第68話 出発の日
馬車が三台とその周りを三十ほどの騎兵が囲む旅団は、荷物の積み込みも完了しいよいよ出発の時を待っていた。
最終確認に勤しむ忙しない活気と、気が早っているのか落ち着かない様子の馬を宥める声。出発を目前にしても城門には絶えず緊張感が漂っていた。
「桃里」
一通りの支度を終えて中央の馬車から降りたアシェルは、イーニアスとジュリアを従え見送りに来てくれた桃里の様子に僅かに眉を顰めた。
ラフな軽装はいつも朝稽古をする時の格好だが、今朝は当然そんな時間もなかった(そもそも最近はマシューの横槍のせいでろくに稽古もできていなかったが)。
「…大丈夫か?」
「誰に物を言ってるんだ?」
「ふ…そうだな」
マシューのことを言ったのは伝わったのだろう、含みのある問いかけにも桃里は挑発的な笑みを浮かべた。その表情にアシェルは少しだけ安堵の吐息を零す。
もちろん万が一にも桃里が負けるとは思っていない。それでもやはり心配になるのは仕方のないことだろう。
「それに手合わせをしている内に少しわかってきたこともあるんだ」
「わかってきたこと?」
訓練場の方へ視線を向け腰に手を当てた桃里は、風に髪を靡かせながら柔らかく目を細めた。
「意外と骨のある男だ。カマキリと言ったことは訂正しないとな」
「は…?」
「そうだなぁ。…まぁカブトムシくらいにはしてやるか」
絶妙にわからない例えをしてくる桃里に困惑しつつも、一応褒めているのだろうということだけはわかってしまい先程までの安堵は一瞬で消え去ってしまう。
桃里の後ろで静かに見守っていたイーニアスも困ったように眉を下げていて、ジュリアはやれやれと首を振る。
「あいつの話はいい。それより」
既に思考が止まりかけていたアシェルの頬に、すっと白い指先が触れた。
「道中、気をつけて」
ほんの僅かに揺れた赤い瞳に、自分でも驚くほど情けない呆けた顔が映っていた。
瞳の中を覗ける距離で微笑んだ桃里は、惜しむようにその手を引くとそのまま先頭の馬車へと歩み寄る。
「晴人」
「なんです?」
「任せたからな」
「はい。お嬢も、くれぐれも粗相はなさらぬように」
「しない!」
馬車の脇で晴人に向かう桃里の背中がいつもより小さく見える。この二人をむりやり引き離してしまうという事実が今になって重くのしかかってきた。
「イーノ。桃里のこと、頼んだからな」
「はい、命に代えても」
アシェルも自身の従者へそう告げると後ろ髪を引かれながらもいよいよ馬車へと戻り乗り込んだ。中では既にオリヴィアとシロエが待っている。
「シロエ、しっかりリヴィを守れ」
「もちろんにゃ!」
窓越しに見上げてくる桃里にオリヴィアが微笑んだ。
「お兄様からいただいたエルダーもあります。必ず有益な情報を持って戻ります」
「ああ」
オリヴィアが懐から取り出したのは桃里が神楽の時に気を込めたエルダーの葉だった。
「出発!」
先頭にいる騎士が号令を出すと一団はゆっくりと動き出す。
早くとも片道十日の道程に、祭りは三日間続く。その間に向こうに滞在しているハロルド、クロトと落ち合って、謎の妖の正体を探るのが今回の目的だ。
――カチン。
鈍い音を立てて揺れだした馬車の中に、ふとどこかから澄んだ音が響いてきて反射的に振り返った。
しかしそこにあるのは最後尾の荷車だけで、もう見送りの姿さえ伺えない。
「切り火の音です」
「切り火?」
向かいに座っていたシロエは懐かしむように目を細めて流れはじめた窓の外を見つめる。
「送り出す人の無事を祈って打つ石のこと…あっ、ほら」
そう言って窓の外を指差すシロエに導かれてオリヴィアと揃ってそちらに視線を向けると、小さな紅い花びらのようなものが馬車の後を追うように流れてきた。
「お嬢の鬼火。あたしたちの国では火には魔除けの力があると言われているから」
ひらひらと舞っていた小さな花弁は次第に高く空に上って消えていく。
しかし胸に残った微かな温もりは確かに、彼女が隣にいるようでとても温かな心地がした。
「ん、これは…なんですかね?」
空を見上げながら呟いた御者の言葉に晴人は静かに目を伏せた。
「お守りですよ」
「お守り?」
不思議そうに首を傾げる御者に晴人はそれ以上は言わず、ひらりと舞って消えていく火を最後まで見つめていた。
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ゆっくりと動き出した馬車は土煙を巻き上げて一路北の街へと向けて徐々にその速度を上げていく。
「武運を」
小さく呟いた桃里が不思議な道具を打ち鳴らすと、薄紅色の火花が舞って旅団の上に降り注いだ。
「まぁ、綺麗ですね」
馬車の後を追うように流れていく火花を見上げ、ジュリアはほうっと吐息を零した。
「…今のは?」
しばらく祈るように目を伏せていた桃里の隣で見送りの敬礼をしていたイーニアスは、火花が消える頃にそっと問いかけた。
「見送りの呪だ。皆が無事に戻るように願を掛けた」
「ではきっと大丈夫です」
「ええ。ご無事に戻られますよ」
いつの間にか会話は途切れ、三人はただ静かに旅団が見えなくなるまで見送っていた。




