第16話 鬼の娘と氷の王子
オリヴィアが用意したのだろう、淡い黄色のワンピースを纏ったトーリを伴いアシェルは禁苑を訪れた。
いつか彼女にも見せたいと言ったあの景色にはまだ程遠いが、荒れ果てていた庭は見違えるほどに整えられていて、その変わりようにトーリも感嘆の声を漏らしている。
花の手入れはオリヴィアとカラス、そしてレオが手伝っていた(本来王家の者以外は入れない禁苑にこれだけ部外者がいるのは初めてだが、ここの所有者はハロルドなので彼がよしとすれば問題はない)。
ハロルドの呪いを祓ってから一週間。その間、通常の政務に呪いの事後処理と忙しくしていたアシェルが、トーリと顔を会わせたのはあの日以来だった。
「体はもう大丈夫なのか?」
風に揺れる小さな白い花を物珍しそうに見つめるトーリに、アシェルはそっと声をかけた。
「うん、お陰様ですっかりこの通り。何度か部屋へ来てくれていたらしいのに…会えず仕舞いですまなかった」
政務の合間を縫って何度か様子を見に訪れてはいたが思ったより疲弊していたのか、眠っている方が多かったトーリとはタイミングが合わずにいた。
「いや、元気になったならそれでいい」
「まぁ少し鈍ってしまったけどな」
豪快に肩を回したトーリにアシェルは瞬き、ついでおかしそうに剣を交える仕草をする。
「なら少し落ち着いたら肩慣らしにひとつお相手願おうか」
「ふうん。もちろんいいけど、私は強いぞ?」
「望むところだ」
言ってからふっと、どちらともなく吹き出して笑う。
ここに来てから緊張したような表情しかしていなかったトーリから洩れた笑顔は年相応に眩しくて、アシェルはアイスブルーの双眸を細めた。
「そういえば気になっていたんだが」
「うん?」
「トーリの髪は魔法…、呪術か何かで染めているのか?」
とりとめない会話を交わしながら小道をゆっくりとした足取りで歩く。
アシェルより頭一つ分低い位置にあるトーリの流したままの黒髪を横目で見下ろし、しかし言ってから踏み込んだことだったかと少し後悔する。
「これは生まれつき」
「生まれつき?」
しかしトーリは気にした風もなく自身の髪を一房指に絡めて軽く梳く。
「もう知ってると思うけど私の父は鬼で、母は人間だからな。人と鬼とどちらの容姿も持ってる。普段はこれで、力を使うと紅くなって爪や歯が伸びる」
それから、と足を止めて、とんとアシェルの額を指先で小突いた。
「角もな」
子供の頃から隙がないと言われてきたアシェルは、するりと触れてきた細い指に思わず目を見開いて額に自分の手を当てた。
「晴人が言うには母の術で人の姿を優先させられているらしい。子供の頃はなんでわざわざそんなことをしたのかと思ったけど、この国に来てこっちの方が都合がいいと理解したよ」
アシェルの様子に気付いた風もなく、故郷ではほとんど人里に行かなかったからと自身の話を続けてくれるトーリに、今更かなり気を抜いていたことを自覚する。
「…これからもっと、訊かせてくれるか?」
気を張って、感情を押し隠し続けていた"第二王子のアシェル・ド・シルフ"とは違う、ただの"アシェル"として自然と出ていた言葉だった。
「もちろんだ。その代わりアシェルの話も聴かせてほしい。それにこちらのことも」
「ああ、いくらでも」
「…ならその、ついでと言ったらなんだけど、頼みがあって」
どこか嬉しそうに笑ったトーリはおもむろにアシェルの前に回り込むと、伺うように顔を覗いてきた。
不意打ちと言っていいその仕草が今まで見てきた彼女とはあまりに違い、不覚にもどきりとしてしまう。
「…アシェルがよければその、私の友達になってくれないか?」
正直に言うとあまりにも可愛いそのお願いに、アシェルは思わず顔を覆って視線を逸した。
「向こうでも"友達"というのがいなくて…アシェルは歳も近そうだし……あ、いやでも、もちろん駄目ならいいんだ。おまえは偉いやつみたいだし」
俯いてしまったアシェルに気を悪くしたと思ったのか、トーリは珍しく慌てたように身を引いた。
「私みたいなやつが友達なんておこがましいのは百も承知で…」
「駄目じゃない」
「駄目だよな……え。駄目、じゃないのか?」
今度はきょとんとする瞬く少女、こんなにも目まぐるしく表情が変わる子だったのかと思う。
この短い時間でこれほど振り回されている自分に何とも言えない気恥ずかしさを覚えつつも、アシェルは右手を差し出した。
「考えてみたら俺も友達と呼べる相手はいないから正直よくわかっていないけど、それでもよければ喜んで」
「…ありがとう、アシェル!」
花弁がほころぶような笑みとともに握り返してくるトーリの手は、自身のそれに比べてずっと小さい。
「アッシュでいい」
「アッシュ?」
「親しい者はみんなそう呼んでいるからな」
例えこの手がいずれ離されることになろうとも。
「アッシュ、」
「ああ」
「ふふ、よろしくな、アッシュ!」
たとえ一時の間であっても。肩書も身分も関係なくただ隣にいれたら。
まるで太陽のように明るく笑うトーリに思わず目を細めながら、アシェルは僅かに芽吹いた感情を胸のうちに押し込めた。
次回より一章開幕です。猫を脱ぎ捨てていく桃里たちを引き続き応援よろしくお願いします!




