第10話 エバンス公爵家のご令嬢
白亜の城とでもいうべきか。桃里はシルフィルド国の象徴たるゲイルシールド城を見上げて感嘆した。
青々と茂る緑に囲まれ、青空に突き抜けるように聳える城は堂々と、しかし柔らかな風に包まれてとても穏やかだった。
これが島国と大陸の差なのか。町でも感じたがこの国は何もかもが広々としていて大きい。
「大丈夫ですか?」
「ああ…いや、町からも見えてたけど立派な城だなって。こんなに大きな城は初めてだから」
「そもそもお嬢は城なんて見たことないでしょう」
横槍を入れた晴人とは違い、イーニアスは柔らかい笑みを浮かべた。
「そんなに畏まらないでください。あなた方はアシェル様がお招きした大切なお客様です。どうぞ肩の力を抜いてお寛ぎください」
背が高く屈強な体躯をした彼はアシェルの側近らしく、宿まで迎えに来てくれた案内人だった。
あの日、突然現れた桃里たちに向けられた険しい視線とは打って変わり、柔和な雰囲気をした青年に桃里は少し肩の力を抜く。
ちなみに鴉と猫とレオは留守番で孤児院の手伝いに出ている。イーニアスは全員で来て構わないと言ってくれたがさすがに目立つ集団だ。
あまり騒ぎ立てられるのは本意ではなかったため晴人と二人での登城となった。
「それにしても美しい服ですね。確かキモノ、と言いましたか?」
「知ってるのか?博識だな」
「いえいえ、付け焼き刃の知識ですよ」
「どうやらそいつは私に隠れてこそこそ家を追い出される準備をしていたようでな」
ちらり、振り返って睨みつけるも、当の晴人は素知らぬ顔で黙ってついてくるだけだ。
今朝方、起床したばかりの桃里に渡されたのは淡い桃色に桜の柄が施された訪問着だった。
「それにしても何というか…こんな格好は普段でもしないし、こうして歩くのも初めてだから、無作法なのは勘弁してほしい」
こう見えて一応、一通りの礼儀作法は晴人に仕込まれている。しかしそれは自国の作法な上に、桃里本人は楽な着物で野山を駆けていたい方だ。
得意不得意でいえばまったく得意ではなかった。
「そんなことはありません。とても美しい所作です。それに我がシルフィルドでは女性をエスコートをするのは男の嗜みですから、任せてくれて大丈夫ですよ」
そこまで言ってイーニアスは少し悪戯な笑みを向けた。
「なんて、私も普段は武術にばかり傾倒しているので実はあまり慣れていないんです。だから多少の無作法はおあいこ、と言うことで」
桃里を安心させるための言葉だとわかりながらも、その些細な気遣いにこれが"エスコート"というものかとつられて笑う。
「…ありがとう」
和やかな空気で長い廊下を歩む途中、下女や使用人たちとすれ違うたび彼らは丁寧なお辞儀をしていく。手入れの行き届いたいい城だと肌で感じた。
その時一際ざわめきが起こった。どうやらそれは桃里たちの向かい側から一団が歩いてきたためのようだ。
多くの侍女を侍らせて真ん中を歩くのはとても可愛らしい女性だ。
若草色のドレスと呼ばれるこちらの着物。それに良く映える明るい橙色の髪は横を編み込みに、後ろ髪の半分を大きな飾り紐で結い上げている。
可憐という言葉がよく似合うその女性は、近くに寄ると意外とまだ桃里と似た年頃の少女だとわかった。
「まぁ、イーニアス。今日は見かけないと思ったらこんなところにいらしたの?」
「これはミア様、本日も大変お美しく」
イーニアスは一歩前に出て差し出された少女の手を取ると、そっとその手に口付けをした。
「ふふ、嬉しいわ。…あら?そちらの方は?」
「こちらはアシェル様がお招きした先王陛下の御知人の縁者の方です」
「ハロルド様の…それにしては随分とお若いのね」
淡い蜂蜜色の視線を向けられて、桃里はとりあえず楚々と頭を下げた。どこの誰かは知らないが、城の中を堂々と歩いていてイーニアスがこれほど丁寧に扱う相手だ。それなりの位の者なのだろうと察せられる。
「お初にお目にかかります。天使 桃里と申します」
一応はよその家だ。晴人から習った通り頭を下げてみる。
「ふぅん、そうでしたの。せっかく殿下にお会いしに来たというのに、忙しいという理由はそれでしたのね」
出会った瞬間から感じていたが、何やら品定めするように上から下までまじまじと視線を移す少女はやはり、どこか含みがある物言いをする。
「あら、ごめんなさい。わたくしの紹介がまだでしたわね」
わざとらしく口元に手を当ててから、次いでドレスの裾をつまんでお辞儀する姿はとても優雅で美しかった。
「私はアシェル殿下の婚約者のミア・ローズ・エバンスと申します。どうぞ以後お見知りおきくださいませ」
婚約者の、がやたら強調された気がしたが、桃里としては特に気にすることもなく「こちらこそ」という短い挨拶を返す。すると「…ふん」と何やら不服そうな声が聞こえた。
「それではわたくしはこの辺りで失礼させていただきますわ。この後、殿下の成人パーティーのためのドレスを仕立てに参りますの」
「ああ、そうでしたね。どうぞお気をつけて、行ってらっしゃいませ」
丁寧にお辞儀するイーニアスに倣って、桃里と晴人も会釈する。
侍女たちを引き連れて歩いていくミアを見送り、ふうと小さく息を吐いてからすっと目を細めた。どうにも苦手な人種だと思うと同時に、胸の奥で何かが僅かに引っかかる。
しかしこの時は気のせいだろうと、去っていく彼女に背を向けた。




