第5話 昔話
路地裏の更に奥で、目深にフードを被った男は氷のように鋭い双眸をそっと細めた。
「イーノ」
子供と笑い合う少女がその場を去るのを見届けてから、小さく紡がれた声を合図にふわりと周りの空気が変わる。
薄く纏っていた空気が霧散し、それまで何もなかった景色の中からふたつの人影が現れた。姿を隠す魔法を解呪したのだ。
「今なら捕らえられますが」
「あの子供を助けただけのようだし、もう少し様子を見よう」
人目がないことを理解した上で男がフードを取り払うと、暗い路地裏でもよく映えるプラチナブロンドが風に靡いた。
「アレク様」
「平気だ、誰もいない」
この時間帯は町人のほとんどが表通りにいて、裏路地に人気がないことはわかっていた。
「どうしますか?」
「後を尾けたいが、今は手が足りない」
「そうですね…」
お忍び故に二人だけで来たのが裏目に出てしまった。それにあまり長くここに居るわけにもいかないアレクは、一旦少女を追うのを諦めることにした。
「さっきの様子からも危険はないだろう」
「勘ですか?」
「悪いか?」
「いえ」
すっと向けられた視線にも臆すことなく、イーニアスは困ったふうに少し眉を下げるだけだった。
「…行こう」
フードを被り直して魔法を詠唱したアレクに今度こそイーニアスは黙って後に続く。
(…それにしても)
つい今しがたの突拍子もない出来事を思い出しながら、アレクはまさかと思う。
突然目の前に現れた少女を前に、アレクの脳裏には懐かしい記憶が蘇っていた。
「――赤毛ではなかったが」
あんな話は耄碌した祖父の与太話だ。いつまでもキラキラと目を輝かせて御伽話を聞いていた子供ではもうない。大人になるにつれて、いつしかそう思うようになっていた。
「アレク様?」
ポケットの中に入れた紙に触れながら、ぽつりと呟いた独り言をしっかり聞き留めたイーニアスが首を傾げる。
「…なんでもない。行くぞ、兄さんを待たせている」
「はっ」
そこにはもう少女の姿はなかった。
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柔らかな芝生の上で転がる二人の子供は急かすような視線を祖父に送った。その腕の中では赤子がくうくうと安らかや寝息を立てている。
「さて、今日はなんの話にしようか」
「僕はあのお話がいいな。異国のオニのお話」
「あれはもう何度もしたじゃないか」
「だって一番楽しいんだもん」
兄のせがむ声に、眠りを妨げられた妹がふにっと小さく抗議をした。しかし祖父が軽くあやすとすぐにまたすうすうと寝息を立て始める。
「アッシュは何がいい?」
「…ぼくも」
「ん?」
「…ぼくも、オニのおひめさまの話がいい」
二人ともかぁ〜、と大袈裟に青空を仰ぎながら間の抜けた声を出す祖父に、二人は声を揃えてうん!と頷いた。
遠い遠い島国で、祖父が知り合ったというのはこの国ではモンスターと呼ばれる怪物だった。
鬼、と呼ばれるその怪物は、嵐に飲まれて難破していた祖父を気まぐれに助け、気まぐれに酒を振る舞い、気まぐれに三日三晩の酒池肉林の宴をしていたという。
今にして思えばなんというめちゃくちゃな話を子供に聞かせていたのかと思う。
そんな鬼が腕に抱いていたのが、なんと赤子だったらしい。攫ってきたのかと問うた祖父に、鬼は牙を覗かせてこう言った。「人の子などに興味はねぇさ、これは俺の娘よ」と。
よく見ればまだ布に包まれている赤子の髪は確かに赤く、父親だというのも存外嘘ではなさそうだったと祖父は語る。
なにより、目元は嫁にそっくりだ、目に入れても痛くはないと話す鬼に祖父は柔らかに笑みを浮かべ、そして自分にも孫がいると互いに子供自慢をしたらしい。
そんな親馬鹿たちの賑やかな酒宴のおり、ふと鬼が遠くを見つめながら祖父に言ったそうだ。
『これは貸しだ。いつかもし、その時がきたら』、と。
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(返してもらう…か)
祖父の話はいつもここで終わる。正直、今の今まで忘れていた寝物語。もうその先を聞くこともできないが、もしもこの話が本当であれば祖父は鬼に何を返す約束をしたのだろう。
そんな昔話を思い出しながら歩いているうちに、アレクは目的の場所に辿り着いた。
簡素ながらも立派な木製の建物を見上げると、屋根には珍しい鳥が止まっていた。
この辺りの海鳥とは違う、陽の光を吸って青黒く光る不気味な鳥。
(何かが来た)
アレクは鳥から視線を外すと、少しだけ辺りを気にしてから従者と共に建物の中に入っていく。
その様子を見下ろしていた鳥が、カァと一声小さく鳴いた。




