第67話 それぞれの役目
十日目の朝。今日も今日とて懲りずにやってきたマシューは案の定、桃里に伸されて広場の片隅に転がっていた。
「おまえの執念には感服するけど、そろそろ諦めてくれないか?…ちょっと飽きてきたし」
今朝の場内は少しばかり騒がしい。なぜなら今日からしばらくアシェルが城を離れることになるからだ。
「…そ…そういうわけにはいかないよ」
呻きながらなんとか這い起きるマシューにはもう、初めて会った時のような軽薄さも偉ぶった様子もなくなっている。
「そうは言ってもな。明日はもう来れないだろう」
「…ぐっ」
かなり手加減しているとはいえ、日頃ろくに鍛錬もしていないと見受けられるマシューはさすがに身体的にも限界に近い。
そして何よりアシェルの遠征ともなれば、代理とはいえ現城主である彼の不在に城に来ることも難しくなる。
「まぁそういうことだ。婚姻の話は諦めて帰れ。おまえも暇じゃないだろ」
「…暇じゃないさ。暇ではない、けど…ボクは落ちこぼれだからね。回ってくるのはボクじゃなくてもできる仕事ばかりだ」
正門の方では兵士や使用人たちが忙しなく動き回っている。それを眺めていた桃里は、何とか上体を起こしてその場で座り込んで俯いていたマシューに視線を落とした。
「それでもやる事があるならやるべきだろ」
「…それは、そうだけど」
高飛車に声をかけてきた男は一体どこかへ行ってしまったようで、散々負け込んで今やすっかり気落ちしているマシューに呆れて桃里は肩を竦めた。
頭が落ちるのではないかというほどうなだれる彼の前に、やれやれとしゃがみこむ。
「だったら、明日は少し私に付き合え」
「えっ?」
「どうせ暇なんだろ。なら付き合え」
驚いたように目を見開くボロボロの男は途端に表情を明るくさせてさっと立ち上がると、埃を払って髪を撫でつけた。
「もちろん!レディの誘いは断らない主義さ」
今更格好を付けても決まらないのに何を舞い上がっているのか。いよいよ呆れを通り越して無の視線を向けていると、背後から聞き慣れた声がかけられた。
「お嬢」
現れたのは晴人だ。隣にはシロエもいて彼らも大小それぞれの荷物を抱えている。
「ああ、もうか。すぐ行く」
刀を腰に差して応えた桃里は、まだ変な格好で突っ立っていたマシューに、「とりあえず明日はもっと動きやすい服で正門へ来い」言い残してから晴人の後に続いた。
「承知した!」
あれだけこてんぱんに伸されたと言うのに張り切って走り出す姿をもう見ることなく、桃里はまっすぐ歩き出す。
今日からしばらく、この国に来てから初めて桃里は親しい人たちと離れることになる。
微かな不安を紛らわせたくて無意識に服の上から胸にある石を握りしめた。
*******
それはマシューが挑みに来た日の夜だった。
アシェルに呼び出された桃里は彼の執務室で今回の遠征の話を聞かされた。
桃里と晴人、シロエの他に同席しているのはセオドアとオリヴィア。そしてイーニアスとジュリアだ。
「お祖父様から連絡があり、どうも北の街に不穏な気配があるらしい」
王都から馬車で半月ほどの距離に、北部で一番大きな街がある。その街から更に最北の区画を治めているのがとある伯爵家で、名をブレイクと言う。
「ブレイク?聞いたことのある名だな」
「ああ、マシューの実家だ」
「ああ…」
うんざりする桃里は一旦置いてアシェルは話を進める。
「ブレイク家に直接関係があるわけじゃないが、その地でクロトが不穏な気配を感じたらしい」
「不穏な気配?」
「妖の気配があったそうだ」
「妖だと?」
この国に来て幾度か街に出かけたこともあったが、妖はおろか呪術師の気配すら感じたことはない。
それもそのはずで妖とは本来、霧の向こうの島国にしか存在しえないはずだった。
「海を渡ってきた妖が私たち以外にもいるということか?」
「それはわからない。けれどそういう報せが入ったのは事実だ」
「でもクロトが気付いたのなら向こうにもクロトの気配に感づいたかもしれない」
妖は縄張り意識が強く、同時に存外臆病な者が多い。
