第66話 決闘
その日、ゲイルシールド城の訓練場では普段の熱気とはまた違ったざわめきが起こっていた。
広場の中心に立つのはこの城では既に知らぬ者のいない異国から来た少女、桃里。
そして桃里の向かいに立つのは先日彼女に婚姻を申し出たブレイク伯爵家の令息、マシューだ。
「まったく、懲りない男だとは思ったけど存外に策士のようだな」
観客の動揺を物ともせずに真剣、夜霧三日月を携えた桃里はくつりと喉を鳴らしてマシューと彼の後ろにずらりと侍る傭兵たちを見渡した。数にして三十と言ったところか。
「考えてみたら一対一とは言っていなかったからね。それに強い男と君は言ったが、なにも腕っぷしだけが力じゃない。ボクは権力で君に勝つことにするよ」
息巻くマシューを前にして、桃里は軽く肩を竦めた。
「では審判は私、イーニアス・ランサーが務めさせていただきます。勝敗はいつも通り、立っていた方が勝ち。…で、よろしいのですね?」
「それでいい」
手の空いている兵士や使用人たちも物見遊山にきている中で、アシェルだけが小さく溜息を吐く。目下の悩みはこれだった。
「では、始めっ!」
先程までのざわつきはすっかり色を変えていた。
静まり返った広場の中央。地面に伸びているマシューの背に腰を下ろした桃里は、くあっと日向ぼっこをしている猫のようなあくびを零す。
その仕草だけでかなり退屈しているのだとアシェルとイーニアスは察した。
「よく集めたものだと褒めたいところだけど、こんな有象無象じゃ話にならないな」
短期間ながらも集められた傭兵たちが、決して有象無象ではないことは城の兵士たちもわかっていた。
どこから掻き集めたかは知らないが今は転がっている者たちも、かつてはそれなりの修羅場を渡り歩いてきた猛者ばかりだろう。
そんな屈強な戦士たちをものの数分で伸してしまった桃里はやはり、一度も鞘から刀を抜いていなかった。
「さて、準備運動も済んだことだ。アッシュ、稽古にしよう」
立ち上がって刀を腰に差した桃里は黙って見ていたアシェルを手招きすると、「今日は素手で勝負だ」などと、まるで遊びに誘うテンションでにっと笑う。
そんな挑発には目もくれず、アシェルは突っ立っていた兵士に向かった。
「片付けておけ。俺は執務に戻る」
「待て、これからだろ」
「朝稽古の時間は終わりだ。また明日な」
「それ昨日も言ってたぞ」
「ああ、明日も言う羽目になるかもしれない」
不満げにアシェルを追いかけていく桃里の後ろで、ようやく意識を取り戻したマシューが呻く。
「ま…まって……」
とっくに城に入っていく二人を視線だけで追いかけるマシューを、そっと起こして支えたのはイーニアスだ。
「こちらへ。お湯を用意しております。傷の手当も」
「っトーリィ〜〜〜!」
このやり取りは既に五日目になる。
始めの二日間は本当に一対一の勝負を仕掛け、三日目は数人の使用人を引き連れてきた。
昨日はまた一人で挑み、五日目はこの大群。たった数日でよく人を集めたものだとは思うが、この調子だと明日も来そうだ。
「お疲れ様でした」
イーニアスとのこのやり取りも既に五回目。マシューは今日も城に轟くばかりの叫びを上げていた。
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執務室で仕事を片付けるアシェルの視界の端にちらちらと黒髪が映る。
汗を流して簡素なワンピースに着替えた桃里はソファーに寝転がり熱心に本を読んでいた。
マシューが婚姻を賭けた決闘に来るようになってからも、桃里は少しも変わらずいつも通りに過ごしていた。
朝稽古(最近は決闘だが)の後はオリヴィアと勉強をし、午後はエヴァの部屋に行ったり晴人と色々と調べものをしたり。そしてたまにこうしてアシェルの部屋で読書に励んだりする。
今読んでいるのはアシェルが勧めた子供向けの冒険譚だ。
「そういえば桃里」
「ん?」
今日中に片付けなければならない仕事も一段落つき、そろそろ一息つこうとペンを置く。
「あれはちゃんと持ってるか?」
「あれ?…ああ、あれか。もちろん持ってる」
一瞬きょとんと首を傾げるも、すぐに察した桃里は起き上がりながら首から下げられていたものを胸元から取り出した。
それは綺麗な飾り細工が施された透明な石の中に不思議な液体の入った首飾りだ。
「ここにな」
細い指先に揺らされて小さく波打つ薄い緑色の液体はとある葉を煮詰めたもので、そこにアシェルの魔法をかけている。
「それにしても不思議だ」
「ん?」
「魔法はまだわからないけど…」
窓から差し込む光に石を透かした桃里は、淡い緑が反射する瞳でまじまじと見つめながら呟いた。
「これは持ってるだけでアシェルの気配を感じるんだ」
この石にかけた魔法はこちらの国での魔除けだった。
もし不審な物、例えば食べ物や飲み物であっても、石を近付けると中の液体の色が変わり異常を知らせてくる仕組みになっている。
ごく初歩的な保護魔法の応用で、王室では常習的に使われている魔法のひとつだが、それを手ずがらかけたのはアシェルも初めてだった。
「桃里には不要かもしれないが」
「そんなことない。これを持っていると何となく落ち着くから」
再び服の下にしまいながら笑った桃里にぐっと喉を詰まらせる。
彼女に他意はないのだろうが、今のアシェルには向けられる表情のひとつひとつに凄まじい破壊力がある。
「でも、できればこいつを使う機会がないことを願うよ」
「ああ。当然、城にいる限りは使わせるつもりはない」
桃里の周りにつけている世話役はジュリアを主に、彼女とイーニアスが選出した信頼のおける数人の者たちで、中には魔法を使える者もいる。
しかし何があるかわからないのが今のこの城の現状だ。
桃里に護ってもらってばかりだったアシェルが、少しでも何かできないかと思案して唯一渡せたのがこれだった。
「大切にするよ」
陽の光にキラキラと輝く黒髪は烏の濡れ羽のように艷やに靡く。
けれどそれ以上に向けられた笑顔のほうが眩しくて、アシェルは気付かれないように微かに赤らんだ顔を背けていた。




