第69話 秋祭りの下準備
アシェルたちが出立した翌日。
桃里はいつもの簡素なシャツ姿に、お忍び用の軽い麻のローブを羽織っていた。
イーニアスと合流して城門へと向かうとそこには既にマシューがいて、そして城のメイドに絡んでいた。
城の者たちにもすっかり顔が知れている貴族の息子は、大きな籠を持って困った顔をしているメイドにへらへらと笑いかけいて、それさえ見慣れてしまった兵士たちはいつも通りに呆れ顔をしていた。
「あっ」
しかしふと顔を上げたマシューは桃里たちに気がつくなり、見られたと言わんばかりに一度門の脇に引っ込んでから今度は何事もなかったかのように髪を整え近寄ってきた。
「やあ、お待たせしたかな、ミス・トーリ?」
無駄に格好をつけているマシューの隣をようやく開放されたメイドがそそくさと抜けていく。
「見てわかるだろ。待っていない。…それよりおまえ」
じろりと紅い瞳で睨みつけると、キザったらしい振る舞いをやめたマシューはぴしゃりと背筋を伸ばした。
「動きやすい格好をしてこいと言っただろ」
「これがボクにとって一番動きやすい軽装さ」
両手を広げたマシューはどう見ても軽装とは言い難い、初めて城に来た時と同じ高価そうなスーツを纏っている(貴族が主に着用する、スリーピーススーツと言うものだとイーニアスに教わった)。
「…まぁおまえがいいなら構わないけど。ね、イーニアス」
「はい」
桃里と同じく簡素な服を着たイーニアスは、無駄に誇らしげに胸を張るマシューに少しばかり同情混じりの眼差しを向けていた。
とはいえ桃里としては詳細も確認せずに勝手に早とちりしたマシューのことなど知ったことではないのだが。
「予定が変わって人手が減ってしまいましたから。今日は猫の手でも借りたいところです」
「そういうことだ。こんなのでも背に腹は代えられない」
今日は本来、アシェルとセオドアと一緒に孤児院へと赴く予定だった。
しかし急な変更でアシェルとオリヴィアは城を離れることになり、残るセオドアが通常の政務を行う形になってしまった。
晴人とシロエも遠征に同行することになるので、孤児院へ行くのは諦めようという話にもなったのだが、桃里は首を縦には振らなかった。
「レオや子供たちも楽しみにしていたんだ。行かないわけにはいかないからな」
話を続ける桃里とイーニアスに、やはりなんの話かわかっていないマシューはすっかり蚊帳の外状態だ。
「これも年に一度の事です。昨年はできませんでしたから、きっと待ちわびているでしょう」
「ああ。――あとは荷の支度が済んだら出発だ」
にっと笑った桃里は腕まくりをして気合を入れた。
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「トーリー!」
姿が見えるやいなや、真っ先に桃里に飛びついて来たのはまだ幼い少年だった。ぼすっと腹に埋まった顔を上げて満面の笑みを浮かべる。
「待ってたよ!」
「うん、遅くなってごめん」
ふわふわと跳ねる髪を撫でてやる桃里の眼差しはこれまで見たこともないほどに優しくて、まるで姉弟のような姿にマシューは目を見張った。
「あれ?他のみんなは?」
桃里の後ろにいるのはイーニアスとマシューだけだ。
少年はキョロキョロと周りを見渡してから、桃里の影に隠れながらもじっと警戒するようにマシューに視線を向ける。
「アッシュ達は急用が入ったんだ。でも安心しろ、今日はこいつが代わりにしっかり手伝ってくれるぞ」
じっとマシューを見つめていた少年が、目に見えてがっくりと肩を落とすのはさすがに絶妙に傷付く。
「それで、私たちは何をしたらいい?」
「えっとね!トーリは中で――」
「トーリ、イーノさん。よく来てくださいました」
手を繋いで歩きはじめた桃里たちの前に小走りでやってきたのは、見た目は地味ながらとても清楚で美しい女性だった。
「お忙しい時にありがとうございます。お手紙も頂いていたので…あら?そちらの方は?」
近寄ると更にその上品さが引き立つ女性は、首を傾げる姿さえ麗しい。マシューは思わず一歩前へと踏み出した。
「はじめまして、トゥ・エ・ベル。ボクはマ――」
「ただの男手だ。気にしなくていい」
そしていつものようにお辞儀をしようとして、ばっさりと遮られる。「えっ」固まっている内に、二人は少年とともにさっさと屋敷の方へと歩き出してしまう。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「マシュー様はこちらですよ」
