第8話 御伽話の姫君
レオ以外の子供たちを外に連れ出したのはまだ年若い二人の男女だった。どうやら少女の従者らしい。
「お外で遊ぶ人〜?」という和やかな可愛らしい声に惹かれて、子供たちは存外素直に興味をそちらに移した。
部屋に残ったのはアレクとエレノアにレオ。それに向かいに座る異国の少女とその従者だ。
側近に動向は探らせるつもりでいたが、まさか向こうから訪れてくるとは思わなかった(そのせいで不覚にも内心では激しく動揺してしまったわけだが)。
「こちらはアレク様です。この孤児院へ出資してくださっている貴族のご子息様です」
「昨日はどうも失礼致しました。私は晴人と申します。こっちの娘は桃里と言います」
エレノアの紹介に応えたのはハルヒトという、あの時の黒髪の男だった。
いつからだろうか。昔は何度もせがんで聴いていた異国の鬼の姫の話は、祖父が子供たちを喜ばせるために大袈裟にしている与太話なのだと思うようになった。
恐らくそれは自分が成長したからで、祖父もそんなことは百も承知だと勝手に思い込んでいた。
少し癖のある長い黒髪に、異国の服を纏っている。この町は港近くで他国からの人間もそれなりに出入りしているが、あの時の少女を見間違えるわけはなかった。
一行の事の成り行きに一通り耳を傾けてからひと呼吸置き、アレクは少し冷めた紅茶で唇を湿らせる。
「なるほど、それであんなところから現れたと言うことか」
どうやら状況を理解しかねているのはトーリたちも同じだったようなので一旦その件は横に置き、胸ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
「それ…!」
「あの時あそこに落ちていたものだ。何か書いているようだが、俺には読めないものだった」
適当に千切ったような、文字通りの紙切れを受け取ったトーリは僅かに瞳を揺らして改めてそれを開いた。
「…晴人」
「はい」
じっと紙を見つめてしばらく、トーリの眼差しが徐々に胡乱な物へと変わっていく。
「親父は何が言いたいんだ」
「見せてください」
完全に匙を投げた様子のトーリの隣でハルヒトは文字に視線を走らせて、そして大きく溜め息をついた。
「この国の偉い人に貸しがあるから返してもらえ、ってことですかね」
「大雑把すぎるだろ!」
「まぁ、お館様ですからね」
同じく呆れたように紙をテーブルに置いたハルヒトはふと視線をこちらへ向けた。
「この国の偉い人、というのはレオが言うにはハロルドという人物ではないかということですが、ご存知ないですか?」
問われた瞬間、思わずエレノアと顔を見合わせるも、彼女はすぐに目を伏せて表情を曇らせる。
「…ああ。――もう聞いていると思うがハロルドはシルフィルド国の先代国王陛下だ」
「はい」
やはりそれは既に知っていて謁見の手がかりを探しにここまで来たのだろう。しかし。
「先代国王陛下は昨年、ご逝去された」
先代陛下逝去の報が出されたのは今からちょうど一年前だった。
既に現国王へ王位継承をして久しく隠居の身ではあったが、長らくの恐慌から今の活気ある国に作り変えた先王の死に民は深く哀しんだ。
「そう、か…」
唯一であったのだろう、道を閉ざされたにも関わらずトーリはその赤い目を悼むように伏せてから改めてまっすぐに見つめてきた。
「…実は昔、父から聴いたことがあったのを思い出した。気のいい男で数日に渡り酒を飲んで語り合ったと。まさか一国の長で…それも亡くなっていたとは、思いもしなかった」
それは自分が聴いていた話と同じだった。
ということはやはり、今目の前にいる少女はあの与太話だと思っていた、御伽話から出てきた姫と言うことなのだろう。
トーリとハルヒトは手のひらを胸の前に合わせて静かに頭を下げて黙祷を捧げ、「そうか、」もう一度呟いてい寂しそうに笑う。
「アテがなくなってしまったな」
「お嬢」
「いいんだ。元より考えなしの親父のことだ、それほど期待していたわけでもないさ」
気が抜けてしまったように椅子に深くもたれかかりながら、ふとトーリが顔を上げた。
最初に会った時はあれほど警戒していたトーリは、なぜか懐かしむような目でアレクを見つめてくる。
「――まぁいい。それより亡くなってしまっているなら花の一つも供えたいところだけど。さすがにそういう訳にもいかなさそうだから、代わりに伝えておいてくれるか?父は元気にしていると」
アレクはカップに伸ばそうとしていた手をぴたりと止めた。
「いや、俺は……」
「なんでだ?ハロルドはおまえのお祖父さんだろう?」
しれっと祖父と言い当てたトーリに目を見張る。確かにエレノアも自分のことはこの孤児院の出資者としか説明していなかったはずだ。
「なんとなく、見ていれば縁者だと言うことはわかった。それに親父はハロルドには孫がいると言っていたし、まぁ半分は勘だったけどな」
呆気に取られているアレクと違い、完全に肩の力が抜けたように見えるトーリはそういえばと言った顔でその赤い視線を向けてきた。
「最後に、本当の名を訊ねてもいいか?」
小首を傾げると黒糸のような髪がふわりと流れる。
「…もう隠す必要もないみたいだ」
最後、というのに引っかかったが、今はただ静かに立ち上がると胸に手を添えて一礼する。
「――俺はこの国、シルフィルドの第二王子、アシェル・ド・シルフ。昨日の非礼を詫びさせてくれ、トーリ」
誰ともなく息を呑んだ。午後の日差しに柔らかく包み込まれた二人の姿はあまりにも美しく、まるで御伽話のワンシーンのようだった。




