第35話 意趣返し
初手から散々嫌味と皮肉を繰り返してきたミアたちも、桃里がまったく堪えていないことに気付き始めると今度は冷めた視線を投げるようになった。
「お茶のおかわりをいただけるかしら」
「かしこまりました」
ミアの一声で四つのティーカップに温かい紅茶が注がれる。それを横目で眺めてから、桃里は眼前にあるただの水が入っただけのグラスを見下ろした。
元々ここでは何も口にするつもりがなかったが(前回のイヤガラセから学んだ)、桃里の席には初めから水が一杯あるだけでティーカップや食器の類は一切用意されていなかった。
「ところで、トーリさんはゲイルシールド城にご留学されていますのよね?」
「そうですね」
問いかけてきたのは黄色に近い金髪をした少女、ソフィーだった。隣の茶混じりの赤毛の少女がベルというらしい。
「いったいどういった経緯で城に?本来あそこは貴族しか入れませんし、住まいを用意していただくなんて公爵家の方でも難しいとお父様が言っておりましたわ」
畳み掛けるように問うてくるソフィーにたった今その事実を知った桃里はしばし考えたあと、緩慢に口を開いた。
「父のツテです。私の父がハロルド様と知己だったので、その縁で置いてもらっているだけです」
経緯は省いたが嘘ではない。しれっと答えた桃里に苛立ったのか、ソフィーは可愛らしい容姿にそぐわない舌打ちをした(しかしさすがはご令嬢、桃里にしか聞こえていないだろうけど)。
「ではトーリさんのお父様は王家の方で?」
「いや、私の国に王族というものはない。帝はいたはずだけど父は一切無関係のただの…頭領?里長…のようなものかな」
「トウリョウ?サトオサ?」
聞き慣れない言葉に首を傾げている少女たちにわざわざ説明する必要もなく、むしろ桃里としても父が何者かと訊かれても困るのでそれ以上は口を噤んだ。
「お城では普段なにを?」
微妙な沈黙に痺れをきらしたのか、次に問いかけてきたのはベルだった。
「大したことは何も。こちらのことを学んだり、剣の稽古をしたり」
「剣の稽古…?トーリさんは女性なのに剣を嗜みますの?」
驚いたように目を見開いたベルたちの隣で口元を歪めたのはミアだった。
「そういえば一度拝見しましたわ。確かあの時はアシェル殿下に手習いを施していただいていましたわね」
「まぁ、殿下に?」
「ええ。トーリさんも兵士のような格好をなさっていて、とてもお似合いでしたわ」
「兵士の?…なんだか、野蛮ですわ」
一度どころか、アシェルと手合わせを始めてから数回刺すような視線を感じたことがあったが、あれはやはりミアだったらしい。
「いえいえ、殿下はお優しい方ですから。きっとトーリさんのような方にも就ける職などをお考えになっていたのかもしれませんわ」
「確かに、そうかもしれませんわね」
遠巻きでもなんでもなく野蛮だと言われているが、それも事実なので反論の余地もない。むしろ晴人あたりが聞けば野蛮どころか野獣ですよと笑顔で言いそうだと思った。
「そうでなければわざわざアシェル殿下がお相手なさるわけありませんものね」
「そうですわ。殿下は教養高い方ですもの。きっと異国からの留学者に同情なされたのね」
こちらに来た事情も経緯も知らないというのに、徐々にあることないこと、尾びれ背びれが付き始めた。
とはいえアシェルたちに害がなければそれで構わない。そう桃里が黙した時だった。
「そうとわかって安心しましたわ。ミア様というご婚約者がいらっしゃるのに殿下が下賤の娘に懸想なされた、なんてお噂もありましたも…」
明るい声で笑ったエルシィの顔に水が滴った。
「――え?」
何が起こったのか理解できずに固まったエルシィの代わりに声を上げたのはベルだった。
「なにをなさるの!」
キッと眦を釣り上げたベルを冷めた目で見下ろしながら、桃里は片手に持っていたグラスを静かにテーブルに置いた。
「随分と馬鹿にされた気がしたから」
「まぁ!怒ったということはあなたも自覚がおありなんじゃない!」
大丈夫?と痛ましそうにエルシィにハンカチを差し出すソフィーも、桃里に向けたその眼差しにはしっかり憎悪を込めていた。
「いや、私のことは好きに吹聴してくれて構わない。でもさっきのはアッシュを馬鹿にした言葉だっただろ」
音もなく立ち上がった桃里に少女たちの鋭い視線が一斉に突き立てられた。
「アッシュはおまえたちの主だろ。主が国のために昼夜を問わず働いているというのに…。こうも暇そうなおまえたちを見ていると平和ボケというのも考えものだな」
駆け寄ってきた侍女たちの非難まがしい視線が増えてもなお、桃里は涼しい顔でそれを受け止める。
「だいたい身分がどうとか、女だ男だとくだらない」
「くっ、くだらないですって…!?さっきから…無礼ですよ!」
叫んだのがどの少女だったか、桃里にとってはもうどうでもいいことだった。
「無礼で結構。私には身分も肩書きもなにもないからな」
それまで無表情に見下ろしていた桃里の瞳に明確な侮蔑が浮かんだ。ヒッと息を詰める短い悲鳴は誰のものか。
細められた紅い瞳に睨まれて、それまで勝気にまくし立てていた少女たちが一斉に身を竦ませた。
「それでも、おまえたちの場所に落ちるつもりはない。――シロエ、ジュリア。気分が悪い、帰るぞ」
一歩も動かずただ黙って控えていた二人はうやうやしくお辞儀をして桃里の後ろに続く。
まさに蛇に睨まれた蛙がごとく、少女たちは桃里たちが退出するのを壊れた人形のように首を軋ませて見つめていた。
*******
「やりすぎたかな」
「いいえ。桃里様が仰らなければ私が熱湯をぶちまけるところでした」
「そうか?なら私は彼女たちの恩人だな」
「ええ、そうですよ」
セオドアより少し年上らしいジュリアは落ち着いた様子で柔らかく、しかしその表情とは裏腹に物騒なことさらりと告げた。それまで気を張っていた桃里も思わず小さく笑みを零す。
すれ違うこの家の侍女たちも騒ぎを聞きつけていたのだろう。その中の一人、見るからにこの屋敷の使用人頭のような年配の男が桃里たちの元に歩み寄ってきた。
「この度はお嬢様がとんだ失礼を。大変申し訳ございません」
ことの重大さに気づいているのか、冷や汗をかきながら頭を下げる男と桃里の間に割って入ったジュリアは冷静な声音でそれに答えた。
「どうぞ顔をお上げになってください。桃里様は気にしておられません」
「あ…ありがとうございます」
「…ですが」
顔を上げた男に向かってジュリアは更に言葉を続けた。
「今回の件、殿下にはご報告させていただきます」
「そ、それは…」
「それではこれで、私どもは失礼いたします」
スカートの裾を持ち上げて一礼したジュリアは「さぁ、参りましょう」黙って見ていた桃里を促し足早に屋敷を後にする。
廊下を颯爽と歩いていく桃里たちを一瞬見やるも、王家からの客人にそれ以上は言えるはずもない。
男も他のメイドたちも、奇しくも桃里たちを見送る形になったいた。




