第91話 ふたつの力
燃え盛る炎が豪奢な窓枠に縁取られた硝子に放たれていた。
「まだ足りない!もっと火力を上げろ!」
「ボクの魔力じゃこれが限界だよッ!」
「よくその程度で桃里を嫁にするなんて言えたものだな!」
「そんなことっ、ボクがっ、一番、思ってる、よっ!!」
ごおっと更に火力が上がり熱風が舞い上がる。未だかつてないほど限界まで引き上げられた魔力に目眩いがした。
それでも何とか踏みとどまったマシューは、窓硝子めがけて火炎を放ち続けていた。
「殿下こそ!いつまでも、うだうだっ、言ってたら!ほんとに、ボクがトーリを貰うから!!」
刹那、なんの前触れもなく轟音とともに鋭く尖った水の塊が炎の上に叩き付けられる。
「ッちょっと!急になにすっ」
「伏せろ!!」
振り返り文句を言おうとしたマシューの眼前に、何かを振りかぶるアシェルが映った。
間一髪、その場に伏せた頭上ではあたり一面が白むほどの閃光が瞬いた。
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激しい音を立ててソファーが吹き飛ぶ。美しく整えられていた客室は今や見るも無残な姿に成り果てていた。
そんな荒れた部屋の中で、桃里だけが優雅に髪を靡かせる。
「どうした、もうおしまいか?」
「ヒッ…!」
尻餅をついて後退ったミアの手が扉に触れた。
「だから言ったんだ。おまえ如きが鬼を名乗るなど…千年早い」
「黙れ黙れ黙れ!!おまえのような化物が愛されて、なんでわたくしが愛されない!!そんなことない、わたくしは……わたくしは殿下を愛していて、だから殿下もわたくしを見てくれるとおまえが、がが、き、っき貴様がいるからあああ!!」
もはやまともな言葉すら失いつつあるのだろう。鬼と人の合間で揺れるミアを桃里は冷めた顔で見下ろした。
「そんなことを言っているからだろう」
とんっと桃里の足が一歩踏み出された。手に提げた刀は瘴気の中でも桃里を護るように淡く輝いている。
「私はアッシュが好きだ。だから笑っていてほしい。アッシュが笑っていられるなら、――私はそれだけで十分だ」
――百花と桃里が笑っていられるなら、私は――
ふと、知らないはずの声が頭の中に響いた気がした。
「そうか…だからあの人は…」
母はひとり、行ってしまったのだ。ただただ愛する者たちの笑顔を想って、幸せだけを望んで。
「私はおまえが憎いわけでも、嫌いなわけでもない。――ただ」
更に一歩踏み込むと、後がなくなったミアは身を翻して扉に爪を突き立てた。
「あいつの笑顔を曇らすものは、私が」
言って刀を振り上げるより僅かに早く、強く引っ掻きすぎたミアの爪が砕けて血が飛び散った。
飛散した血に反応した扉がミアの望み通りに大きく口を開く。
「――ッきゃあああ!!ぎっああああ!!」
刹那、室内から飛び出したミアの体が眩い光に包まれる。光が収まり目を凝らすと、床に書かれていた文字がまるで生き物のように蠢いて、ミアの体に絡みついていた。
ミアはのたうち回りながら必死にそれを払い退けようとするも、肌に刻み込まれ文字を剥がす術はない。
これこそ晴人が最も得意とする結界術、血文字結界だった。
――ッきゃあああ!!ぎっ、ああああ!!
「桃里ちゃん!ジュリア!」
結界の中で藻掻き苦しむミアを一瞬だけ見やり、セオドアはその横を躊躇なくすり抜けて刀を手に佇んでいた桃里に駆け寄った。
「大丈夫かい!?」
「ああ、この通りだ」
桃里の肩に両手を置いたセオドアは普段の柔和さもなく蒼白になっていたが、本当に怪我がない様子にようやく安堵の色を浮かべる。
「よかった…そうだ、ジュリアはっ……」
「私も無事です。桃里様に守っていただきました。不甲斐なくも…」
吹き飛んだ家具の影から出てきたジュリアは、その手に少し変色したエルダーの葉を掲げてみせた。
濃い瘴気の中にいたのだ。いくら戦闘に長けていても普通の人間であるジュリアにそこまでの責任は負わせられない。むしろよく桃里の側にいてくれたと思う。
「無事ならそれでいい」
セオドアはいつも通りに微笑むと、よく戦ってくれた部下に労いの言葉をかけた。
二人のやり取りに口元を緩めてから、ちらりと晴人を見やった桃里は軽く肩を竦めて顎を上げる。
「…約束通り、ちゃんと無傷だぞ」
その仕草に嘘はないと察したのだろう、晴人はやはりいつもと変わらぬ顔で頷いた。
先程までの桃里が勝つ確信があるような、しかしやはりどこか心配さも滲ませていた彼はもういなかった。
「当然です。――それで、彼女は如何しますか?」
「…この城に捕らえられる場所はあるか?」
「地下牢が一応」
「ならそこに。晴人、後は頼む」
「御意」
悲痛な叫びもついに声が枯れたのか、元の少女の姿に戻っていたミアの体に晴人は黒い紐をかけて縛る。あれも呪が施されたものだろう。
今のミアは見た目こそ元に戻っているが、本質はもうほとんど鬼女に成り果てている。
「…勘のいいアッシュのことだ。直に戻るだろうな」
「僕に叱られるより、あいつの方がいいかな?」
「どっちもごめん被りたい」
すっかり黒髪に戻った桃里は、刀を鞘に納めながら疲れたように溜め息を吐く。
「それにしても…女の嫉妬が恐ろしいとは本当のようだ」
「男の嫉妬も負けてないと思うけどね」
「そうなのか?」
「ふ…今度アッシュに聞いてごらん」
「また喧嘩になるのは……ごめんだなぁ」
鬼女と化したミアと対峙していた時からは想像もつかないほど露骨に困った顔を見せる桃里に、セオドアは思わず小さく吹き出して、隣に立つジュリアと擽ったそうな視線を交わした。
今回の功労者ではあるものの、可哀相だが彼女が怒られることだけは避けられないだろう。




