第38話 幽霊騒動
アシェルの執務室を出て厨房へ食器を下げたあと、桃里は約束通りオリヴィアの部屋を訪れた。
「聞いてください!お姉様!」
部屋に入るなりドレスが捲れるのも厭わずに駆け寄ってきたオリヴィアに桃里はぎょっと目を見開く。
「ついに出ましたのよ!わたしも見ましたの!」
お転婆なところは確かにあるが、それでもいつもは優雅に迎えてくれるオリヴィアのただならぬ様子に桃里も何事かと息を飲む。
「いったいどうした、何が出たんだ?」
ブラウスの襟をきゅっと握る仕草は不安そうで、しかしそれと同時にどこか好奇心を含んだ瞳が桃里をまっすぐ見上げた。
「幽霊ですわ!」
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ことの始まりは数日前。その噂はメイドや庭師たちの間でひっそりと広まっていた。
ある夜、オリヴィアはいつものように自室で日課の読書に没頭していた。当時は空前の大人気作だったが今ではすっかり過去のものになってしまった冒険譚の原書だ。
今でも紙の本は決して安いものではない。貴族やそれに並ぶ商家、国直属の学校などでは扱われているが、庶民には手の届かない高価な代物だ。
それを逆手に取ったのが吟遊詩人たちだった。彼らは街から街、国から国を渡り歩いては様々な物語を語って人々を楽しませていた。
その時に流行ったのがこの物語。まだ幼かったオリヴィアも城を訪れた有名な詩人の歌と話を楽しんだのは記憶に鮮明であった。
そんな物語の原書がようやくこの城に寄贈された。作者が亡くなったのを機に親族の者が譲り渡してくれたのだ。
そんなこんなで、あっという間に一冊目を読み終わってしまったオリヴィアはどうしたものかと考えた。
本当ならもう眠らなければならない。けれど続きも気になって仕方ない。物語としては知っていてもやはり原書。その情報量は詩人が語るものとは雲泥の差だった。
「やっぱりもう少し読みましょう」
夜更けにはまだ早い時間だったこともあり、オリヴィアはそっと自室を抜け出して書庫へと一人で向かうことにした。
普段はメイドたちが忙しなく歩き回っている城内も、夜になるとまるで誰もいないかのように静まり返る。
オリヴィアは廊下に灯しされた蠟燭の火を頼りに書庫までやや駆け足で向かっていった。
静まり返っているとはいえ生まれ育った場所に変わりはない。オリヴィアは勝手知ったる我が家とばかりに静かに書庫の扉を開く。
しかしそこでふと、何かの気配を感じた。
廊下とは違い真っ暗な書庫の中をおそるおそる手にした燭台を翳す。刹那、キラッと暗闇に何かが光った。
「キャッ…!」
オリヴィアの声に驚いたのか否か、中の何かは音もなく消えた。
「今のは…いったい…」
見た目に反して肝が座っていると兄たちにも称されるオリヴィアは、おずおずと再び室内を照らす。
しかし広い書庫のすべてを照らすには燭台の炎はあまりに弱々しくて頼りない。
「明日もう一度、来てみましょう」
この時、オリヴィアの中では大人気の冒険譚よりもひとつの話が頭に浮かんでいた。
そう、それはメイドたちが話していたあの噂。
――暗闇に光る謎の宝石――
(絶対突き止めてやりますわ!)
*******
「…と、言うことですの」
「ふぅん」
意気込んで話したオリヴィアに反して、桃里のリアクションはかなり薄いものだった。
「信じてませんの…?」
「あ、いや、そうじゃなくて。私が聞いたのは『納屋に現れる白い人影』だったな、と思って」
「白い人影…?光る宝石ではなくて?」
「うん。あとシロエが聞いたのは『廊下に佇む大きな壁』、だったかな」
「なんですの…それは」
「なんだろうな…」
暗闇に光る謎の宝石、納屋に現れる白い人影、廊下に佇む大きな壁。どれもこれも意味不明なものばかりだが、要するに。
「この城は幽霊屋敷だったんだな」
「違いますわっ!」
十四年間この城で暮らしてきてそんな話は一度も聞いたことがなかった。これはもしかして例の呪いに関係しているのではないか。
ばんっとテーブルに手をついて立ち上がったオリヴィアに桃里は驚き顔を上げた。
「緊急会議です!お兄様たちを呼びましょう!」
バタバタと部屋を飛び出していった後ろで、部屋に取り残された桃里がひっそりと肩を竦めたことをオリヴィアは知る由もなかった。




