第15話 さくらうつつ
夢を見た。赤い髪を乱雑に纏めたあの大きな背中は父だ。そしてその隣にいるのはおそらく、母。
顔も知らないのに母だと思ったのはその長い黒髪もあったが、何より父に寄り添うその姿がきっとそうなのだろうと思わせたのだ。
咲き誇る満開の桜の下。母は柔らかく微笑んでいて、そして父は――泣いている?
まるで桜吹雪に攫われるように母の姿が消えていく。それをただ見つめている誰かの腕の中で桃里は手を伸ばした。
紅葉のように小さい手が視界に入る。
(ああ…私はこの光景を知っている)
行かないでと叫ぶように泣く桃里をその片腕はあやすように揺らしてくれて、ふと大きな掌が頭を撫でた。
(…父さんは)
はたと目を開くと見慣れない天井があった。いったいここはどこだったか。何故か濡れている目元を擦りながらぼんやりと視線を巡らせて、弾かれたように起き上がる。
「キャッ…!」
小さな悲鳴に桃里は目を瞬かせつつ声のした方へ顔を向ける。そこにいたのは自分よりいくつか年下に思える少女だった。
「ご、ごめんなさい…起こしてしまいました」
「いや、えっと……」
「でもお目覚めになられてよかった!」
花がほころぶように微笑む彼女の手には水桶があり、どうやら世話をしていてくれたらしいと察する。
「あっ…挨拶が遅れて申し訳ありません。わたしはオリヴィア・ド・シルフと申します。アシェルお兄様に仰せつかってトーリ様のお世話をさせていただきました」
桶を机に置いてから、すっと洋服の裾をつまんでお辞儀する少女に桃里は慌てて居住まいを正した。
「オリヴィア…ここは」
「リヴィとお呼び下さいな」
にっこりと笑うオリヴィアは確かによく見ればアシェルに似た面立ちをしていた。
「お祖父様を助けて下さったと伺っています。本当にありがとうございます」
「そんな、私こそ世話をかけたようで…」
まだ幼さを残しながらも大人びた所作のオリヴィアに、桃里はまだ戸惑いながらはたと思い出して話を変える。
「そういえばハロルドはどうなった?アシェルや晴人たちも…」
「お兄様もお連れの方も元気にしておられます。それにお祖父様も。たった一日で話ができるまでになりました。猫さんのおかげです」
「猫?…そうか。よかった」
それだけを聞けて安堵すると途端に気が抜けて、桃里はぼふりと枕に背を沈めた。
猫がいるということは鴉やレオも来ているのだろうか。自分のやるべきことは終わった、後は彼らに任せて大丈夫だろう。
「お食事は取れそうですか?」
「ん…ごめん…もう少し……まだ、ねむい……」
そう言ってすぐに寝息を立て始めた桃里にはもう、何も聞こえてはいなかった。
ほぼ同時に扉を控えめに叩く音がして、オリヴィアが返事をすると心配そうなレオが顔を覗かせた。
オリヴィアから桃里の容態を聞くとぱっと顔を輝かせてから一礼しぱたぱたと走っていく。
次に目を覚ます時にはきっと元気な顔が見れるだろう。
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あの日。無情にも桃里の叫び声を掻き消すように、結界は再び閉ざされた。
「これでよかったんやな?」
「……ああ。暁緒との約束だ」
桃里たちが消えて何事もなかったかのように佇む鳥居を見つめたまま鬼は静かに紫煙を吐き、そしてようやく視線を外すとここより更に山の頂上の方へと向き直った。
「――てめぇこそ桃里たちと行かなくてよかったのか」
「行けるわけないやろ。不服にもお身内のしでかしたことや、ケツは拭かんとな」
からからと笑いながら銀治郎も自身の煙管を取り出すと、指先に灯した狐火で火をつけ紫煙を揺らせる。
「それに俺はとうに、ここに骨を埋めると決めとる。――おまえかてそうやろ?」
ふっと目を細めるさまはまさしく狐の相貌で、薄い唇の隙間から犬歯を見せて笑う銀治郎に鬼はくつりと口角を歪めた。
濃い霧に飲み込まれると途端に方角を見失うという海域から更に東の果て。
ここは神と妖と人が棲むという混沌の島国だ。
多種多様の生物が棲むその場所は常に争いを繰り返し、いつしかその生死までもが大きな環となりやがてひとつの国となった。
しかしそんな美しく力強いこの国に、不吉の影が滲み出している。
「それにしてもあのちまっこい童が立派になりよったな」
ついこの間のことのように思い出す。とてとてと、あどけない足音を立ててついて回ってきていた小さな半鬼の娘。
妖と人間の生きる尺度は随分と違う。だからだろうか、あっと言う間に大きくなった娘を見送った鬼の背は柄にもなく小さく見えて、少し可笑しかった。
「桃里は大丈夫や」
異国へ渡った小さな希望。彼らがどうか健やかな生を享受し、いずれは血を繋いでくれるようにと。
柄でもないことを願うのは自分も同じかと狐は自嘲ぎみに笑った。
「――当たり前だろう。俺の娘だ」
神と妖と人が棲むという美しき混沌の島国は、黄泉を抜けだそうとする悪意を前に緩やかに沈みかけていた。




