第20話 再び城下町へ
およそ一月ぶりに下りた城下町は、初めて訪れた時と変わらない明るさでなぜだか少しほっとした。
今日の桃里は髪を一つに纏め、こちらの服である細身のシャツとズボンを身に着けている。
そしてアシェルの"他者からの認識を歪ませる魔法"を施してもらい、曰く周りからは青年のように見えているらしい。
「やっぱり町は賑やかでいいな!」
すっかりアシェルといることにも慣れて随分と素を出すようになっていた桃里は、ぐんと腕を伸ばして胸いっぱいに空気を吸い込む。隣で同じ魔法を纏ったアシェルがおかしそうに笑った。
「今の桃里は男に見えているからな。少しくらい羽目を外しても怒られないし、なにより咎める者もいない」
護衛も付けずに(というよりは桃里がアシェルの護衛でもある)お忍びで城を出たのは何も遊びにきたわけではない。今日はアシェルの兄、セオドアの元を訪れる予定なのだ。
「ならあれ、あれが食べたい」
しかしせっかくならと、アシェルの方から街巡りを申し出たのだ。なので決して桃里が目的を忘れているわけではない。ないのだが。
「……と、とり、の、く……しやき……鶏の串焼き!」
「よく読めました。――店主、これを二本貰えるか」
愛想のいい主人から差し出された串焼きを受け取ったアシェルは、早くも他に目移りしはじめる桃里の腕を軽く引いて露天から離れた広場のベンチへと促した。
「ずいぶん文字が読めるようになったな」
「そうだろ。リヴィに付いてもらってレオと一緒に読み書きから教わってる」
どかっとベンチに座ってしまった桃里にアシェルは手にしていたハンカチをそっと仕舞って隣に腰を落とす。
串焼きを桃里に差し出すと彼女は礼とともに「いただきます」と目を伏せてから、口を大きく開けてぱくりと一口頬張った。途端キラキラと赤い目を宝石のように輝かせる。
「んんー!美味いっ!」
「それはよかった」
所作や行儀のよさは躾が行き届いている証拠なのだろうが、ここ最近で確信したのは桃里はやはりあまり女子らしくない娘だということだ。
初めて会った時の警戒心の塊のような姿とは随分と違うそのギャップに未だに少し戸惑ってしまう(晴人の桃里の扱いがどことなく雑な理由もこれで判明した)。
「そういえばアッシュも私の名を漢字で書いていただろ。政も忙しいのにいつの間に字を覚えたんだ?」
「それは、――内緒」
婦女子なら効果覿面を自負する笑顔を浮かべ、はぐらかすように串焼きを食べる。
実はまだ彼女の名前しか書けないとは言わずに誤魔化したアシェルの隣で、桃里は笑顔などには目もくれず夢中で串焼きを頬張っていた。
「――それにしても本当によかったのか?」
「何がだ?」
ぺろりと食べ終わった桃里は、串を指先で遊ばせながら賑わう町並みを眺めて首を傾げる。
「許嫁を放ったらかして遊んでいることだ」
「――うぶっ!…っごほっ」
思わぬ言葉に肉を吹き出しそうになるのを何とか堪えて飲み込むと、代わりに悲惨な咳が出た。
「大丈夫か」
こんなに行儀の悪いことしたのは初めてだったが、桃里はやはり気にすることなくまだ噎せている背中をとんとんと叩いてくれる。
「す…すまない」
つい今しがた使い損なったハンカチで自分の口元を抑えながら落ち着かせると、とりあえず繕うように咳払いをした。
「…知っていたのか。ミア…許嫁のこと」
「ああ。登城した日に会ったから挨拶した」
知らなかった。そういえばまだ数ヶ月も先だというのにアシェルの成人祭パーティーのために何かと働いてくれているそうたが、今は政務が忙しくアシェルはそれどころではない。
「許嫁と言っても立場上のものだ。それにまぁ…色々あったし、忙しかったからな」
「それはそうだけど」
そもそもミアは元は第一王位継承者である兄の許嫁であった。当然アシェルとも恋仲と言うわけではない。
政務の一端と言えば一端でもあるが祖父や兄、両親の動向。アシェルは本当にそれどころではない仕事を抱えてこの二年、ずっと駆けずり回っていた。
