第95話 母の望み
明るい笑い声が耳障りで頭が割れそうになる。
爬虫類を思わせる丸い眼球がぎょろりと動いた。瞼がなくなってしまったかのように見開かれて乾ききった瞳が、まるで焼き付けるようにその一挙手一投足を見つめている。
許せないと思った。自分から生活を奪い、愛情を奪い、名前まで奪った。けれどそれ以上に許せなかったのは、産まれて間もない子供まで奪ったこと。
許せない。絶対に、あいつらだけは、許さない。
「さぁ、そろそろ僕らも行こうか。あのままじゃ本当に桃里ちゃんが全部食べちゃいそうだ」
柔らかそうなミルクティーブラウンの髪。慈愛を込めて優しく細められたアメジストの瞳。
「そこは抜かりなく。追加を用意していますわ!」
「さすがだねぇ。リヴィは本当に良くできた妹だよ」
その優しい色をなぜそんな小娘に向けているの。その娘はあの人と、憎き女の子供だと言うのに。
娘の頭を撫でる繊細な手はやはりあの人によく似ている。細くて、器用で、だけど少し臆病なあの人の手。
ああ、憎い。憎い憎い憎い。
あの人によく似たオリーブブロンドの髪色なのに、その下から覗く透き通るようなアイスブルーの瞳は忌々しい女と瓜二つ。
汚い、汚い、汚い。そんな汚い物を、あなたの綺麗な指で触らないで。あなたを奪ったあの女の子供なんかにその笑顔を向けないで!
ブチッと、何かが千切れる音がした。違和感を覚えた手のひらをゆっくりと開くと、指に絡みついていたのは自身の髪だった。
すっかり色が抜け落ちて痩せ細った白い髪。かつてはあの子と同じ色だった。いつもあの人が好きだと言って、艶が美しいと褒めてくれたミルクティーブラウンだった髪。
「兄さん」
「やぁ、アッシュ。お邪魔して悪いねぇ」
甘い穏やかな声が耳に届き、はっと我に返って顔を上げた。愛しいあの子の隣にいる、汚物。
(ああ……汚い)
明るいブロンドに底の知れないアイスブルー。あの女とまったく同じ、瓜二つの容姿を持つ歪な子供。
(汚い汚い汚い。汚い…全部、消さなきゃ。綺麗に、綺麗に……)
そのままそっと茂みの奥に消えた影、――アリスは薄くひび割れた唇を歪めて、ひひっと引攣れた音で笑う。
まるで呼応したように一瞬だけ魔力を秘めた風が吹くも、それさえも腕に巻いた小汚い布を前に消滅する。
途端、先程までは老婆のように不安定だった足取りがすっと若さを取り戻した。
「――ぜぇんぶ、ママが、消してあげるからね」
「お疲れ様です」庭園を出て他の使用人たちに紛れ込んだアリスは、その後は誰に悟られることもなく城の奥に消えていった。
*******
北の塔はエヴァが集めた多くの資料で埋め尽くされている、彼女にとって本当に自分の居城と言える場所だった。
「ふふ…」
思わず笑みが溢れてしまい、誰もいないとわかっているのに小さく咳払いをしてしまった。
エヴァが見つめていたのは二枚の写し絵だった。
魔力をレンズに貯めることでその瞬間を切り取れるもので、レンズさえあればさほど難しくはない貴族なら比較的だれでも用いているものだ。
「…本当に、大きくなったわ」
一枚は三人の子供が折り目正しく、少し緊張した面持ちで写っている。
真ん中の椅子に座っているのは水色のワンピースに身を包んだ娘のオリヴィア。
まだ短い足が床から浮いてしまっていて、頬を少しだけピンク色に染めてあどけない笑みを浮かべていた。
右隣に立つのは息子のアシェル。子供の頃は今よりもしかめっ面で、唇を少し尖らせて、白い眉間にはいまいち子供らしくない皺を寄せている。
けれどエヴァは知っている。これは彼の照れ隠しの表情なのだと。
そして左隣。アシェルより少し背の高い少年はもう一人の息子、セオドアだ。髪や目の色は夫にすら似ていなかったが、その面立ちはやはり少し似ている気がする。
優しくて、繊細で、少し臆病な夫の面差し。
三人とも愛おしい、大切な子供たち。
エヴァは綺麗にネイルの施された指先でもう一枚の写し絵をなぞった。
庭園の外れにあるガゼボの周りは白いダリアが咲き誇っている。
そんな花畑の中で負けないくらいの笑顔で笑っているのは可愛い子供たちと、異国からの使者たち。
いつかのオリヴィアのように少し固い顔で笑っている桃里と、そんな彼女に寄り添うように微笑むアシェル。
桃里の腕に身を寄せて満開の笑顔を咲かせるオリヴィアに、後ろに立って見守るように目を細めているのはセオドアと晴人だ。
写し絵にうっすら残る魔力からジュリアが写したものだとわかる。ならばきっと、彼女の隣にはイーニアスもいるのだろう。
本当に、愛おしい。可愛い可愛い。
「私の子供たち」
自らの腹を痛めて産んだ子も、縁があって集った子たちも、エヴァにとっては全員が愛しい我が子と同じだった。
細められた青い瞳が、長い睫毛のカーテンに遮られる。
「…必ず護ってみせます。アキオの分まで、私が必ず」
ゆっくりと瞼が持ち上がる。愛しい子供たちの未来は誰にも奪わせない。
氷と称される涼やかな青い瞳には、一筋の熱が秘められていた。




