第63話 婚姻の条件
入室するなりなんの迷いもなく上座に座る。
尊大な態度で肘掛けに腕を置いた桃里は、真紅の双眸を細めて眼前の男を見やった。
実際の視線の高さとしては桃里の方が低いはずだが、見下すように向けられた眼差しにマシューは僅かに気後れした。
「じゃあ改めて聴かせてくれるか。私をどうするって?」
普段とは露骨に違う桃里の態度に、アシェルとセオドアも僅かに戸惑う。
「ああ、そうだね。これは君とボクのことだ。まずは二人で話をしないと。そうだ、それよりまずはボクのことを君に知ってもらえるかい?」
「そんなことはどうでもいい」
また無駄に口を開こうとしたマシューを桃里はぴしゃりと遮った。そこには先程までの動揺して固まっていた少女はもういない。
「おまえは私を娶ろうと豪語していたんだろ?」
着物の裾を器用に捌いて脚を組んだ桃里は、下ろしたままの髪を気怠げにかき上げてからふっと、唇を歪ませた。
「いいぞ。その申し出、受けてやろう」
「なっ…!?」
「桃里ちゃん…!?」
予想だにしなかった返答にアシェルは動揺を露わにし、桃里の隣にいたセオドアは思わず身を浮かせた。
「何を言ってるの桃里ちゃん。君にはこの国や貴族の争いなんか無関係なんだ、こんな強引な婚姻は受けなくても」
「もちろん」
必死に止めに来るセオドアを視界にも入れず、指を立てた桃里はそれをそっと自身の口元に寄せた。
「ただでとは言わない。条件はある」
「条件?」
マシューは目の前の少女がついさっき出会ったときよりもずっと得体のしれないものに思えてきて、つい思わず眉を潜める。
「その前に私の家の話だ。…なぁ晴人。今まで私に求婚してきた男の数はどれくらいだった?」
「およそ五十かと」
「ごっ……五十…!?は、はは、さすがにそれは見栄を張りすぎでは、ミス・トーリ」
素知らぬ顔を明後日の方へ向ける桃里に代わり、後ろに立っていた晴人はいつも通りの飄々とした口調で続きを答えた。
「桃里様はそういったことには無頓着なので覚えていないでしょうが、斬って捨てた数で言うならば間違いはないですよ」
「えっ?…斬って、捨てた?」
「ええ」
そこでようやく桃里はその紅い眼差しをマシューへ戻すと、さながら捕食者のように鋭い瞳孔でにやりと笑った。
「私を娶る条件はたったひとつ。"私より強い男"。それだけだ」
突然の話で呆然とする男性陣に対して、姿勢を崩して肘掛けにしなだれかかる桃里はまるで飽きてきたと言わんばかりにあくびを漏らす。
「見ていたなら知っていると思うけど、アシェルとしていたような棒切れでの遊びじゃないぞ。我が身を賭けるんだ。当然、得物は真剣」
ソファーに立てかけていた刀を、崩した姿勢のまま持ち上げすらりと抜く。
そしてその格好からは信じられない動きで、桃里はふっと宙に飛んだ。
すとんと、まるで猫のように軽やかに机に乗り、その切っ先をマシューの喉元に突き付ける。
机の上の茶器は音どころか、その中身に波紋すら立たなかった。ぴしゃっと、先程零れた紅茶を踏む音だけが微かに響いた。
「言っておくけど、私は刀を握って負けたことは一度もない」
ごくり、喉がなったのは誰のものか。
呆けているマシューの鼻先でふふっと艶やかに微笑んだ桃里はするっと床に飛び降りて、そして静かに刀を納めた。
「これは父が定めた決まりごとだ。なにせ父は私のことなど小指一本で捻ってしまうような男だからな」
晴人に刀を預けてアシェルの背に回った桃里はしなりと上体をもたれさせて、その首元に片手を回す。
「私に負ける程度の弱い男じゃ、我が父には認めてはもらえないだろう」
いつもは咎める側であるはずの晴人が今は一言も口を挟まずに、その隣ではシロエがくすくすと笑っている。
妖しい空気が室内を満たし、肌を刺すように空気がざわめきだす。背になにかが這い寄る不気味な感覚。
