表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/37

第26話 策略の底

「ミア!」

「ああ、ミア!無事でよかったわ…!!」

「お父様っ…お母様っ!」


 イーニアスに抱きかかえられて戻ったミアに駆け寄ったのは公爵夫妻だった。


 薄ピンクのドレスを泥だらけにして泣きじゃくる娘を抱き寄せて安堵する二人をよそに、アシェルは声を荒げてイーニアスに詰め寄った。


「イーノ!桃里はどうした!?」

「それが、急に霧が出たと思うと忽然と桃里様の姿が消えてしまい…辺りを探していたところミア様が倒れておりました」


 詳細が掴めていないのか不甲斐なさそうに眉を寄せながらも、わかりうる限りの状況を説明するイーニアスにアシェルは胸倉を掴んでいた手を緩める。


「…結界の類か」

「はい。ですがその気配はまったくなく…おそらく」


 イーニアスは少し屈んで「呪術では」耳打ちする。その言葉にアシェルもまた黙したまま頷いた。


「すぐ城に報せを!イーノ!おまえは俺と来い!」

「っ殿下!お待ちください!危険すぎます!」


 食い下がったのは公爵だった。しかしアシェルはその腕を振り払いイーニアスから受け取った剣を腰に差す。


「その危険な場所に娘を一人置き去りにしてきているんだ」

「それはわかっております!すぐ屋敷から人をやりますから、殿下はどうかここにおいでください…!あなた様はこの国の誰よりも尊いお方なのですから!」


 公爵の言は当然のもので、確かに王族の人間として自らを優先するのは道理なのだろう。しかしアシェルは直感的に思ってしまった。


「…話が通じない」


 俯き加減の呟きは誰にも拾われなかったが、静かに顔を上げたアシェルは公爵夫妻とミアに視線を巡らせる。そして底冷えする声ではっきりと言いきった。


「俺は王家の人間である前に、まずは一人の人としての道理を通す」


 そう吐き捨てて背を向けると、何も言わずともイーニアスがその後ろに続く。


 もはや何も言えなくなった公爵は呆然と佇み、そして夫人に肩を抱かれていたミアは俯いたまま唇をきつく噛み締めていた。




*******




 ぽたりと頬に何かが落ちて薄く瞼を持ち上げる。桃里は薄暗い闇の中にいた。


(……あめのにおい…)


 身動ぐとズキンと激しい痛みが全身を突き抜ける。痛みと熱さが混じり合う下肢を引きずりあげるとざばりと水しぶきが飛んだ。


「川……なのか…」


 痛みに堪えつつ頭を持ち上げ空を仰ぐも、そこは鬱蒼とした木々があるのみだった。


 結局すぐにまた頭を落とすと地面の冷たさにゆるゆると当時の記憶が蘇ってくる。


「ああ…そうだ」


 崖から落ちて咄嗟に木の枝を掴んだが、衝撃に耐えきれなかった枝はあっさり折れた。なんとか着地しようとしたものの、それも失敗してしまい辛うじて受け身を取りながら地面に落ちた。


 むりやり寝返りを打って大の字に転がると、次第に強くなってきた雨粒が体中に降り注ぐ。


 そのお陰か、感覚が戻ってきた手のひらに硬い感触がした。


「あ……」


 よほど強い力で握り締めていたのか手のひらには小さな傷ができていたが、銀色の髪留めは壊れることなくちゃんとそこにあった。


(よかった)


 一週間前。今日の茶会の話を聞いた時にアシェルから唐突に差し出されたのは、オリヴィアに買った髪留めと同じ小さな紙袋だった。


『付き合ってくれたのと、クッキーの礼だ。受け取ってくれ』


 いつの間に買っていたのか、紙袋から出てきたのはあの時、桃里が最初に目を留めた髪飾りだった。


 しかし礼にしては高価すぎると断る桃里に、アシェルは困ったように微笑んだ。


『返されても困るよ。俺は使えないからな』


 その様子がなぜかおかしくて、一度は断った手で受け取った桃里は笑顔を浮かべて頷いた。


(…嬉しかったんだ、気遣ってくれたことが)


 これはこの国で得た最初の宝物。大切な、大切な。


 そこで再び桃里の思考は途切れる。


 本能は起きろと警鐘を鳴らしてくるけれど、血を流しすぎた体はずっしりと重たく、桃里は再び意識を失った。




*******




  雨が染み込む冷たい地面の上に、黒髪を散らばして倒れている少女を見つけた。


 その姿を見た瞬間、まるで全身の血が抜けたように指先が冷えていく。


「桃里!」


 躊躇いなく抱き起こした体は酷く冷たく、ただでさえ白い肌は蠟のように透けている。腕に伝わる重さはまるで魂が抜けたようだった。


「桃里!桃里!!」


 共に駆け寄ってきたイーニアスがそっと桃里の唇に手を翳すと、微かに緊張を解いた目でアシェルを見やる。


「大丈夫、息はあります」

「…そう、か」

「ですが酷い怪我です。早く戻りましょう」


 確かに薄い呼吸はしているが、このままにしておくわけにはいかない。すぐさまイーニアスが桃里を受け取ろうとした、その時だった。


 ドンッと岩を落としたような重たい音がして、そしてそれはあまりに一瞬のことだった。


「殿下!!」


 イーニアスから引き離すように、突如として上流から押し寄せた波にアシェルと桃里の体が飲み込まれた。


 轟音とともに消えた二人を追うに追えないイーニアスは、瞬時に思考を切り替えて今来たばかりの道を駆け戻る。


 城には公爵家からとは別に、アシェルが魔法で飛ばした報せが最速で届いているはずだ。


 それがセオドアの元へ届けば晴人たちが来てくれる。そう信じて、イーニアスは己にできる最善の行動を選ぶ。


(――どうか、ご無事で)


 不穏な気配が残る濃い闇を裂くように、イーニアスは山道を駆ける。



 濁流の轟音だけが響く暗闇の中で、桃里の髪留めだけがぽつりと取り残されて鈍く光っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