第62話 読めない恋敵
陽当たりの一番いい応接室で、マシューは給仕に来たジュリアにも軽薄な言葉をかけていたが、当の彼女は慣れた様子でさらりと躱して「失礼します」一礼して部屋を後にした。
「あらら、釣れないねぇ。せっかく美しい女性とお近づきになれるかと思ったのに。…それにしてもやはり王宮。メイドたちにも随分と手が行き届いているようですね」
「ええ、なにせ急な来客もありますから。使用人たちもいつでも対応できるように努めています」
マシューの軽口に対して、アシェルは慇懃無礼で返す。含みのある彼の言葉はあえて気づかないふりをする。
部屋の外には退室したジュリアがそのまま気配を消して控えていた。
「それで、先程のことですが」
これ以上、無駄話をする義理もない。切り出したアシェルの隣には、エヴァの代理としてセオドアも同席していた。
「桃里は異国からの客人です。この国の者ではないとご存知の上で、婚姻を申込みに来られたのですか?」
紅茶を一口含んで「これはウェストプレイン産の茶葉かな。渋みが強いですね」などと感想を述べたマシューは、アシェルの問いかけにようやく顔を上げた。
そしてふっと眉を持ち上げると、いよいよ一貴族にしては尊大な所作で髪を撫でつけた。
「ええ。実は先日の殿下の成人祭でとても美しいダンスをしていた彼女に一目惚れしてしまいましてね。――ああ、その節は祝辞も申せずに、誠に申し訳ないことをしました。殿下は人気者ですからね。周りに侍る人に阻まれ、私ごときではお側へ参ることも叶わず」
聞いてもいないことまでべらべらと話すマシューに眉をひそめつつ、アシェルとセオドアは一言一句を聞き逃すまいと黙って耳を傾けていた。
「いやあ、あのダンスは本当に素晴らしかった。あれほど美しいダンサーは、この国広しと言えども早々いるものじゃあない」
「それで?そこからなぜこのような話に?」
まだ続きそうな話を打ち止めにしようと切り込んだのはセオドアの方だった。その眼差しにいつもの温和な色はなく、一国の第一王子としての鋭さを宿している。
「いやなに、実は叔父にその話をしていた時にちょうど居合わせた御仁がおりましてね。その方が言っていたのですよ。貴族たちの中で不思議な力を持つ彼女を一族に引き入れようとする噂があると」
「……」
「どうやら本当のようですね。…異国から来たということ以外その素性は一切不明。しかしあの珍しい黒髪に赤い瞳だ。この大陸ではまたと見かけない」
再び沈黙したセオドアに、マシューは口角を歪めてしたたかな笑みを浮かべた。
「今朝の立ち居振る舞いもそう、ただならぬ者だということは確かだったようです」
軽薄そうに見えても意外と隙がないマシューに、苛立ちを抑えてアシェルはあえて沈黙を選択する。今はまだ情報がほしい。こういうことにはセオドアの方が強い。
なによりこうべらべらと向こうから話してくれるなら、尋問する手間も省ける。
「貴族たちの中でそういう話があるのは事実ですよ。ですが、それだけの理由で素性の知れない娘を本気で娶ろうという貴族がどれほどいるでしょうか」
「素性など関係ありませんよ、セオドア殿下」
ぴしゃりと言い切ったマシューは静かにティーカップを置くと、まるで獲物を見据える獣のように獰猛な視線を持ち上げた。
「あの美しく神秘的な娘がシルフ一族の、特にアシェル殿下の寵愛を受けている。…それだけで手に入れる価値は十分にある」
「桃里は物ではない!」
ブチッと何かが切れる音がする。ついに我慢ができなくなったアシェルがテーブルを叩いた。茶器が不快な音を立てて跳ねるのも構わず、身を乗り出してマシューの胸ぐらを掴む。
辛うじて堪えていた茶器ががしゃんっと鳴り、今度こそ中身が溢れてテーブルに大きく広がる。
「アシェル!」
セオドアの静止も構わず激高するアシェルに、胸ぐらを掴まれたままのマシューはおかしそうに声を弾ませた。
「ほら、あのクールな王子様もこのご様子。やはり寵愛していると言うのも事実のようだ。エバンス公爵令嬢というご婚約者がいながら、やはり血は争えないものですね」
「っ…!?」
「おや、あの話…ルーカス陛下の件も事実でしたか」
どこからその話を仕入れたのか。マシューの予期せぬ言葉にセオドアさえもが僅かに目を開く。
「一介の伯爵家の人間がどこでそんな与太話を聞いたかあえて訊ねはしませんが、あまり公言しない方があなたの身のためですよ」
すぐに冷静さを取り戻して淡々と紡ぐセオドアに、マシューはますます口元を歪める。
「それは図星ということでは?」
「あなたが恥を晒すことになると言っているのです」
「ふぅん…まあ今はそういうことにしておきましょうか。彼女の件にはなんの関係もないことだ」
どうやら揺さぶり程度で本当にそれほど興味がなかったのか、マシューは存外あっさり引き下がった。
言及しても藪蛇になる。王家の秘事がどこから漏れたかは一旦保留するしかない。
ぐっと唇を噛み締めて指を離し身を引いたアシェル、マシューは特段、気にした様子もなくスーツを整えて座り直す。
「彼女は亡き祖父への使者としてこの国へ来ました。私はその祖父に代わり彼女の後見人を仰せつかったまで。ゆえに彼女の国の者たちの許可なく、その身辺を左右することはできません」
アシェルは背筋を伸ばして一息に言い切ると、とっとと追い返そうと扉の方へと視線を向ける。
「――お引き取りを」
一瞬の静寂。それを破ったのは扉を叩く音だった。
「…桃里」
返事を待たずして部屋に現れたのは話の渦中にいた少女、桃里だった。
「おもしろそうな話をしているようだ。その会話、ぜひ私も混ぜてもらいましょうか」
背後に晴人とシロエを従えた桃里は藍色の着物に身を包み、その手には城内では禁止されているはずの武器、刀を携えていた。




