第94話 純白のワンピース
ゲイルシールド城内とエバンス邸で同時に起こったふたつの事件は、一旦は同じ場所に帰着した。
とはいえ課題も謎も多く残り、結局まだ九尾やアリスの所在は掴めないままだ。
投獄されたミアはあれから一切の質問に答えようとせず、まるで狂ったようにただ何かを呟くのみで尋問は難航している。
ブレイク家とハロルドたち。それにジュリアたち隠密も休みなく働いてはくれているが、唯一の手がかりだったエバンス公爵家が崩壊し行き詰まってしまっているのが現状だった。
「さぁ、こっちですわ、お兄様!」
存外強い力でアシェルを引っ張っているのは最近はずっと執務室に籠もっていたオリヴィアだった。
彼女はアシェルやセオドアの分の執務も引き受け、兄たちが気兼ねなく動けるように采配してくれていた。言わば影の立役者だった。
「おい、リヴィ!今はこんなことをしている場合じゃ…」
「こんな時だからですの!たまにはちゃんと息抜きもしないと、いざって時に戦えませんわ!」
そんなオリヴィアに強く言われて、自室から引きずり出されて連れてこられたのは城の庭園だ。
もうすっかり冬の気配が濃くなった庭園は、これまでの華やかさからは一転して少し寂しい印象になっている。
それでも冬前のとりどりの植物が花を咲かせているのは、この城が清浄な空気に包まれている証拠だろう。
「…まったく、またランチパーティーでもするのか?」
呆れ半分、諦め半分に問いかけたアシェルにオリヴィアは大きく頷いた。
「ええ、お兄様もしっかり食べないと。そんな鈍っちょろい腕では、とてもお姉様を抱きあげられませんことよ」
「なっ…!それくらいできる」
「あら、どうでしょう。お姉様はわたしを抱いたまま二階のバルコニーまで大ジャンプしてくださいますのよ?」
「はぁ!?なんだその話は!」
「ふふっ」
初めて聞いた話に思わず声を荒げるも笑って躱したオリヴィアは、徐々に歩く速度を緩めていく。どうやら目的の場所はもうすぐらしい。
「ほら、早く」
なぜかアシェルの後ろに回ったオリヴィアは、とんっと兄の背中を押した。
いったい何のつもりなのかと訝しみつつも、もう諦めて妹のわがままに付き合うことにして示された方へ進む。
ようやく辿り着いたそこは小さなガゼボだった。
「なぁリヴィ、何もランチだけのためにこんな外れまで来なくても…」
そこでアシェルは足を止めた。白いダリアの花が咲き誇るガゼボ。そこにひとり立っていたのは、ダリアよりも真っ白なワンピースを着た、桃里だった。
「…アッシュ?」
足音に気づいたのか、こちらを振り返ったのはやはり桃里だ。
すっきりした首元には白いチョーカーをつけ、手の甲が隠れるほどの長さのフレアスリーブが特徴的なロングの白いワンピース。
いつもは纏め上げられている長い黒髪は下ろされて、サイドだけ編み込まれたハーフアップにされている。
「アッシュ!」
ぼうっと立ち尽くしていたアシェルに焦れたのか、桃里は軽い足取りでぴょんぴょんと石畳を飛び越えて来た。
「…あっ!」
そして案の定もはやお決まりのように最後の一段でヒールを引っ掛けた桃里に、我に返ったアシェルは咄嗟に腕を伸ばす。
「…あ、ありがとう」
「ヒールの時は気をつけろと前にも言っただろう」
「…ごめん」
体勢を整えてやりながらアシェルは改めて間近で見る桃里の姿に、再びちゃんと冷静さを失った。
「…いや、というか。こんなところで、そんな格好して何をしてるんだ」
普段はきっちりと詰められている装いとは違い大きく空いた胸元から覗く細い鎖骨の生々しさに、思わず自身のジャケットを脱ぐと肩からばさりと覆い被せる。
「リヴィに連れてこられたんだ。みんなを呼んで来るから待ってろって」
「みんなって――、はぁ…」
ようやく状況が掴めてきたアシェルは、ちらりと背後に視線を投げる。当然そこには誰もいないが、リヴィも魔道士の端くれだ。アシェルほどではなくとも隠蔽魔法くらいは容易く使う。
「もういいよ。それで、リヴィは何をしろって?」
「食事とお茶を用意してるから食べようって。アッシュがお茶の湯を沸かす係らしい」
