↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

58/81

第58話 母のぬくもり

「どうして母さんを知ってるんだ…!?」


 掴みかからんばかりの桃里に、エヴァは変わらず三日月を描くもその瞳はやはりどこか憂いを含んだ色をしている。


 当時の状況を詳しく聞いているわけではないが、ハロルドでさえ母のことは知らなかった。


 十六年前、ハロルドが難破したとき桃里はまだ赤子だった。しかしその頃母は産後の肥立ちが悪く屋敷で寝込んでいたと聞いている(あくまでこれも晴人に聞いた話だが)。


 実際ハロルドの口からも母の話はひとつも聞いていない。ならばなぜエヴァが母を知っているのか。


 不審に眉をひそめた桃里にエヴァは昔話でもするように落とした瞼の代わりに口を開く。長いまつ毛の影が灯りで揺れた。


「一年ほど前から夢を見るようになったわ」

「…夢?」

「そう。初めは何もないところから。けれどそれは日に日に近づいてきて徐々に人影だとわかったの。長くて美しい黒髪に、オニキスのような漆黒の瞳。どこかの民族衣装を纏った、それは美しいビスクドールのような女性」


 妖たちはまた少し違うが、外見だけでいうなら桃里の国の人間はほぼそれと一致する。まだ訝しんでいる視線に気づいたのか、エヴァは音もなくまつ毛を持ち上げた。


「手には彼女の瞳と同じくらい黒い鞘の、三日月のような剣を持っていたわ」


 母だ。それは間違いなく母だった。今は桃里へと受け継がれた母の愛刀。その名を夜霧三日月(やぎりみかづき)という。


 漆黒の鞘と柄を持ち、抜くとその刀身は三日月のように輝く、強い霊力を宿した退魔の(つるぎ)


「なぜ母上があなたの夢に」

「それが私の力だから、かしら」

「力?」


 エヴァは希代の魔道士だった。魔法を得意とすると同時に、彼女はもうひとつ他の人にはない力があるという。それは予知夢のようなものらしい。


「子供の頃から未来に起こることに(ゆかり)のある夢を見ることがあったの。そのほとんどは不鮮明で実際にことが起こるまでは繋がらないことも多かったけれど…今回は彼女の、アキオの力が重なって鮮明なものになった。そう私は考えているわ」


 本来であればにわかには信じがたい話ではあったが桃里の母、暁緒(あきお)は確かに一族で一番高い霊力を持っていたと聞いている。その力は魔を祓うだけではなく八卦なども得意としていた。


「託宣か」

「ええ、私達は神託と呼んでいるわね」


 エヴァの夢に現れたと言う母。ではいったい母はなんのために現れたのか。娘ではなく夫でもない。遠い異国の見知らぬ人の元へ来た理由は。


「母は…何を伝えに、あなたのところへ来たのですか」


 握り込んだ拳は真っ白になるほど固くなっている。


「『娘をお願い』」

「……っ」


 零れんほどに見開かれた揺れる瞳がエヴァを見つめた。今にも泣き出しそうな桃里の頭に伸ばされた手はやはりとても優しくて、そして温かい。


「その時はなんのことかわからなかったけれど…あなたがこの国に降り立った時に確かに感じたの。――来た、と」


 拳の上に雫が落ちる。こんなにも涙脆かっただろうかと思うほど、自身でも抑えの効かないものが溢れ出す。


「私もすべてがわかったわけではないわ。けれどアキオは確かに私にそう言ったのよ」


 髪を撫でていた手が頬へと流れ、俯いていた顔を上向けるとそのままそっと抱きしめられる。


「試すようなことをしてごめんなさいね。本当はあなたを護りたかっただけだったけれど…たぶんそうも言ってはいられないでしょう」


 背中を撫でてくれる手があまりにも温かくて、桃里はぽろぽろと涙の流れる顔をエヴァの胸に押し付けた。


「だからこれからは私もあなたと一緒に戦うわ。そして必ず、あなたをご両親の元へ返すから」

「…帰れる…?里へ……?」


 漠然と帰郷を望んでいながらも、それは言ってはいけないような気がしていた。アシェルやこの国の人たちは本当に優しい。


 異国から突然現れた桃里たちにも尽くしてくれて、とても大切にしてくれているとわかっていた。


 だからこそ帰りたいなどと、そんなことを口にするわけにはいかないと桃里は今目の前にあるものだけを見てきたつもりだった。


「ええ。あなたのおかげで準備はできた。…これからが反撃よ」


 だからね、とエヴァは耳元で優しく囁く。


「今は少し休みなさい」


 歌が聞こえる。優しい声と、柔らかい旋律。髪を撫でてくれるあたたかい手の感触。


「おか…さん……」


 母のぬくもりというものを桃里は知らない。正確には覚えていない。幼いとき、まだ物心がつく前に母は死んだ。


 桃里の記憶にあるとすればそれは一度だけ夢で見たあの後ろ姿と、夜霧三日月から感じる母の霊力と微かに残る白檀の香り。


(……おかあさん…)


 なぜ死んだはずの母がエヴァの夢に現れたのか。どうして自分の元には来てくれないのか。


 疑問は尽きず考えなければならないことは更に増えてしまったが、今はこのぬくもりに抱かれていたかった。


 意識が薄れゆく夢現に、桃里は生まれて初めて母に抱かれる心地よさと、得も言われぬ安心感というものを知った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。