第46話 花街の夜
ここ最近、桃里と顔を合わせていない。
イーニアスやオリヴィア、晴人たちとはよく一緒にいるようだがどうにも自分だけが避けられている気がする。
成人祭を前に普段の執務に追加して来賓客のリストや準備など、誰の誕生日かわからないほどの仕事をしている今日この頃。
跡目争いから剣呑な関係だと思っていたセオドアはいつの間にか母と通じていたようで何やら忙しなくしており、オリヴィアは桃里の教育係も兼任しているので頼るわけにもいかなかった(執務自体は三人で分担している)。
「浮かない顔」
囁いたのは妖艶な唇を三日月型にした女だった。紅い口紅がよく似合う華のある声音が鼓膜を擽る。
「久しぶりに来たのに、もう少し楽しそうな顔をしたら?」
まああなたの楽しそうな顔なんて見たことないけど、そう言った女はベッド脇のテーブルに酒の入ったグラスを置いた。
「二年…三年ぶりくらいかしら。今度は何があったの?」
訊かれても答えないと知っていて女は緩く問うてくる。しかしそれもわかっているので、アシェルは特に口は開かずに寝返りを打った。
薄暗い部屋には甘い匂いが苦手なアシェルの為に少しウッド調の香が焚かれている。
天蓋を割って女がベッドに腰を掛けると、きしっと安っぽい音をたててマットが軋んだ。
「もう十八になるのね」
女は肌を多く露出した薄いドレス姿だが、それが逆に美しい体を際立たせていて不思議と下品には感じない。
「…まだガキだって言いたいのか?」
「ふふ、そんなに拗ねてちゃガキって言われてもしかたないわね」
数年前、町の片隅にあるこの界隈に足を踏み入れた時は確かにもっと幼かった。その頃は色々なことに嫌気がさしていたこともあったが、兄が後継者となり鎖から放たれたように自由を感じ、そして孤独でもあった。
「そういえばもうすぐ第二王子様の成人祭もあるわね。今年は久々に大きなお祭りになるってみんな浮足立っているわ」
茶色い髪をしなやかな指が撫でてくる。昔からこの手だけは振り払う気にはなれなかった。
「ハロルド前陛下がご逝去されてから王族は後継者問題で揉めてるって噂もあったけど、何とか落ち着いてくれてありがたいわ」
「…そうだな」
実際それはまだ片付いていない。むしろ問題は更に増え続け、正直祭りなどに現を抜かす暇はなかった。
しかしそれで民の心が一時でも安らぐのであれば、それは王家の人間として成さねばならない執務のひとつだ。
「ねぇアレク」
「…なんだ」
背中を向けていたアシェルの肩にそっと少し冷たい手が添えられた。その冷たさが心地よく思わず少し振り向くと長い亜麻色の髪がカーテンのように降り注ぐ。その奥の飴色の瞳が含むように微笑んだ。
「あなた、好きな子ができたでしょ?」
「はあ!?」
思わず起き上がったアシェルにきゃっとわざとらしい悲鳴をあげて身をそらした女は、くすくすと笑いながら額を小突いてくる。
「図星ね」
「っ…」
「まったく、あたしを誰だと思ってるの?この店一番のやり手なんだから。言わば恋のプロフェッショナル」
そう言ってすらりとした女の指が煙草に伸びる。それは「今夜はもうおしまい」の合図だ。おしまいも何もまだ何もしていないが。
ここは城下町の端にあるいわゆる娼館街だ。その中でも中の上か、至って普通のこの店にアシェルが流れ着いたのは偶然だった。
身分も容姿も偽り、何気なく一人で彷徨っていたときに店の窓から声をかけてきたのがこの女、リアンだった。
『ガキの来るところじゃないわよ』
まだ歳までは誤魔化しきれなかったアシェルに降り注いだのは、犬を追い払うような冷たい言葉。
しかし仰ぎ見たその瞳はどこか慈愛に満ちていて、まるで風の女神・シルフィアのようにアシェルには映った。
「で?自分だけが避けられてる気がして拗ねて不貞腐れて仕事も放ったらかした挙げ句にわざわざこんなところまで来たの?ガッキねぇ」
一息に言い切ったリアンの言葉が痛いところにぐさぐさ刺さる。
身分や本名は伝えずに商家の次男と言う設定にしているため、彼女の言葉は容赦がない(本当はおそらく気づかれているのだろうが、リアンは口が固く余計なことは詮索してこない)。
「しかたないだろ。俺だって困惑してる」
そのせいかアシェル自身も兄や妹よりも、砕けた言動になるのは道理だった。
「まったく。安くもない金を払って商売女のところに来てまで話すことが恋愛相談なんて、あなた友達はいないの?」
「…いる」
「はいはい、その彼女ね」
そう、アシェルと桃里は現在とても良好で健全な友人関係を形成していた。いた、と思っているのだが最近の避けられようから、どうやらその友人関係も破綻に近付いているのかもしれない。
「女が急に避ける理由はなんだ?」
「さあ、色々あるんじゃない。鬱陶しいとか嫌いになったとか。そもそも興味がなかったとか。あとは…別に好きな人ができたとか?」
がばっと顔を上げたアシェルに、リアンはおかしそうに笑い声をあげる。完全にからかわれた。
「今まで寄ってこられはしても避けられたことなんてなかったんだ」
「自意識過剰じゃないところが腹立たしいわね」
初めてアシェルがこの娼館に踏み込んだとき、その幼さを差し引いても店の女達は色めき立っていた。
容姿は変えているとはいえ当時の自分の魔法技術では根本の目鼻立ちや年齢、ましてや立ち居振る舞いまでは変えられなかったのだ。
「まぁでも彼女から直接何か言われたわけじゃないんでしょ?」
「そもそもほとんど話してない。たまに話しかけてもすぐどこかへ行ってしまうし…。そういえば最近は俺の連れとよくいる…あと他の男とも……いる」
「ふうん。ならその中に彼女の好きな人がいるとか?」
「そんな感じじゃない、と思う」
たぶんない。そう思いたいだけなのかもしれないが、ない。
確かに最近はアシェルの執務中はよくイーニアスといるようだし、晴人はもちろんのことセオドアともたまに話しているところを見かけている。でもない、と思っている。
「ねっ、じゃあその娘はどんな子なの?」
ベッドの縁に座り直したアシェルに身を寄せてくる姿は端から見れば男を誘う女のそれなれど、どこか姉のように親しみを感じるのがリアンという女だった。
「…珍しい髪と目の色で」
「うんうん」
「肌は白磁みたいに白くて、背は少し小さくて…細い」
「あら、抱いたの?」
「抱いてない!抱きしめは…した、けど、色々あってしかたなくだ!」
「色々ぉ〜?」
「変な意味じゃない!」
ならどういう意味ぃ?と甘ったるい声で笑いながら腕に胸を押し付けてくるリアンに、だからそういう意味じゃないと引き剥がす。
「本当にそんなんじゃなくて…見た目よりずっと、強くて。でも優しい子なんだ」
酒が入ったせいか妙なテンションで腕に絡みついてきているリアンを押し返しながら、言葉に紡いだ少女を思い出す。
そして自分でも気づかぬうちに小さく、ほとんど音にはならない声で「桃里は…」と呟いた。その時だった。
「呼んだか?」
瞠目と沈黙が薄暗い部屋の中をたっぷりと満たす。
廊下の光が差し込んでくる開け放たれた扉の向こうに、逆光でもはっきりとわかる人影があった。
そこにはまさに今、話題の中心だった少女が佇んでいた。




