第18話 風の一族
アシェルには三歳年上の兄がいる。第一王子、セオドアだ。しかしセオドアの母親はアシェルやオリヴィアとは違う、元は城仕えのメイドだった。
つまり第一王子は不義の子供だった。
セオドアが齢十五を迎える頃までハロルドたちは幾度も話し合いを重ねた末、やはり通例通り第一子であるセオドアに王位継承権を与えることにした(ここには代々長く続くしきたりや掟があるがそれはまた別の話だ)。
もちろんこれに意を唱えたのはエヴァだ。エヴァは古くから城に仕える魔道士の家の出で、一族の中でももっとも高い魔力と知識を持つ女だった。
エヴァの力を大きく引いたアシェルは、ほとんど魔力を持たないセオドアとは違い幼い頃からその片鱗を発揮した。
魔力がすべてとは言わないが、この国は風の女神の加護を拠り所としている。
何より正当な王妃であるエヴァは当然ながら自身の息子に王位継承権を主張した。
「エヴァはとても思慮深く聡い女だった。だがその反面、少し気の強いところもあってな」
しかしハロルドは決して彼女を悪く言いたいわけではなさそうで、むしろ印象のよさを含めた声音だった。
「…問題は父にある」
そこに重い声を挟んだのはアシェルだ。
「お父上?そういえばお母上もだけど、お父上にもまだ会っていなかった。それに兄上とやらも」
「私もまだお目にかかっておりませんね」
城に来て数日、桃里はほとんど眠っていただけだが、晴人から見ても今この国を回しているのはアシェルのように感じていたのだろう。
「現国王ルーカスは儂の長男だ。上に二人娘もいたが一人は早くに病死し、もう一人は隣国へと嫁いでいる」
ハロルドは若くして王位を継ぎ、傾いていた国を立て直すことに死力を尽くした。隣国からの脅威を払い、自国を潤すことだけに邁進した英雄だった。
政務に忙しい最中、世継ぎを残すという重大な使命も担い、一人でも男子を授かったのは奇跡にも近かった。
代々第一王子が王位継承をするという決まりがあるとはいえ、ルーカスは少しばかり頼りない印象だったという。
そんな控えめな男の元に嫁いできたのがエヴァだった。エヴァは持てるすべてを差し出し、国の助けとなっていった。
「…ついて行けなくなったのだろう。ルーカスは次第に政務から遠のくようになった。その矢先だ、メイドとの間に懐妊が発覚した」
この事実が判明したときは当然、すぐさま箝口令が敷かれた。
密談の据え、メイドの産んだ子供はエヴァの第一子とすることにして、メイド本人には多額の給金を渡して暇を出すことになった。
非道と思われるかもしれないがこれが国としての最低限の慈悲と誠意だった。
「セオドアはエヴァの元で教養を積み、魔力こそ弱かったがその才覚は十分に国王として務まる器だと思った」
ハロルドは昔のことを思い返しているのか、窓の外へと視線を移して風がそよぐ庭を見つめた。
「エヴァは少し厳しかったが、儂にはセオドアを可愛がっておるように見えていた。…故にまさか、王位に反対するとは思わなかった」
メイドの子であるセオドアには、その後に奇跡的に生まれたアシェルやオリヴィアと同様の環境と教育が与えられていたし、何よりそれを望んだのはエヴァ本人だ。
「母は変わられた。兄が王位継承権を得てから政務よりも魔法の研究に没頭する時間が増えた」
「つまり若様もハロルド様もお母上が蠱毒を作ったと?」
「…あれの立ち位置としては儂ら親子や、セオドアの存在が許せないとしても致し方ない話だ」
その言葉にアシェルは拳を握りしめた。
「セオドアが産まれた後のルーカスを思えば、アシェルとオリヴィアが生まれたのはほとんど奇跡に近い。けれどやはり母親として、他の女が産んだ子供より我が子が愛おしかったと言うのも…わからない話ではなかろう」
