一度だけ脈打つ。
新たに得た魔力は、先ほど使い切った分より幾分多い。だが、本来の力を取り戻すには、あまりにも足りなかった。
ほんの一瞬、オニキスの黒い瞳に朱が差す。
しかし、その光は瞬く間に消え、それきりだった。
しばらく待っても、幼い身体に変化はない。
黒髪も、小さな翼も、そのままだった。
オニキスは自分の小さな両手を見下ろし、何度か握っては開いた。
期待していた変化がどこにもないことを確かめ、忌々しげに舌打ちした。
「オニキスくん?」
「あ?」
「……お腹、痛くなった?」
「はあ?」
アメシスからの思いもよらない問いかけに、オニキスは眉間に深い皺を寄せた。
「魔晶石を食べて急に黙り込んだでしょう。やっぱり、そんなものを食べるから――」
「痛くねえ!」
「本当に?」
「こんな欠片一つで腹なんざ壊すか!」
「でも、石でしょう?」
「魔晶石だ」
「もっと悪いじゃない」
「俺は大丈夫なんだっつってんだろ! テメェは俺の何なんだよ!」
オニキスが苛立たしげに怒鳴ると、アメシスは僅かに首を傾げた。
「じゃあ、さっきから何を確かめていたの?」
「…………」
「オニキスくん?」
「何でもねえ。テメェには関係ねえよ」
吐き捨てるように答え、オニキスは鎧甲熊へ背を向けた。
アメシスはまだ気にかかる様子だったが、腹痛ではないと分かり、ひとまず安堵したらしい。それ以上は問い詰めず、倒れ伏した鎧甲熊へ目を向ける。
「あ……」
その口から、間の抜けた声が漏れた。
鎧甲熊は四肢を投げ出し、グレイブに胸を貫かれたまま、うつ伏せに倒れている。長い柄は半ばまで分厚い胴に食い込み、刃は背中側へ突き抜けていた。
アメシスは鎧甲熊の傍らへ歩み寄ると、胸元から胴を斜めに貫き、背中側に露出した柄を両手で掴んだ。
足を踏ん張り、力を込めて引く。
グレイブは、びくともしなかった。
「んん……っ!」
さらに力を込めても、鎧甲熊の巨体が僅かに揺れただけだった。
三人の精霊も集まり、鎧甲熊を貫いたままのグレイブを困ったように見つめている。
アメシスはとうとう柄から手を離し、倒れた鎧甲熊と自分の得物を交互に見た。
「……これ、どうやって抜けばいいの?」
「俺に聞くんじゃねえ」
「ええ……、何とかしてよ」
オニキスは心底うんざりした顔をしながらも、仕方なくアメシスのもとへ戻った。
結局、二人と三人の精霊は、鎧甲熊を貫いたグレイブを囲んで揃って首を捻った。
鎧甲熊との戦いは終わったが、二人が村へ戻れるまでには、もう少し時間がかかりそうだった。




