第74話 公爵家への疑念
冬にはまだ少し遠く、緑豊かだった王都周辺とは一変し既に色付き始めた木々と岩壁が特徴的な家屋。
そのどこか寒々さを覚えるその装いとは反対に、町は明るい活気で賑わっていた。
「おお!アッシュ!息災だったか!」
伯爵邸からまるで主人のように出てきたのはアシェルの祖父、ハロルドだった。
「お祖父様…!」
つい数ヶ月前まで死の縁を彷徨っていた老体とは思えない力でぎゅうぎゅうと抱きしめてくるハロルドに、アシェルは苦しさ半分、照れ臭さ半分に僅かに抵抗する。
「これはこれは、長旅お疲れ様でした」
いよいよ窒息するのではと思う勢いでもはや羽交い締めにしてくるハロルドの後ろから遅れて出てきたのは、この屋敷の正当な主人であるブレイク伯爵だった。
「ブ、ブレイク卿。…お祖父様、離してください」
ようやく引きがして襟を正したアシェルは、まだ少し肩で息をしながら恭しく礼をした。
「みっともない姿をお見せしました。成人祭の折は、城へのご足労感謝致します」
「こちらこそ、素敵なパーティーに参加でき感謝しております。…さて、ここではなんです。どうぞ中へ」
暖かみのある赤い灯りが煌々と揺れる室内へ招かれる。
そのまま案内された応接室もまた、同じように温もりを感じさせる品のいい内装と調度品で、まだ火は入っていない暖炉を囲むようにアシェルたちはテーブルについた。
「ではさっそくだが本題に」
「その前に。殿下」
室内へ入ったことで変装を解いたアシェルの向かいに座ったブレイク卿は、至極真面目な顔で話を遮り、そして深く頭を下げた。
「愚息が城で迷惑をかけていると伺いました。その非礼、平にご容赦いただきたく」
マシューと同じアッシュグレーの引き詰めた髪が、俯けられた顔にはらりと一房落ちる。ところどころ白髪が混じっているとこに彼のこれまでの年輪を感じた。
「とんでもない。迷惑というほどの迷惑では」
「しかし、あの異国のご令嬢に求婚していると」
「あー…それは……」
ちらり、アシェルは晴人を見る。迷惑を被っているのはどちらかと言うとアシェルよりも桃里の方だ。
「どうぞお気になさらず。桃里様もいい鬱憤晴らし…もとい稽古の相手を得て楽しんでおられました」
本当に隠す気があったのか些か微妙な晴人の言葉にようやく顔を上げたブレイク卿は、そのまま視線を彼へと向ける。
黒い長髪に常に浮かべられている笑顔は一見女性と見まごう晴人だが、その腹の底はそれなりに付き合いも長くなったアシェルでも未だ未知数だ。
「お心遣い、感謝します」
「いえいえ。こちらこそ、余所者の私や、そこのクロトを同席させていただき感謝しています」
ことの次第をまるで我が家のように寛いで聞いていたクロトは、一瞥する程度で呑気に茶を啜っていた。
「話はハロルド様とクロトさんからおおよそ伺っています。ブレイク家は全力を以て、シルフ王家への忠誠を改めて誓います」
真摯な言葉にそっと頷いてからようやくこれまでの話を切り出したアシェルに、ハロルドも黙って耳を傾ける。
今まで見たことのないその顔はおそらく現役時代のように鋭く、何ひとつ聞き漏らすことがないようにしているかのようだった。
「…ではやはりエバンス公爵が」
「今のところ一番黒に近いかと」
「確かに傍目にはただ娘に甘いだけの印象ですが、出世欲も強い男です。先の公爵家、デイヴィス家に取って代わっただけの血筋ではあります」
御三家は長年、デイヴィス家、ウィルソン家、ジョーンズ家の三つの家で構成されていた。
それが先々王、ハロルドの父が治めていた時代に起こった戦の際に失脚したデイヴィス家の代わりに、公爵家に位を上げたのがエバンス家だった。
「今のエバンス公爵は三代目に当たります。先代の期間が短く、また当人は次男であったにも関わらず病に伏した長男に代わり跡を継いだと聞き及んでいます。運もありますが野心も相当…。あの男なら娘を殿下の妻にして、王宮へのさらなる干渉力を得ようとするのも納得はできます」
さすがハロルドが信用するだけのことはある見識だった。
その手腕を買われながらも、あえて伯爵に留まりこの北端の町に身を置き続ける家の当主だ。先代、それよりもっと以前から確固たる誇りを持つ男だとわかる。
「だが、そんなエバンスも使われているだけではないか。というのが儂らの意見だ」
「…使われているだけ?どういう意味です?」
ぴくりと眉を跳ねさせたアシェルは、暖炉の前の安楽椅子で揺れるハロルドへと視線を向けた。
「儂らも遊んでいたわけじゃないということだ。――クロト」
ハロルドの声に顔を上げたクロトはティーカップをテーブルへと置き、代わりに懐から一枚の写し絵を取り出した。
「…これは?」
古ぼけた写し絵は素朴な村の景色を切り取ったもので、写っているのはアメジストのような色の瞳をした女と数人の子供たち。
親子と言うには子供とそこまで歳が離れていないように思う、どこか影のある女だった。
「この女はアメリアと名乗り、この北端の街からさらに外れにある村に住んでいた」
「住んでいた?」
ハロルドの物言いに引っかかったのかそれまで黙って聞いていた晴人が呟いた。
「ああ…五年ほど前に突如消えたらしい」
五年前。つい近年までこの地にいた女。そして、消えた。
「彼女の本名はアリス。二十二年前までは王宮に務めていたメイドで」
ざわり、と胸がざわめいた。アシェルは静かに深呼吸をして、浅くなる呼吸を落ち着ける。
きっとこれは王家の人間として逃げることができない話だ。
「セオドアの生みの母親だ」
ふっと脳裏に兄の顔がよぎる。ミルクティーブラウンの髪にアメジストの瞳。穏やかな笑顔とは裏腹に厳しい側面も持つ頼もしい兄弟。
そんな優しい兄と、写し絵の中の女の顔が重なった。
ざらりとした砂が擦れるような不穏な気配に、アシェルはぐっと胸元を握った。