それはそうなのかもしれない。実際、母が何を考えていたかはわからないが、アシェル自身は兄を慕っていた。腹違いだということは幼い頃に既に悟ってはいたことだが、それでも兄であることに代わりはなかった。
まさか母が兄を疎ましく思っていたなど思いもよらなかったアシェルとしては、酷く裏切られた気持ちになったのだ。
「そんなわけないだろ」
重たい空気の中、あっけらかんと言ったのは静かに話に耳を傾けていた桃里だった。
話を聴いていたはずなのに、彼女は呆れた面持ちで髪をかきあげた。
「その兄上とやらは今どこにいる?」
桃里の質問に一瞬考えてから応えたのはハロルドだ。
「セオドアは城の外にいる。ここにいては危険と思い、信用できる場所においている」
「やっぱりな。まさか幽斬り丸が結界になっているとも思わずに逆に城から遠ざけたというわけだな」
そこではっとアシェルが目を見開いた。
「兄は健在だ。少し前にも…桃里と会った日にも、俺は兄に会っている。変わった様子も特になかった」
だろうな、言ってから脚を組み直した桃里はまっすぐアシェルを見据えた。
「お母上も当然、兄上の不在は知っているんだろう?なら何も起こっていないのは不自然だ。だったら答えは出てる」
そう、セオドアはもう二年もここを離れている。
桃里は静かに立ち上がると窓際へと歩み寄りそっと窓を開いた。ふわっと暖かな風が流れ込んで、黒髪がたおやかに流れた。
「確信はない。でもお母上は違う。少なくとも私は、そう思う」
思いたい、とも取れる桃里の言葉に二人は静かに頷くしかできなかった。
ハロルドを気遣って休憩にしようと言った桃里は庭にいた猫を呼びお茶の用意をさせた。
「はいにゃ!」と元気な声がしてしばらく、部屋には温かいお茶と焼き菓子が出された。どうやら桃里が眠っていた間にこちらの料理も覚えたらしい。
心を落ち着かせる柔らかい香りのお茶で唇を潤わし、他愛ない雑談をいくつか交わしたあと、桃里はことりとカップを置いた。
「まぁそういうことだ。兄上には戻ってもらった方がいいだろう。アッシュはあの勾玉があるからいいけど、兄上やリヴィは城からあまり出ない方がいい。出かけるなら私たちの誰かが一緒の方がいいだろうな」
そこまで言ってから桃里がはたと目を瞬かせる。
「ごめん、差し出がましいことを言った。これはアッシュたちの問題だ」
話を聞いてつい関係者の顔をしてしまったが、桃里たちはいっときの滞在者にすぎない。
父がどういった目的で桃里を送ったかはともかく、余所者だということをすっかり失念してしまっていた。
「そのことだが」
ばつが悪そうに視線を逸した桃里に、穏やかな声をかけたのはハロルドだった。
「桃里さえ良ければしばらくこの城に滞在するつもりはないかい?」
「え?」
ハロルドは自身の萎えた手を持ち上げてそっと側に座る桃里の髪を一房撫でる。父ほどたくましいわけではないが、安心感のある大きな手だった。
「儂はこの様で、そもそも一度は死んだ身だ。しばらくしたら姿を変えて呪いの根源を探そうと思っている」
「それは危険だ」
食い気味に言う桃里の頭をぽんぽんと撫でてから、ハロルドはアシェルの方をちらりと見ると、再び彼女に視線を戻し皺の刻まれた目尻を下げた。
「正直に言うとそなたの父の望みは儂にもわからない。その上で申し訳ないが…もうしばらく儂らに、この国に力を貸してほしいのだ」
願ってもない話だった。父の意図もわからぬまま、なによりせっかくアシェルとも友になり、オリヴィアとも仲良くなれたばかりだと言うのに。
ようはまだ、離れ難いと思っていたのだ。
「ご祖父上とアッシュがそれでいいなら」
私も助かる、と桃里は頭を下げた。黒髪が遮る奥にある瞳は少しだけ喜色を浮かべていた。




