第24話 お茶会の罠
エバンス公爵家が治める南の領地は緑が豊かな湿地帯で、連なる山々も初夏の日差しのもと青々と繁っている。
そんな美しい庭が一望できる高台のテラスには、染みひとつないクロスが張られた円卓と、その上には目にも美しい軽食やスイーツが並べられていた。
庭を望める上座にアシェル、その両隣にそれぞれ桃里とミアが着席し、イーニアスは少し離れた場所に控えている。
「今日の紅茶は西の領地から取り寄せた茶葉を使いましたの。殿下はあまり甘いものはお好みになられませんので少しスパイシーなものにしてみましたが…如何かしら?」
「ああ。美味しいよ」
「ふふ、よかったですわ」
楽しそうに話をしているミアと優しい笑顔で相槌を打つアシェルを横目に、桃里は特に何をするでもなく、話もほとんど聞かずにぼーっと庭を眺めていた。
(暇だ)
この国に来て何度も茶や食事をしたがこれほど退屈なのは初めてだった。オリヴィアやレオ、孤児院での茶の席では常に話が弾み楽しかった。
(そういえば、あの串焼きは本当に美味かったなぁ)
先日アシェルと町で食べた串焼きは特に美味しかったし、あの喧騒はとても楽しかった。
慣れないコルセットを締めるために朝食を少なめにしたことも重なって、想像の串焼きは思った以上の破壊力で空腹を刺激してきた。
「トーリさんは如何?紅茶のお味は」
不意に名前を呼ばれてはたと顔を上げる。しまった、全然聞いていない。内心めんどうだと思いつつも、桃里はとりあえずティーカップの持ち手に指を添えてゆっくりと口をつけた。
そして音もなくカップを置いた桃里は、やはり我関せずと優雅に微笑んだ。
「とても美味しいです」
「…そう、それはよかったですわ」
正直、恐ろしく不味かった。単に辛味のある紅茶が口に合わなかったという話ではない。明らかに激マズ。何をどうしたらこんなにも不味い茶が淹れられるのか返って不思議なくらいだ。
(毒とかではなさそうだけど…たぶんイヤガラセだな)
子供の頃、少しだけ母方の屋敷に行った時に侍女に似たようなことされた。
あの時は饅頭だったが、中から得体のしれない虫が出てきた。びっくりして泣きながら駆け寄った井戸にうっかり落ちそうになって、晴人に首根っこを掴まれたのも今はもう笑い話だ。
(あの時に比べたら可愛いものだ)
つい思い出し笑いをしてしまい、二人の視線を感じて唇を引き締めなおす。
その後は少しばかり機嫌を損ねたようなミアだったが、アシェルが上手く話を促しながら茶会は進み、桃里の空腹は募るばかりだった。
「アシェル殿下」
そろそろ陽も傾きはじめ、お開きにしようかという時間。テラスにやってきたのは公爵夫人だった。
「エバンス夫人、如何致しましたか?」
「今しがた主人が戻ってまいりまして。ぜひとも殿下にご挨拶をと。よろしければ屋敷の方へおいでくださいませんか?」
「公爵が。ぜひお伺いしましょう」
立ち上がったアシェルが二人をエスコートしようと側に寄ると、それより先にミアが動いた。
「殿方には殿方のお話がございますわ。トーリさんはわたくしと裏庭の丘に参りましょう。とっても夕日が綺麗ですの」
「いや、しかし桃里はまだ…」
「まぁ!それはいいわ。是非お見せして差し上げて」
さすがに一人で行かすわけにはいかない。間に入ろうとしたアシェルを、こともあろうに押しのけるように夫人が娘の背を押した。
「…わかりました。ですがイーニアスを共にお付けください。敷地内とはいえもう陽も暮れます。女性が二人だけで何かあれば、私には堪えられません」
「殿下…」
ほうっと頬を染めるミアにとって、その"女性"に桃里も入っていることは都合よく消去しているらしく、「今度は殿下もご一緒してくださいまし」とさっさと先陣をきって歩き出してしまった。
「桃里」
「大丈夫だ。イーニアスもいるしな」
「ああ。――イーノ」
「心得ております」