顔を真っ青にしたマシューは、思わずといった風に口元を抑え立ち上がると「きょ、今日はいったん失礼します。また後日に、ミス・トーリ…」とほとんど言葉になっていない震えた声で部屋を飛び出していった。
「この程度のこけおどしで逃げ出すなんて、手合いをするまでもないな」
「ふふっ、お嬢ってば脅かしすぎにゃ〜」
「やはり親子は似るものなんですねぇ。目付きの悪さも尊大な態度もお館様そっくりでしたよ」
マシューの気配が完全に消えると途端に和やかに話し始めた三人に、アシェルは今更背筋を冷やした。
そんなアシェルを知ってか知らずか、桃里はぴょこんとソファーに座りなおす。
「行儀が悪いですよ」さっきは注意しなかった晴人もしっかりいつも通りだ。
「ったく、気持ち悪かった。臭いし。私はああいう男が嫌いなんだ」
桃里は嫌悪感を露わにしながら手をぱたぱたと振って麝香の残り香を払う。
「ああいう?」
「うん。なんかこう、カマキリみたいだっただろ」
「カマっ…ぶふっ……」
容姿でいうならマシューは決して悪くはない部類、むしろいい方に入る。しかしそんな彼も桃里にはなぜかカマキリに見えているらしい。
桃里のあまりの言いように、それまでの緊張が切れたアシェルは吹き出したまま俯いて肩を震わせた。
「それで桃里ちゃん。さっきの話は本当なの?」
「さっき?」
「婚姻の条件ってやつだよ」
セオドアの言葉にアシェルの笑いがぴたりと止まる。
「それは本当だ。十二の時に親父がいきなり言い出した。そしたら有象無象が湧いてきて、もう毎日が戦だった」
「五十は一応数えれる範囲なので、雑魚も含めたらもうよくわかりません」
朝から晩まで屋敷に押しかけていた妖たちを相手取り、桃里は毎日打ち合いをしていた。そんな娘のすったもんだを肴にゲラゲラと笑っていたのがことの張本人である父親だ。
「つまり勝てた者はいない、のか」
「そりゃあな。私も必死だった。ガマやムジナの嫁になるなんてまっぴらだったからな。――まぁ私が負けるとしたら親父や銀治郎並の妖か。あと身近にいるのなら晴人くらいか」
「…ガマ?ギンジロウ?」
聞き慣れない名称に兄弟ははてと首を傾げる。
「ガマはガマだ。銀治郎には何度も挑んで逆さ吊りにされて火炙りにされかけた」
「そ、そうか…」
あまりにバイオレンスな内容にアシェルはこれ以上は聞くまいと話題を変えるため、助け舟を求めてセオドアを見る。しかし彼もまた、頭を抱えてうなだれていた。
「まぁその話はともかく…マシューはあれで懲りるだろうか」
「それはないだろうな」
あっさり言ったのは桃里だった。
「あいつの後ろには誰かいるようだった。…それも、城に近付きにくくなった誰か、がな」
「どういうことだ?」
また肘掛けに頬杖をついた桃里は、アシェルのジャケットの胸ポケットをとんっとついた。
「この前の神楽。あれはこの城一帯の穢れを祓い、気を清めるものだ。今のこの城は邪なものには入ることすらできないだろう」
するりと伸ばした指先がポケットから取り出したのは、桃里が神楽に使ったエルダーの葉だった。
茎から離し水を与えずとも枯れることもない瑞々しいそれを、桃里は指先で器用にもてあそぶ。
「ここまで来て平気なら、あの男は今のところまだ白だ。けどたぶん、どこぞの邪なやつの駒にされていると私は見てる」
その更に後ろに本当の黒幕が隠れているのだろうけど、呟いて葉に口づけした桃里はそれをアシェルのポケットに戻してからゆっくりと伸びをした。
「とりあえずは邪魔な私をあいつの番にして、下っ端とまとめて消してしまおうってところだろ」
内容はともかく余裕も見てとれる桃里の様子に僅かに安堵しつつも、セオドアは気付かれぬようにアシェルに目配せする。
おそらくはマシューの後ろにいるのはエバンス公爵。しかしその後ろはまだ見えない。それは二人ももちろん理解していた。
つまり狙われるのは依然、桃里であることに変わりないのだ。




