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第73話 そして最北へ

 風の国【シルフィルド】は東に大海を臨む王都と、それを囲むように西、南、北に豊かな領地を持つ。


 王都を除いたそれぞれの領地の中心地を治めるのが侯爵家、更に伯爵、男爵、子爵家が領土内で与えられた土地を治めている。


 東の海岸線を有し、唯一他の国からの船をつけられる王都はもちろん王族であるシルフ一族が統治し、西南北それぞれの地を御三家と呼ばれる公爵家が総合的な管理を任せられていた。


 エバンス家もその一つだ。


「これから向かうのはブレイク伯爵家、あのマシューの実家に当たる」

「ブレイク伯爵とは親交があるのですか?」

「ああ。豊富な知識と采配で、祖父の代では戦でも尽力してくれていたそうだ。その腕を買われて今は北の地、ノースプレインで他の貴族たちの査察を務めている」

「密偵のようなものですね」


 そんな出来た一族からマシューのような男が産まれたのだから世の中わからないものだ。晴人は徐々に緑の減ってきた平野を眺めて思う。


(お嬢は上手くやってますかね)


 北の地で一番栄える街、ノース・シルフに着いたのは昨夜のことだ。天候にも恵まれて予定通りの旅程で来られたのは幸いだった。


 ノース・シルフを治める公爵家で一晩を過ごし、オリヴィアとシロエを置いて密かに街を出たのは夜が明ける前だった。


「それにしてもリヴィたちは本当に大丈夫だろうか」

「式神も置いています。三日は大丈夫でしょう」


 式神。晴人が得意とする術の一つで、人形の紙に呪を込めて顕現させることができる。


 しかし晴人の術はそれだけに終わらず、形を成したい人物の血を一滴含ませることによりまるで本人のように振る舞えるほどになる。


「あの術なら早々見抜かれることはないでしょうし、何より式神とはいえ見た目は若様とイーニアス殿です。あとは彼女たちが上手くやってくれるでしょう」


 オリヴィアとアシェルは名目上、北の地で行われる祭りの賓客として訪れたことになっている。


 全員で祭りを放ったらかしにして、北の果てに住む一介の伯爵邸を訪れるのは憚られた。


 そこで採用されたのが晴人の式神を使う方法で、オリヴィアとシロエは目晦ましが今回の役目であった。


「…そうだな。二人を信じよう」


 認知を歪めるアシェルの魔法で姿を偽った二人は北端へと向かう業者に紛れ込み、ハロルドの待つ伯爵邸へと向かっている途中だ。


 ノース・シルフから馬車で約半日の場所にある北端の町、ノースエンドは隣国の火を加護とする国との国境に位置する。


 他国との国境にある町を任せられるだけはある人物なのだろうということは、まだこちらの知識に乏しい晴人にもわかった。


「そろそろかな」


 日の入りが早くなり既に太陽が傾きはじめた頃、見えてきたのは早くも赤く染まり始めた山々だ。あの山が他国との境となり、その麓に目的の町がある。


「お祖父様とクロトに会うのも久々だな」

「そうですね。…無事だとよいのですが」


 ハロルドから手紙が届いたのは成人祭が終わって数日が経った時だった。


 確実性を重視したのだろう。クロトの操る鳥が最速で運んできたその内容で、急遽この遠征が決められた。


「ブレイク卿にはことの委細は伝えているそうだから、たぶん問題はないはずだ」

「…ええ」


 ブレイク卿を信じていないわけではない。しかし謎の妖の気配。それも得体のしれない術を使う者かもしれないとあれば、安易に信用もできない部分が晴人にはあった。


「ま、なるようになるでしょう」


 とはいえ杞憂になるかもしれない。向こうにはクロトもいる。緩やかに、しかし確実に大きくなっていく山を見やりながら、晴人はそっと瞼を伏せた。




*******




 泥だらけのジャケットを拾い上げたレオは、その下からぱたぱたと靡くものを見つけて何気なく手に取った。乾いた土を払うと黒ずんだ汚いそれは、布を裂いた紐のようだった。


「どうしたんだ?」


 後ろから洗濯桶を持って出てきた桃里を振り返ると、彼女は何やら眉間に皺を寄せて怖い顔をした。


「え…うん、なんか埋まってたから」

「貸して」


 見慣れない様子に少し怯みながらも素直に渡すと、桃里はその汚い布だか紐だかわからないものを見つめたあとに、おもむろに臭いをかぐ。


 カランと軽い音を立てて地面に桶が転がった。


 一連の行動にレオが呆気に取られていると、桃里はもう踵を返していた。


「イーニアス!」


 足元に落ちた桶を拾って慌てて追いかけたレオは、屋敷に入っていく桃里のあとからそっと室内を覗き込んだ。


 玄関口まで来ていたイーニアスと桃里がなにやら難しい顔をして話している。


「これは?」

「…ほんの微かだが知っている匂いがする。これは――」


 先程の怖い顔が一転。桃里は懐かしむような、しかしどこか不安を宿したような表情で、手の中のボロ切れを見下ろしていた。


「親父の友人、大大将(おおだいしょう)の着物の切れ端だ」

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