第52話 手紙
桃里をなだめてしばらく、ふと思い出したアシェルは。
「ああ、そういえば。俺に用があると言ってたが」
「え、あ、ああー、でももう済んだし…別に」
再び歯切れが悪くなる桃里に、もしかしてと先程拾った手紙をポケットから取り出す。
「もしかしてこれか?」
「あっ!」
弾かれたように体を浮かせた桃里はアシェルの手の中にある手紙をひったくった。
「なんでおまえが持ってるんだ!」
「桃里が落としたのを拾っただけだ。返す機会を逃していた、すまない。…でもそれは俺宛だろう?」
手紙を握り潰してうっと仰け反る桃里にほんの少しだけ悪戯心が芽生える。
「くれないのか?」
「伝えたかったことは、さっき言った」
「けどせっかく書いてくれたんだ。それも読みたい」
「同じ内容だ、気にするな」
「そう言われても気になるものはしかたないだろう」
手紙を巡る攻防戦に、字が汚いからとか読むだけ時間の無駄だとか、散々ごねていた桃里だったが、食い下がるアシェルに根負けすると渋々と手紙を差し出した。
「ここで読むな!」
強く握り締められてしわくちゃになった手紙を受け取るや、早速開けようとしたアシェルに桃里が怒鳴る。
「わかった、わかった。部屋で一人で読むから」
ほくほくとした気分でしわを伸ばした手紙を今度こそ大事に胸の内ポケットへしまうと、桃里は不貞腐れたようにすっかり冷めてしまったお茶に口をつけた。
「ありがとう、桃里」
「ふん……それは私の言葉だろ」
側にいてくれてありがと、と小さく呟いた桃里に煎れたてのお茶よりも確かな温もりを感じる。
「そうだ、そのマフィンも食べていいか?」
「いいけど、もう美味しくないと思うぞ」
「せっかく桃里が作ってくれたんだから勿体ないだろう」
少し固くなった冷たいマフィンを二人で分け合う。ぼそぼそとしてしまっているが、その味は先程部屋で食べた時より優しい味がした。
それからはまた他愛のない話をする。好きな食べ物、嫌いな食べ物、動物は。植物は。季節は。まだまだ知らないことだらけだと、顔を見合わせて笑ったこの日のことを、決して忘れないとアシェルは思う。
初めて出会った時よりずっと明るくて、強くて、そして泣き虫な彼女を、必ず護ると心に決めた。
それが例え、叶わぬ恋だとしても。
*******
『拝啓、アシェル様
あの日、突然この国に時に飛ばされてしまった日。
本当はとても不安でした。
異国の人間で、半分は鬼の、何も知らない私が
ここでやっていけるのか。
けれどあなたに出会って、たくさん話をしてくれて、
友達になってくれて。
私はこの国に来てよかったと本当に思っています。
親愛なるアッシュ。
これからも、私と一緒にいてほしいです。
天使 桃里
追伸、また串焼きが食べたいし。ナマコも食べてほしい』
もう何十回読んだであろうか。アシェルは手紙を持ったまま、凝りもせずに机に頭を打ち付けた。
書類の束を片付けながらその姿を見ていたイーニアスは呆れ半分、微笑ましさ半分にまだ未処理の書類を机に置いた。
「殿下、まだお仕事が残っています。このままでは朝になりますよ」
ちらりと見えた手紙の文字はとてもいびつで斜線を引いて書き直したものもあったが、慣れないペンと覚えて間もない文字で綴られた気持ちはおそらく差出人が思っている以上の火力でアシェルに刺さっているのだろう。
「わかってる」
浸っているところに水を差されたせいか少しむすっとしたアシェルの顔は桃里のことを言えないくらいには年相応で、年長者であるイーニアスからするとくすぐったくなるほど眩しく思う。
しわしわになり少し端が破けそうになっている手紙をまるで壊れ物を扱うように大切そうに畳んで引き出しに入れたアシェルは、深く息を吐き今度こそ切り替えたのか真剣な顔で書類と向き合い始めた。
「私はこちらの書類を持って行きますが、サボらないようにしてくださいね」
しかしもう声は届いていないのか、集中しはじめたアシェルは黙々と仕事を再開している。
もうこちらを見もしない主に一礼してから部屋を出たイーニアスは、数歩廊下を進んだところで足を止める。
(報われてほしいと願うのは、差し出がましいことだろうか)
セオドアが戻ったことにより王位継承の話は一旦白紙へ戻ったとはいえ、現状アシェルにはミアという婚約者がいる。これは王族だけではなく貴族たちも含めた国の総意だ。
ミアは元は王位継承予定だったセオドアの婚約者候補として挙がっていたが、その後正式に王位継承権を得たアシェルの婚約者となった。
これはもう例えアシェルが王位を継ぐことがなくともそう簡単には変わらないだろうと、公の発表はまだなされていないがイーニアスは思っていた。それでもやはり思うのだ。自分の主には幸せになってほしいと。
「…切ないな」
「まったくだよねぇ」
つい出してしまった言葉に返答があり驚いて振り返ると、そこに立っていたのは相変わらず柔らかい眼差しをしたセオドアだった。
「セオドア殿下。失礼いたしました」
物思いに耽っていたせいかまったく気付かなったもう一人の主に慌てて頭を下げたイーニアスに、セオドアは気さくに手を振った。
「いいよ、気にしない気にしない。…それにしても」
呟いたセオドアは、たった今イーニアスが出てきた執務室の方へと視線を向ける。
「なんとかできないものかな。このままだと下手すると僕が桃里ちゃんを娶ることになっちゃうかもしれない」
「は?」
思わず素の声が出てしまった。
「僕ならまだマシだけどね。…やっかいな連中にも目を付けられはじめられてるよ」
普段は目尻が下がり気味で穏やかなセオドアの瞳に僅かに剣呑な色が混ざる。
水に垂らしたインクのように、静かに紡がれた言葉がじわりと胸に広がっていく。
難しいことだとはわかっていてもせめて今だけはと平穏を祈っていたイーニアスは、緩やかに、しかし確かに変わりはじめる雲行きに密かに拳を握りしめた。