ゆえに他者の気配には敏感であり、海を渡るなどよほど奇特でない限りありえないと言うのが桃里たちの認識だった。
「もう数日前の話だし、まだそこにいるかはわからないけど。とりあえず僕らは調査隊を派遣することに決めたんだ」
ソファーに深く腰かけて言ったのはセオドアだ。
「未知の人物がいるかもしれない場所にお祖父様とクロトくんだけじゃ危険が多い。さすがに今回は少数で遠征をさせるわけにもいかない」
そこで、とアシェルは立ち上がり一枚の紙を机に置いた。それは何やら見せ物の宣伝のようだった。
「北の地では毎年秋に大きな祭が執り行われる。実りの少ない地でその年の収穫を祝うものだ。表面上これの賓客としてオリヴィアが赴くことにした」
「リヴィが?」
セオドアの隣に座っていたオリヴィアはこくんと頷いて微笑んだ。
「リヴィは国の顔でもあるからね。姫の参加は喜ばれるんだよ。対して僕は政務に復帰したばかりだからね、不信を抱いている者もまだ多い」
「だから行くのは俺とリヴィ。それから桃里」
二人が行くなら当然自分も行くものだと思って顔を上げた桃里に、しかしアシェルは視線を外して後ろに控える晴人を見た。
「晴人とシロエを借りたい」
「え?」
驚いて目を見開いたのはシロエの方で、「にゃにゃ!?」と猫耳が飛び出している。
「本来なら片道半月はかかる道程だ。今回は魔法で強化した特殊な馬で十日ほどの旅程を考えているが、それでも長期遠征になるしできれば呪術を感知できる人間がほしい。シロエにはリヴィの侍女としてついてほしいんだ」
「待て。それは理解できるけど何で私じゃなくて晴人とシロエだけなんだ。私も行く」
食い気味にアシェルの方へ身を乗り出した桃里をセオドアがそっと諌めた。
「それじゃ城ががら空きになっちゃうんだよ。確かにここには君の父君と君の結界が施されているけれど、何かあったときに対応できる人がいなくなる」
「それは…」
納得せざるを得ない言だ。すとんと座り直した桃里の肩に晴人の手が添えられた。
「ということです。今回お嬢は大人しくお留守番していてください」
「…おまえ、先に聞いてたな」
じろっと睨む視線も躱して晴人はアシェルへ向き直る。そんな二人を交互に見やったアシェルはわずかに眉を下げた。
「桃里たちにここまで頼むのは違うのではという話もしたんだ。けれど」
既に渦中にあるとはいえ外の国の人間を頼り切るのはあまりにも不甲斐なく、何より桃里と晴人を強引に引き離すことにも気が引けた。
それでもと、アシェルは静かに頭を下げた。
「今の俺たちに頼れるのは桃里たちしかいない。頼む」
その姿に倣うようにセオドアとオリヴィアも頭を深くした。
「ちょ、やめろ!なにも行かせないとは言ってない。ただ…私だけ留守番…。せめて晴人を置いて私が行くんじゃっ…」
「今回はあくまで調査です。それに向こうにはクロトもいるので、戦力的にも一騎当千のお嬢がこちらに残るのは正解だと私も思いますよ」
城にはエヴァやイーニアス、ジュリアも残るがセオドアには魔法も使えない。万が一を考えればこの布陣は確かに正しい。
「それとも何ですか。お留守番が寂しいですか」
「なっ」
「確かにお嬢は昔から置いてかれるとよく泣いてお館様たちを追いかけてましたもんね。まさか花街まで追いかけるなんて、その執念たるやまるで蛇女のようで」
「うるさい!昔の話だろ!」
「お土産くらい買ってきますよ、お菓子でいいですね」
ギャイギャイと喧嘩をはじめた二人に兄妹は顔を見合わせて小さく笑い、もはや止めもしないシロエはジュリアと話を進め始めてしまった。
「桃里」
「っなんだ!」
「これを」
アシェルが差し出したのは小さな石の首飾りだった。
「綺麗だけど…なんだこれは?」
「お守り」
そう言って眦を下げたアシェルに、一瞬呆けた顔をする。
しかしすぐ我に返るとまだ拗ねた様子を残したまま、ふんと鼻を鳴らすとしれっとそれを首にかけて座り直した。
「手はずを聞こう」
その日は長い夜になり、解散したのは夜もすっかり更けて月が傾き始めたころだった。




