第6話 小休止
見上げたのは簡素ながらも立派な建物だった。素材そのものの木目色を活かした梁の、清潔感のある二階建ての大きな屋敷。広い庭には大小の洗濯物がふわふわと靡いていた。
「おれ、ここで待ってるよ」
立派な屋敷を見上げていた一行の後ろにいたレオは、少し距離を置くようにして告げた。
「どうしてだ?おまえがここに私たちの探し人がいるかもしれないと言ったのに」
浮かない顔をするレオに桃里は不思議そうに問いかける。
「ここの人っていうか…おれあんまり偉い人は好きじゃないから。トーリたちで行ってきて」
そういえば昨夜この国のことを教えてくれていた時も、レオは少し暗い顔をしていた。
大陸の海際に面したこの風の国、【シルフィルド】はその名の通り風の神様の加護を受けた町で、シルフ一族という王族が統べているそうだ。
そしてここは孤児院というもので、身寄りをなくした子供たちを引き取り育てている国のものらしい。
どういった経緯かはわからないが、そういう場所がありながらひとり物盗りをしていた少年には色々思うことがあるのだろう。
「まぁそう言わずにさ」
そんなレオの頭をぽんと撫でたのは鴉だった。長い前髪で片目を隠し、尻尾のように黒髪を結った少年が彼の人間の姿だ。
「俺たちだけじゃ完全に不審者だぜ」
「そうそう!あたしたちと一緒に行って、一緒に帰ろ?」
ぴょこんとレオの前にしゃがみこんだ猫はにこっと人好きする笑顔を向けてレオの両手を握った。
「連れて……帰ってくれるの?」
「もちろん!ねっ、お嬢」
淡い茶斑の髪を揺らしながら振り返ったのは人間の少女に変化した猫で、そんな彼女に桃里は柔らかく目元を緩めた。
「なにせレオがいないと困るのは私たちだからな」
少し大げさに肩を竦ませて見せると、レオはそれまでの暗い瞳に光を宿して顔を上げた。
「…うん。じゃあ、行く」
「ありがとう」
猫と鴉の手を握ったレオに頷いた桃里は改めてその建物、孤児院を見上げてから庭へと踏み込み、そしてそっと門を叩いた。
*******
時は少し遡り、この国に来て一日目の夜のこと。
「反省しましたか」
「…私のせいじゃないけどな。あの棍棒親父のせいだ」
板の間に正座されられていた桃里がまだ不満そうに呟いた時、悲鳴と一緒に湯殿から飛び出してきたのは先程出会った子供、レオだった。
「へへ〜ん!ちょっとばかし切っちゃいましたぁ!」
得意満面にキランと爪を輝かせながら出てきた猫とは対象的に、レオは顔を青くしたり赤くしたりと忙しない挙動で桃里の後ろに隠れる。
「おやおや、見違えましたね」
「…あ、あんま見んなよ」
まじまじと見下ろす晴人から逃れるように引っ込んだレオは、ぼさぼさだった髪を綺麗に洗われて随分とさっぱりしていた。
「その着物も似合っていますよ」
「そう、かな。おれこんないい服着るの初めてだからよくわからないけど…」
あまりな身なりのレオを見かねて適当な店で服を用意したのは晴人だ。
こちらでは洋服と言うらしい。簡素で子供が動きやすいものを頼むと、シャツとズボンという上下を用意してくれた。
「それにしても突然お嬢が消えたときには肝が冷えましたが、まぁいい拾いものをしていたのでよしとしましょう」
「…しこたま説教した後に言うことか」
ようやく自由を許可された桃里が体を伸ばすと、あちこちがバキバキと鳴っていた。そのまま寝台に腰を降ろした桃里はぼふっと寝転がる。
「もう疲れた。鴉、猫。レオのことおまえたちに頼む」
「しゃーねぇなぁ。まぁお嬢よりは手もかからねぇか」
「うんうん。レオは湯殿でもいい子だったよ」
いい子、と小さく呟き先程とは違う照れた笑みを浮かべたレオに椅子を勧め、改めて全員が腰を落ち着ける。
「さて本題ですが。我々は今朝こちらに来たばかりで正直何もわからない状況です」
「トーリも言ってたけど、ハルヒトたちはどこか遠くから来たんだよね?」
話を切り出した晴人にレオが首を傾げる。その言葉に続けたのは意外にも桃里だった。
「いきなり親父に追い出されたんだ。それで気づいたらここにいた」
意味がわからないといった表情のレオに、それはそうだと溜め息をついた晴人は掻い摘んで自分たちの状況を説明する。
「――じゃあそのお手紙を失くしちゃって、誰に渡したらいいかわかんなくなっちゃったってこと?」
「そんなところです。それから一応会えと言われた人物は口頭でも聞いていたのですが…」
がばっと桃里が飛び起きた。
「私は聞いていないぞ!?」
「言ってませんからね」
しれっと答えた晴人を睨みつける桃里は放置して、果たしてレオに言ってもわかるのかと思いつつ主に言われた名を口にした。
「ハルドシルです」
「はるどしる?」
微妙な間があってから全員が顔を見合わせる。まさかそれが人の名前だとでも言うのだろうか。
「なんだそのハルドシル?って」
「変な名前にゃ」
しかし何かが引っかかったのか、レオは小さく「ハル、ド…シル」呟いている。
「お館様は略してハルと言っていました。異国から来た貴族の男だそうです」
「それも初耳だ」
「お嬢が赤子の頃の話ですからね」
何一つ聞かされていなかったことにいよいよ不満を露骨に出し始めた桃里は、唇を尖らせて行儀悪くあぐらをかくとそこに乗せた腕に頬杖をついた。
「それってもしかして…」
そんな桃里をよそに、レオはまさかと言った顔で口元に手を当てる。
「トーリってもしかして、お姫様とか?」
「そんなわけないだろ」
「ありますよ、一応。こんなのでもお嬢は我々一族の大切な姫君です」
「それも今初めて聞いたな」
桃里と晴人のやり取りを聞いているのかいないのか、「お姫様…じゃあお父さんは王様…?」何事かぶつぶつと呟きながら考え込んでいたレオが、恐る恐ると顔を上げた。
「それってもしかして……"ハロルド・ド・シルフ"…様、じゃないかな」
「ハロルド?」
「うん。その人、は……」




