第9話 次の行き先
さて、と静寂を割ったのは晴人だった。
エレノアが淹れ直してくれた紅茶を飲んでいた桃里はちらりと窓の外に目を向ける。
少し遠くに聞こえる子供たちの声から、どうやら鴉や猫と鬼ごっこをしているようだとわかった。二人はすっかり子供たちに懐かれているようだ。
「これからどうします、お嬢」
「そうだなぁ、とりあえず…帰るか」
「帰る?」
「あの道はおまえが開いたんだ。帰ることもできるんだろ」
しかし晴人は僅かに目を伏せて首を横に振るだけだ。
「――あれは私の術ではありません。私はあくまで開いただけで、術そのものを組んだわけではないのです。ですからこちらから開くことは私でもできません」
「だったらあれは…」
そもそも着いた先で何をしろと言われたわけでもない。突然追い出され、人に会えという手紙のみ。しかもその相手ももう故人となっていた。
「その術というのはなんだ?」
淡々と進む会話に割って入ったのはアシェルだった。すっかり二人で話し込んでしまっていたことに気づいた晴人は、眉を下げて説明をはじめる。
「私は陰陽を操る術師です。五行の力を具現化したり魔を祓う特殊な力を持っています」
「なるほど、俺たちでいう魔法のようなものか」
「魔法…そういえばこちらでは皆さん一定の術が使えるようですね」
シルフィルドには「魔法」という技術がある。それを教えてくれたのは宿の女将とレオだった。
魔法はこの国の人間なら比較的、誰でも使えるそうだがそのほとんどは力が弱く、日常生活の助けになる程度らしい。
故にごく一部、優秀な力を有する人間はその道を学び国に仕えることがほとんどで、特に王族のシルフ家はその筆頭とも呼べるほど強い力を持つという。
「アシェルも魔法が使えるのか?」
「ああ、まあ少しは。だが空間を捻じ曲げられるのはかなりの高等魔法で使える者はほとんどいない」
「そうか…。というとこは帰りは船旅かぁ……旅、旅か」
桃里は肩を落としながら椅子に深くもたれかかった。どうにも八方塞がりだ。
「よし、旅でもするか」
「は?」
「どうせすぐにも帰れない。やることもない。だったらもうこの状況を楽しむしかないだろ」
天井を仰ぎながらやけくそになって言ったことだったが、我ながら不思議と名案な気がしてきた。
「そうしよう。旅だ。こうなったら親父が悔しがるほど愉快な旅をして自慢話をしてやるしかない!」
ガタッと勢いよく立ち上がった桃里は、にっと口角を持ち上げて犬歯を覗かせる。
「そうと決まれば宿に戻って今後の身の振り方を考えよう。――レオ」
「えっ…!?」
「せっかくおまえを迎えたばかりなのにこんなことになってしまった」
「うん……」
少し曇った顔で俯いたのはレオだ。彼の考えていることはわかっていた。
「どういう理由かは知らないけど、ここはおまえを歓迎しているように思う。残るのも悪くはないだろ」
「……ん」
「だけどもしいいなら、私はレオにも一緒に来てほしいと思う」
ぱっと顔を上げたレオに笑いかける。答えは聞くまでもなさそうだった。
その時、突然向かい側から激しい音がした。それまで沈黙していたアシェルが不意に立ち上がったのだ。
「どうした?」
「いや、…そういえば貸し、とトーリの父は言っていたな」
「ああ。でもあの親父のことだ。どうせ大したことじゃ」
「トーリ」
何か思い出したのか、口元に指を添えて難しい顔をしていたアシェルは、ゆっくりとその涼やかな瞳を桃里に向けた。
「一度、城に来ないか」
思いもよらない申し出に桃里と晴人は面食らう。目的の人物がもういない以上、城に呼ばれる理由もない。
「君に見せたいものがある」
真剣な眼差しに一度は潰えた望みがあるのかもしれない、そう思った桃里は静かに頷いた。
「…わかった」
「ですがお嬢、城ともなれば今すぐにと言うわけにはいかないでしょう。でしたら私たちはしばらく今の宿にいますから、そちらの都合がついたら遣いを出してもらうというのは?」
「いや、さすがにそこらの宿にと言うわけにはいかない。すぐ別に用意をするから――」
「いや、いいよ」
晴人の提案に被せるように紡いだアシェルに、桃里は緩く首を振った。自分たちを気遣っての申し出なのだろうとは思ったが、やんわりと笑ってそれを断る。
「堅苦しいのは苦手なんだ。それにあの宿の女将が作る食事は結構気に入っているから。だからもう少し他のものも食べてみたい」
初めて見せた桃里の年相応の理由と笑顔にアシェルは小さく吹き出すと、そっと視線を下げてレオを見つめると目線を合わせるように膝を折る。
「レオと言ったな」
「はっ、はい!」
急に一国の王子に話を振られ怯んだように背中を伸ばしたレオの頭に、アシェルはぽんっと手を置く。
「トーリたちのことはおまえに頼んだ」
「……っはい!」
その様子を見ていたエレノアが母親のように目を細める。
なぜレオがこの孤児院に身を寄せなかったのか、その理由はまだわからない。けれどきっと今の彼はとても誇らしい気持ちでいるのだろう。
桃里もエレノアにつられて、そっと目元を緩めた。