談笑しながら去っていく背中を追いかけようとして、ぽんっと肩を叩かれる。
恨めしく唇を噛みながら振り返ると、そこにはにこやかな笑顔のイーニアスが屋敷の脇の方を指差していた。
「今日は殿下たちの代理ですから。張り切って準備を始めましょう」
「はぁ…?」
未だ状況を飲み込めていないマシューはぽかんと口を開いたまま、この格好で来てしまったことを後に後悔することになる。
賑やかな子供たちの声があちこちから聞こえてくる。それもそのはずで、ここは王宮お抱えの孤児院だ。
子供たちの歳は見たところ赤子から十三歳程度とばらばらで、しかしその顔は等しく明るかった。
「兄ちゃん!次こっちだよ!」
「ねぇあそこ届く?もっと上に飾りたいの!」
「うぇーーーん!」
「ルイが転んじゃったぁ!早く来てー!」
あまりにも目まぐるしく変わる状況に付いていけないまま、マシューは子供たちに振り回されていた。
(なんでこんなことに……)
次の休日は秋祭りが行われる。
祭りと言っても町をあげての大きいものではなく、庶民が行う子供向けの催しだ。
なんでも子供たちが布の切れ端で花を作り、それを近所の人に配ると代わりにお菓子が貰えるらしい。
そういった祭りが存在するとこを知識としては知っていたが、貴族生まれな上にあまり貢献的な生活をしてこなかったマシューは実際に経験したことはなかった。
「あらあら、大丈夫?」
泣きじゃくる子供の声を聞いて屋敷から出てきたのはエレノアだった。初見では挨拶すらできなかったが、後からちゃんとイーニアスが紹介してくれた。
「ごめんなさい、マシュー様。準備を手伝ってもらっている上に、この子たちの相手まで任せてしまって」
「いやいや、なんてことはないですよ。貴族の端くれとしてこれも当然の務めですから」
片手に持っていた金槌を背に隠して髪をかきあげる。しかし。
「兄ちゃん!それよりあっち!早く!」
「カボチャってどれくらいくり抜いたらいいの?」
「兄ちゃん兄ちゃん!」
せっかくエレノアが来てくれたのに、足元には子供たちがわらわらと群がってきている。
「あー!もう!わかった!やるから、離れろ!」
一張羅のスーツはすっかり泥だらけになっていて、真っ白だったシャツはよれてあちこちインクまみれだ。
正直これでは格好など付かないことはわかっている。マシューは大声で叫びながら、子供たちに引っ張られるままに飾り付け作業に戻された。
賑やかを通り越してうるさくすらある(主にマシューの叫び声が)窓の外を見やって、くつくつと喉を鳴らしているとレオがちらりと睨んできた。
「トーリ、手が止まってるよ」
「ああ、ごめん。つい」
既にいくつも色とりどりの花を作っているレオやリリーの隣で、桃里はようやく完成した不格好な赤い花を見下ろした。
「あまり手先は器用じゃないんだよ。だから私はあっちの仕事の方が向いてると思うんだけど…」
「やだ!リリー、おねえちゃんとお花つくりしたい!」
「だってさ」
すっかり兄貴分になっているレオの成長にたじろぎながら、桃里は仕方ないなと改めて花に視線を落とした。
「…そういえばさ、さっきエラに聞いたんだけど」
「ん?」
縫い物と格闘し四苦八苦している桃里に、レオは珍しくひそめるように声を小さくする。
「アッシュ兄ちゃんたちは北の街に行ったんだろ?」
「…ああ。少し用があってな。晴人とシロエも一緒だ」
「…トーリ、寂しくない?」
あまりにも予想外だった言葉のせいか、手元からぶちっと嫌な音がした。「あ」とレオとリリーの声が重なる。破れた真っ赤な花びらはあらぬ方へと向いてしまっている。
「おれはさ、ここに一人で来たときはやっぱりちょっと寂しかったよ。エラも、他のみんなもいるけど、トーリたちがいないから」
励ましてくれているのだとすぐにわかった。出会ってから今日まで、この少年は異邦人の桃里にいつも心を寄せてくれる。
「そうか。そうだな…本音を言えば、少し寂しい。でも」
不格好な包帯の巻かれた手を伸ばして、二人の子供の頭を交互に撫でた。
「今は寂しくない。おまえたちがいるからな」
「そっか!」
にっと笑ったレオは、やり直しと言いながら今度は水色の布切れを渡してきた。
その色はまるでアシェルの瞳の色のようで、桃里は微かに口元を緩めて改めて花を作ることに集中する。
(何も起こらなければいい)
花を作りながら祈ることしかできない歯がゆさに、こういう時のために、母のように八卦や祈祷を学んでおけばよかったと、桃里は少しだけ後悔していた。