立ち止まり振り返るミアに続いて桃里とイーニアスも歩き出す。その後ろ姿が見えなくなるまで見つめてから、アシェルはようやく踵を返して背を向けた。
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つい一月ほど前まで暮らしていた自国の裏山とは違い、庭と同じように補正された山道は歩きやすい。
だというのに、桃里は少しばかり苦戦していた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。…けど少し歩き辛くて」
履きなれないヒールとひらひらしたドレスは普通に過ごす分には何ともなかったが、こうして長く歩くとなると少し厳しいものがある。
「彼女は凄いな。私はまだまだ修行が足りないみたいだ」
「一週間で習得された桃里様も負けてはおりませんよ」
慣れたようにドレスを持ち上げて歩くミアの背中が随分と遠く見える。そんなに離されたつもりはなかったが、やはり慣れない服のせいだろうか。
「それにしても随分歩くな。もう陽も沈みかけて…」
呟いてからはっと目を見開き振り返る。
「イーニアス!?」
確かに先程まで真後ろにいたはずのイーニアスが忽然と消えた。代わりに現れたのは地を這うように立ち上る霧のような靄だった。
「こっちですわ!」
聞こえてきのはミアの声で、桃里は逡巡してからイーニアスのことは一旦諦めて声のする方へ走り寄る。
そこにはミアが一人で佇んでいて、そしておもむろに桃里に抱きついてきた。
「丘の様子がおかしくて…!はぐれてしまったのかと心配しましたわ」
大きな瞳に水膜が貼っている。今にも涙が零れそうな潤んだ目で見上げてくるミアの背に、桃里はそっと手を添えた。その時だった。
ぐるっと低く喉を鳴らすような音が鼓膜を震わせる。ミアを背に庇って音のしたほうへ振り返ると、そこには不思議な生き物がいた。
姿形は虎のようにも思えるが、ぴんと立ち上がった耳と低く垂れた尾はまるで狼のようにも見える。
「なんだ、あれは…」
「魔獣ですわ!どうしてこんなところに!?」
「…友好的ではなさそうだな、囲まれた」
気づけば背後からも忍び寄ってきていたそれは、やはり狼のように群れ立っているようだ。
(丸腰の時に)
イーニアスはいない。刀もない。土地勘のない場所で、しかも動き辛いこの格好ではミアを庇ってどこまで戦えるだろうか。
「きゃああああ!」
劈くような悲鳴にはっと振り返ると、ミアのドレスに魔獣が食らいついている。反射的に桃里が腹を蹴り上げるとギャウンと鳴いて飛び退いた。
「チッ…!」
しかしその隙を逃さぬように別の魔獣が大きな口を開いて飛びかかり、咄嗟に顔を庇った桃里の腕に噛み付いてくる。
「くそっ…!ミア!逃げろ!ミアッ!」
気づけば周りにまとわりついてくる魔獣を振り払いながら叫ぶも、ミアからの返事はなかった。
恐怖のあまり気絶したのか、もしくは魔獣に噛み殺されたのか。
後者は思いたくなかったが、今は確認する余裕がない。既に十頭近くの魔獣が桃里に狙いを定めていた。
「このっ、クソ猫ッ…!」
得物がない以上はしかない。高く跳躍した桃里は真っ赤な髪を靡かせて、ひと蹴りで魔獣を薙ぎ払う。
すとんと地面に降りると立ち上がりざまに燃えるような真紅の瞳で群れを睨みつけた。
たったそれだけだというのに魔獣たちが僅かに後退る。
「退け。無駄な殺しはしたくないんだ」
一歩一歩緩慢に、しかし殺気を込めて歩み寄る。ぐるると威嚇しながらも後退していく魔獣から、桃里の気が逸れたのは一瞬だった。
いつの間にか開けた崖近くまできていたらしく、その淵にはキラリと光るものが落ちている。あれは。
その一瞬は、魔獣にとっては十分すぎた。
「しまった…!」
咄嗟に光るそれに手を伸ばそうとした時、桃里の身体に何頭もの魔獣が飛びかかってきた。
(ああ…やっぱりまだ、修行不足だった)
魔獣もろとも崖の下に落ちながら、桃里は手に握ったそれを大切に胸に引き寄せた。




