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第98話 生と死の狭間

 騒然とするゲイルシールド城の一階は、多くの使用人たちで溢れ返っていた。普段は各々の持ち場で働く者たちが怯えた様子で玄関ホール前に集まってきている。


「皆!よく聞いてくれ!謀反者は現在、城内に潜伏していると思われる!ゆえに、おまえたちは訓練場へ一時退去!ここにいるイーニアス近衛隊長および近衛部隊の指示に従うように!」


 玄関の前で声を張り上げたのはセオドアだった。いつもは温厚で落ち着きのある第一王子の振る舞いに一気に緊張感が増す。


 それでも大きな混乱が起きていないのは、さすがよく教育されたゲイルシールド城の使用人たちだ。


「大丈夫、落ち着いて行動してくれるなら、おまえたちに危害は加えさせない。我々シルフ一族は必ず皆を護るとここに誓う!」


 ふっと、いつもの笑みを浮かべたセオドアに、張り詰めていた緊張が少しだけ緩んだ。


「それでは今から移動を開始します!同じ持ち場でいない者がいれば必ず近衛に報告するように!」


 五百人規模の使用人を抱えるこの城で、全員を無事護りきれる保証など正直なかった。それでも彼らも家族と変わらない。もうこれ以上、誰一人として犠牲にさせるつもりはない。


「…頼んだよ、アシェル」


 順番に玄関を抜けていく使用人たちを見送りながら、セオドアは祈るように呟いた。


 一人、また一人と、全開にされた玄関の敷居を跨いで使用人たちが外へと出ていく。そこには赤い縄が一本張り巡らされていた。




*******




 階下から多くの人のざわついた気配がする。二階の吹き抜けから玄関ホールを見下ろした桃里は、流れ出した人波を見届けてから踵を返した。


 玄関口に張られた一本の赤い縄。あれは晴人が張ったもので呪いを探知できる。もしアリスが他人に化けた姿で通っても反応するようになっている。


(…それも上手くいけばの話だが)


 既に幾度となく出し抜かれている。必ず成功する確信は正直なかった。


(それに、たぶんアリスはもうあそこにはいない気がする)


 メイドに化けたのは城内を自由に動き回り、ミアを解放し、オリヴィアを攫うためだ。だとしたらきっと、次の狙いは。


(アッシュか、母上様か。…二人とも気をつけてくれ)


 そう願いながら桃里は二階の廊下を駆ける。今はまずオリヴィアを見つけることが自分の仕事だ。


 それになにより、一人でいた方がきっと。


 静まり返っている廊下の角を曲がるより早く、鼻孔を突き刺す錆びた臭いに思わず足が止まった。紅い髪がざわりと逆立つ。


「クソッ…遅かった…!」


 駆け出した長く続く廊下の一面は、血溜まりと化していた。 


 そこに倒れているのは無数の使用人たち。鋭い爪で引き裂かれたような痕があり、皆一様に絶命していた。


 点々と、廊下の先まで続く死体の海はつい先程までの日常をすべて刈り取っていったようだ。


「誘っているのか」


 咽返るほどの腥い臭いの中に場違いなほど甘い香りが残されていて、それがより一層吐き気を誘う。


「ミア…いや、――羅刹め」


 死者を悼む余裕もなく、桃里は再び駆け出した。一歩踏み出すたびにブーツの底がびちゃりと粘着質な音を立てる。


 できることなら避けたかった。けれど、もう覚悟は決めた。


「今度こそ絶対に、――」




*******




「はあっ…はっ……」


 城を覆い囲むように茂る木々の中を、ふらつく影が走っていた。


 縺れる足を必死に引っ張りながら、ようやく二つ目の目的地に辿り着く。いつもであればこれくらいどうということはないのに、やはりまだ妖力が戻っていないのだ。


「ふ、たつ…めっ…!」


 太い幹に札を貼り付けたシロエは、大きく深呼吸を繰り返してからぐっと再び顔を上げた。


「あと、みっつ…!」


 胸には藍色の小太刀を握り締めて、休む間もなく走り始める。


(リヴィ様…絶対、絶対…助けるからね…!)


 あの時、オリヴィアが攫われた時。シロエは彼女の部屋にいた。


 一人で部屋にいるのは不安だろうからと、オリヴィアは自分の部屋のソファーにわざわざ簡易の猫ベッドを作ってくれた。


『きっとすぐに良くなりますわ。いいえ、なってもらわないと私が困ります。だってシロエちゃんのお菓子が食べられないんですもの』


 そう言って笑いかけながら頭を撫でてくれた、優しい少女。シロエはその心地良さに瞼を落とし、丸くなって眠っていた。


 シロエはそんなオリヴィアが大好きだった。


 なのに。――ノックの音、メイドの声、そしてあがった彼女の小さな悲鳴。


 いつもであれば助けられた。けれど間に合わなかった。弱かったから。力がなかったから。


 僅かに反応が遅れて見上げた扉。その隙間にはまるで嘲るようにニタリと、獣のように裂けた口で笑う女がいた。


「今度はっ、絶対に…!」


 無我夢中で三本目の木を目指して走り出す。この身が壊れても構わないとすら思っていた。


「…にゃっ……!」


 涙で目すらまともに見えなくなっていたのだろうか、シロエは何かにぶつかってそのまま尻餅をつく。


「…いっ、つ……」

「――見つけた」

「……!!」


 鬱蒼として薄暗い木々の下、逆光になって顔も見えない誰かがシロエを見下ろしていた。肩で荒く呼吸しながらその人物を見上げて、シロエは喘ぐように唇を震わせる。


 約束したのだ。誰にというわけではない。ただ自分と、約束した。絶対にオリヴィアを助け出す。


 ――例え、この身が滅んでも――


 必ず、護るからね。


 リヴィ様も、みんなのことも。

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