「でも忙しかったならな尚更、兄上とは何度も文のやり取りをしていたんだろ?猫と鴉も先んじて面識があるし、今日は私だけでも…」
「息抜きだ」
「ん?」
「俺もたまにはこうして、少し羽を伸ばしたかった」
ベンチから立ち上がって空に向かって腕を伸ばす。流れる空気が気持ちがいい。
空を見上げて眩い太陽に目を細めてから視線を落とすと、座ったままの桃里はきょとんとしてからふと吹き出した。
「そうか」
ありがたいことに今日は晴天で、半日とはいえたまにはこうして休みを取っても許されるだろう。
悪戯っぽく笑ったアシェルは桃里に片手を差し出した。
「行こうか、町を案内する」
「うん!」
ぴょこんっとベンチから立ち上がった桃里は太陽に負けない笑顔でアシェルの手をとった。
アシェルの魔法はとても優秀で、何度か言葉を交わした露天商たちには本当に二人組の青年に見えているようだった。
「あ」
兄や城への土産をいくつか見繕った頃。
食べ物をはじめ装飾品や服飾品など様々なものが並ぶ露天街を見て回ってしばらく、桃里の気を引いたのは珍しく食べ物ではなく装飾品だった。
「何かあったか?」
「あ、うん。これ使いやすそうだなって」
「バレッタか」
桃里が見ていたのは銀色の髪留めだった。蔦が楕円形を形取り所々に花を模した小さな青い石が嵌め込まれただけの、シンプルながら凝った細工の一品だ。
「お目が高いね兄ちゃん!彼女にかい?」
「ああ、いや…そういうわけじゃないけど」
「今なら安くしとくよ」
桃里はかけられた声に言葉に濁してから値札に視線を向けると、しばらく考え込むようにじっと見つめて他のもの順に見ていく。
「でも値段がなぁ。晴人からもらった小遣いでは足りないから…あ!こっちの方がいいかもしれない」
次に指をさしたのは先程の髪留めと違う、少し可愛らしい雰囲気のある花弁が多めの淡いオレンジのものだった。
「こっちか?」
「ああ。これなら似合いそうだし、私にも買える値段だ」
何やら納得した桃里にアシェルはわずかに首を傾げる。
値段はともかく似合う似合わないで言えば最初の方が似合う気がする。
「気に入ったなら俺が」
「だめに決まってるだろ。これは私が買うんだ」
食い気味に言われて少し驚くも、あれよあれよと店主との会話は続き、まいど!と言う明るい店主の声とともに受け取った小さな包みを桃里は大切そうにポケットに仕舞う。
「本当にそれでよかったのか?」
「うん。ずっと何か礼をしたいと思っていたんだ」
「礼?」
「リヴィにだ。きっと彼女の髪に似合うと思った」
桃里は、ちゃんとこちらの通貨の計算もできるようになっただろうと嬉しそうに笑った。
そういえば桃里はシルフィルドに来て早々、レオのために自分の髪留めを躊躇いなく手放していた。しかしそれに関しては桃里曰く、人ひとりに値段などつけられるものでもないらしい。
「…ありがとう、リヴィも喜ぶよ」
オリーブブロンドの髪を持つ妹には確かにオレンジ色の髪留めは似合うだろう。
しかしまさか桃里がオリヴィアへの贈りものを探しているとは思わなかったのでアシェルは少し面食らってしまった。
「桃里はよかったのか?」
「ん?」
「――いや、いい」
「?」
本当に不思議そうに小首を傾げた桃里にわずかに苦笑して、アシェルは胸元から懐中時計を取り出して時間を確認した。
「そろそろ行こうか」
「ああ。…あっ、アッシュ」
「うん?」
緩やかに歩き出したアシェルの隣に並んだ桃里はおもむろに持っていた紙袋をがさがさと漁ってから、ついと何かを差し出してきた。
「また来ような。息抜き」
そう言って渡されたのは小さな包みだ。どうやら先程いくつか買っていた菓子の一つらしい。
にっと笑った笑顔がまた眩しくて、軽い目眩を覚えながら、アシェルはそれを押し隠して頷いた。
「ああ、また来よう」




