第83話 深夜の密会
門兵や見回りの兵士たちを残し、城の者はもうほとんどが寝静まった夜更け。
アシェルの執務室に集まったのはセオドアとエヴァ、それにイーニアス。そして桃里と晴人だった。
たったこれだけの人数では狭いと思うこともない広々とした室内が、今日はやけに息苦しく感じる。
各々が抱える重苦しい空気のせいか、なにより部屋に来てからずっと浮かない難しい顔をしている桃里が気にかかった。
「北へ行っていた間にこちらで起こったことはあらかた聞いている。そして俺たちが見聞きしてきたことも今話した通りだ」
まずは互いに得た情報を出し、そしてここからが本題だった。次にどう動くのか、今ある手がかりのみでそれを決めていかなければならなかった。
「まず抑えるべきはエバンス公爵だ。アリスの方は所在が掴めていないが、こちらはブレイク家が動いてくれることになった」
「エバンス公爵閣下とミア様はそのアリスという女性と唯一接触していると思われます。既にジュリアを密偵に出しています」
普段はメイドとして城務めをしているジュリアのもう一つの顔は密偵である。
アシェルの隣に立っていたイーニアスは前もってまとめていた資料に目を落としながら補足した。
「わかった。それじゃあこれからは僕とリヴィがアッシュの分の執務を請け負う。その代わり、後は頼んでいいね?」
「ああ、もちろんだ」
アリスはセオドアの産みの母親だ。本来なら動揺してもおかしくないはずが、彼はこの話を聞かされても一切、顔色を変えなかった。
それどころかむしろ冷静すぎるほどに落ち着いていて、これまでの出来事に納得したように淡々と続けた。
城からの派遣体制、ブレイク伯爵家との連絡方法などの算段を進めてしばらく、口を開いたのはそれまで黙っていた晴人だった。
「――次は私からいいでしょうか?」
「話してくれ」
同意を得た晴人は、懐から取り出した薄汚れた布切れを差し出した。
「これはマシュー様が持っていたという小瓶に施されていた封ですが…この布地は私たちの知人の物だと思います」
「知人?」
「はい。これはある方の着物の切れ端…。妖の中でもお館様に匹敵する強さを誇る、ぬらりひょん様の物だと思います」
ぬらりひょんとはあくまで人間の付けた名前らしく、晴人たちは大大将と呼んでいるそうだ。
「大大将様は妖にも人にも気づかれない、例え目の前にいたとしても、本人が姿を現す気にならなければ一切気取られることがない特殊な力を持っています」
気配をすべて消し去る。それはまるでエバンス家の霧と同じような話だった。
「つまりそのオオダイショウとやらもキュウビに関わっていると?」
「いえ、今回の件に大大将様は直接関わってはいません。…むしろあの方は被害者です」
ゆるく首を振ってから、晴人は痛ましさを滲ませた眼差しで布切れを見下ろした。
「遥か昔、大大将様は九尾と戦い、そして片腕を取られました」
「なんだと…?」
「千年も昔のことで私も話に聞いただけですが…」
かつて九尾は、自らの力を高めるために数多の人間や妖を喰らっていた。
その中にいたのがオオダイショウと呼ばれる妖で、彼は激闘の果てに片腕を失うことになったという。
「その後、呪術師一族により九尾は国を追われましたが、その時には既に大大将様の力を得ていたのでしょう」
「気配を消す能力を持ったということか」
喰らった相手の力を得て化けるのが九尾の能力。そう続ける晴人に言及したのはイーニアスだった。
「ですがそれも完全というわけではない。たった一本の毛ですが朔月がそれに気付いています。そうですよね、桃里様」
「…ああ」
腕一本の能力、とはいえその力は未知数で図りようがない。わかったことといえば、九尾は限りなく気配を消すことができ、そしてそれを一番感知できるのは朔月だということだ。
眠っているのか、桃里の膝の上で小さな背を上下させている朔月はもしかすると今回一番の拾いものかもしれない。
「どちらにせよ、九尾のねぐらを見つけるのが難しいということはわかった。やはりまずはエバンス家から探りを入れていくしかない」
「それしかないでしょうね」
結局そこに行き着いてしまい、もうこれ以上続けても無意味かと思われた時。桃里が静かに呟いた。
「…もうひとつ、いいか」
いつもより低い懐疑心を含んだ声で呟いた桃里は朔月へと落としていた視線をゆっくりと持ち上げて、そのまま晴人へと紅を向けた。
「今までずっとはぐらかされてきたけど…もう隠し事はやめろ」
いつになく真剣な桃里の声音。北の地で晴人やクロトから一部始終を聞いていたアシェルでさえ、迂闊には何も言えない空気を纏っていた。
明らかにいつもと違う桃里の様子に、普段は飄々としている晴人からも軽薄な雰囲気が消える。
「…そうですね。もう今までのことと無関係とは言えなくなりました」
晴人はふっと小さく息を吐くと伏せていた瞼をゆっくりと開く。涼やかな目元に睫毛が暗い影を落とした。
そして彼は語りだす。これは決して昔話ではない、彼女の知らない物語。




