第22話 呪われた女
薄暗くて湿っぽい、陽の光が一切入らない場所だった。ぴちゃりぴちゃりと粘着質な水音が響き渡り、まるで鍾乳洞のようにひんやりとしている。
その最奥、ゆらめく蝋燭の光さえも受けつけない最も昏い場所にそれはいた。
近付けば近づくほど先程までの冷えた空気は生暖かくなり、そして強い獣臭へと変化した。
『ほう…蠱毒が、破られた、かえ』
脳を直接握られたような不快な響きと、鼻を刺すような臭気に思わず口元を覆う。生臭さと恐怖に顔をしかめながら女は僅かに頷いた。
引きつった声は男か女かもわからないほどの不協和音で、本当ならば今すぐにでも耳を塞ぎたい。
「…蠱毒だけではありません。あなたから授かった例の術も使えぬまま、第一王子は姿を眩ませました」
できるだけ普通に話そうとして、しかし発してからその声が震えていることに気がつく。恐れているのだ。本能が、身体が、そのすべてが"これ"は危険だと警鐘を鳴らしている。
『………』
「……何故です。あの男は長く苦しみ抜いた末に死に、他の血族もじきに死に絶えるとおっしゃったでは、ありませんかっ……!」
返事がないことに不安になった女はまくしたてるように叫ぶ。肩が強張り、額に脂汗が滲む。あまりの恐怖にもはや臭気すらも麻痺していた。
『あそこに…何か、あるので、あろうな』
「何か…シルフの加護ですか?ですがあなたの呪いは魔法には干渉されないはず」
『故に、別の、何かが、ある』
それはぐずりと地を這うような音を立てて何かを持ち上げた。暗闇の中に大きな三日月が登る。瞬間、ぞわりと背中が粟立った。
それは月などではない。歪なほどに裂けて吊り上がった大きな口だ。
『あぁ……腹立たしい、わ、れは…ここを動けぬ。外のこと、もわからぬ、どころか、ここが何処やも、知れぬ。……のう、小娘』
腰を抜かして座り込んだ女は、頭上からぼたぼたと落ちてくる生暖かい水滴にひっと喉を鳴らす。鼻孔に刺さる血腥さに気が遠くなりそうだった。
『ぬしは、いつか、ら、吾と、対等になった、つもりか。吾が、ぬしに力を貸すは、"吾"が、ここを出るため。……駒としてすら、働けぬならば…』
「ッ……!!」
頬に当たったのは高質な牙で、頭から呑み込むような臭気は先程の比ではなかった。これは、死の臭いだ。
『……足らぬ』
ガタガタと震えて失禁した女の真上から、音だけでも射殺せてしまいそうな声が脳を貫く。ひゅっ、ひゅっと、乾ききった喉が鳴る。
『負の力が、足らぬ。吾の、力、欲するならば、…すべて、差し出せ』
巨大な岩のような牙が女を噛み砕こうとして、しかしその瞬間ガチンと激しい音を立てたのはそれがいる奥深くからだった。
『ああ……あぁ……忌々しい……』
吐き捨てるような、哀嘆くような声とともに、闇の中から地面を伝って流れてきたのは錆臭い液体だ。手に触れたそれは粘りついて肌にまとわりついてくる。
『女』
「…っ、ッ……!」
もう声さえも出なくなっていた女に、痛いほどの憎悪が突き刺さった。
『もう一度、ぬしに、力を、やろう。……その代わり、必ず、吾に……贄を捧げよ』
こくこくと壊れたように頷きながらも魚のように唇を喘がせた女は、やっとの思いで一言だけ発した。
「む……すこ、だけは」
『………』
「あの子、だけは……どうか……!」
自分の身を差し出してでも、あの子だけはと懇願する女にそれはにたりと口を歪めた。
『それ、は、ぬしの、働き次第』
そう言い残してすっと闇に消えたそこには、もはや気配すらもない。
座り込んだ女の目の前にあるのは、ただの大きな岩壁だけだった。