係とは。まったく魔法をなんだと思っているのか。まあそれはそれとして、本当によく気の回る娘だと我が妹ながら時々恐ろしくなる。
「わかった。なら昼食にしよう」
言ってアシェルはおもむろに、桃里をひょいっと抱き上げた。
「へ…!?ちょっ、歩けるよ!」
「また転んでもして、その服を汚したら俺がリヴィに怒られるんだ」
いわゆるお姫様抱っこというやつでガゼボまで運ぶと、そこには確かに昼の用意がしてあった。
「で、なんでそんな格好なんだ?」
「…う。実はここ最近、よくシャツを駄目にしてしまっていて」
「それはしかたないだろう」
「私もそう言ったんだ。でも仕立てには時間がかかるから、それまでこれで我慢しろと…」
だったら着物でもいいのに、やら、アッシュのシャツを借りようとした、やら。少々やめてほしい案まで持っていたらしい桃里にアシェルは心底オリヴィアに感謝した。
「でも、とても似合っている」
「…ふーん」
「なんだ?」
ちゃんと褒めたつもりが、なぜだか桃里の目は胡乱なものに変わっていく。アシェルは沸かした湯をポットに注ぎながら首を傾げた。
「アッシュはたとえ私が裸でも似合うって言いそうだ」
「はだっ…言うわけないだろ!」
「いーや。おまえは何でも似合う似合うで、何が似合っているのか私にはサッパリだ」
つーんっと顔を背けつつも、ちらっとアシェルを伺う仕草にぐさっと何かが突き刺さる。
(…なんだ。なんて言えば正解なんだ、これは)
今まで扱ってきたことのないタイプとはいえ、さすがにだいぶ桃里のこともわかってきたつもりだった。しかしこれはどういう意図なのか。
ええい、ままよ。
「…俺が一番、桃里に似合うと思うのは」
「思うのは?」
「…く」
「く?」
「串焼き」
しんと静まり返った間に、きゅぅ〜っと子犬の鳴き声のような音がした。
「…っふ、…あはは!ほらやっぱり、一番似合うじゃないか」
「今のは!っ、だってずっと食べないで待ってたんだぞ!というかリヴィはどうした!」
ギャーギャーと騒ぎ立てる桃里と爆笑しているアシェルに驚いたのか、屋根に止まっていた小鳥たちが一斉に飛び立った。
「まぁすぐに来るだろう。先に食べよう、ほらチキンサンド」
「――むう」
恥ずかしさやら何やらで顔を赤くして喚く桃里の口にサンドイッチを押し込むと、彼女は実に素直に大人しくなる。
「…美味いか?」
「ん!」
さっきまでの興奮はどこへやら。黙々と食べすすめる桃里は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「やっぱり」
「…んむ?」
ずっと見ていたいと思うのだ。
「桃里は笑っているのが一番似合うよ」
サンドイッチを頬張ったまま目をぱちぱちと瞬かせ、しかし次第に赤くなる顔を隠すように桃里は再びそっぽを向く。
「…私も。…私も、アッシュには笑顔が似合う、と思うぞ」
ぽつりと呟いたのを最後に、桃里は二つ目のサンドイッチに手を伸ばす。どうやら一人で全部食べるつもりらしい。
少し拗ねた所作ですら可愛らしい桃里のこの笑顔を、必ず護ろうと密かに誓いなおしていた。
*******
「如何ですこと?」
得意気に胸を張ったオリヴィアに、セオドアは頷いてからよくやったと言わんばかりに妹の頭を撫でた。
「とってもいいよ、絵になってる」
「そうでしょう。まぁ話している内容はいつも通りのようですけど。…ね、晴人様はどうかしら?桃里お姉様のお召し物、素敵でしょ?」
賑やかに笑い合っている桃里とアシェルを黙って見つめていた晴人は、ふっと口角を緩めて微笑んだ。
その笑みは少し寂しそうな、けれど確かに嬉しそうな。何とも言い表し難い、複雑な色を含んでいた。
「ええ。いつか、お嬢がもう少し落ち着きのある女性になったら、今より花嫁姿も似合うのでしょうね」
「まぁ!相変わらずの辛口!今もとっても似合っていますわ」
オリヴィアは気付いていなかったが、さり気なく花嫁姿と言ったことをセオドアは聞き逃してはいなかった。
この不器用な保護者が、いつの日か彼女と腕を組んでヴァージンロードを歩く姿も見てみたい。そうセオドアはこっそりと笑みを深めた。
遠くないいつか、きっとその日が来ると今は祈って。




