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第14話 深紅の鬼人

 その日見た光景をアシェルは一生忘れないだろう。


 真紅に染って靡いた髪、額から伸びる三日月のような二本の角。まるで自らの手足のように操られる小太刀。


 そのすべてが御伽話から出てきた姫君のように美しく、そして戦士のように勇ましかった。




*******




 玉座の間にはこの国の象徴たる守護神、シルフの女神像がある。


 桃里が幽鬼り丸"宵い星"と呼んだその異国の剣は、長い間ずっと女神像の手に納められていた。


 その刀が今、トーリの手に渡された。


「これが"宵い星"か……」


 感慨深そうに呟くトーリの手の中で、心なしかカタナも色艶を取り戻したように見える。


 晴人の言により走って取りに行ったイーニアスは息こそ切らしていないものの、慣れない物の扱いに緊張していたのか手放した途端に小さく息を吐いていた。


 玉座の間から宝剣が消えれば大騒ぎになる。そのためアシェルが認知を歪める魔法を使い、イーニアスの姿を隠した上で、ダミーのナイフを"宵い星"に見せかけて女神像の手に残してくるという、一歩誤れば極刑レベルの強行だった。


「扱えるのか?」


 カタナを手にしてから微動だにせずただ見つめているトーリに、アシェルはつい声をかけた。


 なぜならこのカタナは祖父が遊び半分に兵士に抜けるかと問いかけたところ、全員が敗北した過去があると聞いている。


 すると彼女はふっと笑った。


「使えないものを求めはしない」


 カタナを左手に持ち直したトーリは、おもむろに髪を纏めていたバレッタ――カンザシと言うらしい異国の髪飾りを引き抜くと、躊躇いなくそれで自らの手の甲を引っ掻いた。


「なにをっ……!」


 鋭利な先端は彼女の薄く白い肌をあっさり裂く。つ、と糸を垂らしたような赤が滴った。


 思わず目を見張ったアシェルをよそに、トーリは涼しい顔のまま血に濡れたカンザシを部屋の扉へと突き立てた。


 それと同時にハルヒトが胸の前で印を結ぶと、カンザシを中心にざわりと部屋中に不思議な文様が浮かび上がる。


「この部屋に結界を張った。これでもう逃げられない」


 よく見ればその紋様は昔、祖父の本棚で見かけた異国の文字で、これが彼らの使う術なのだとわかった。


 するとそれまでアシェルたちには見えていなかった呪いが浮き上がるように形を成す。


「――さあそれでは。とくとご覧あれ」


 芝居がかった大仰な口上で、トーリはキモノの袖をさばく。


 気づけば傷跡すらなくなっている手がカタナを持ち上げると、キンっと澄んだ鍔鳴が部屋中に響き渡った。


 艷やかな黒髪を靡かせたトーリは、重さを一切感じさせない流れるような動きでカタナを引き抜く。


 長らく手入れがされていなかったにも関わらず刃紋は流水が如く美しく、まるで薄暗い室内に登った三日月のようだ。


「イーニアス」


 言ってトーリが寄越したのはカタナの鞘だった。


「鞘だけでも十分に効果はある。お守りだ」


 アシェルを背に一歩下がったイーニアスを確認したトーリはベッドの方――祖父の元へと歩を進め、そして一閃、横に薙ぎ払うように刀を振った。


 じわり、粘るように絡みつく呪いの視線がトーリを捉える。


「蠱毒如きが」


 笑ったトーリの口角にはそれまでなかったものがちらりと見えた。それは長く伸びた犬歯、いや牙と呼んだ方が最適かもしれない。


 その間に彼女の髪は真っ赤に染まり、額からは二本の角が生えていた。


 その姿はまさに祖父が寝物語に語ってくれた、紅い髪をした鬼そのものだった。




 威嚇や脅迫ではないと悟ったのだろう。これまで祖父を呪うことだけに専念していたはずの呪いが明らかに牙を向いてきた。


 蛇のような口が不自然なほど大きく開かれて、鋭い牙が剥き出しになる。そのあまりに醜悪さに、普通なら卒倒するのも禁じ得ないだろう。


 しかしトーリはくつりと喉を鳴らすと、すらりと刀を構え直し一層深みを帯びた紅い目を細める。


 決着は一瞬だった。


 飛びかかってきた蛇とその周りから飛び出してきた百足のようなものを、トーリは一つ残さず刈り取ると邪気ごと祓うように更に大きく一振りする。


 そして一足飛びでベッドに飛び乗るや、おもむろにハロルドの首の真下、鎖骨の真ん中辺りを目掛けてその刃を突き立てた。


 途端、膿が吹き出すように瘴気が溢れる。


 音とも声とも違う、命を裂くような悲鳴が鼓膜をつんざき、祖父を突き刺すその光景に思わず息を呑む。


 しかし祖父はもがき苦しむこともなく、むしろ体中に纏っていた靄がすっと晴れていく。


 それまでの息苦しさが嘘のように軽くなり、肌にまとわりついていた不快さが消えていった。


「――この刀に人は斬れない」


 トーリは深く息を吐くと、刀を引き抜きながらベッドから飛び降りた。するとそれまで呪文を唱え続けていたハルヒトが彼女の背に寄り添い支える。


「あとは本人次第、か……」


 言いながら静かに瞼を閉じたトーリにようやく我に返り駆け寄るも、ハルヒトは特に動揺した様子もなく彼女の手から刀を抜きさった。


「幽鬼り丸はお嬢のお父上のために打たれた刀です。人間には無害ですが魔を斬ることに特化し、その代償に使い手から妖力を奪います」


 鞘を、と手を差し出すハルヒトにイーニアスがすぐにそれを渡すと、彼はトーリの体を抱えたまま器用に刀を鞘に納めた。キンっと再び小気味いい音が鳴る。


「お館様は類稀なる力を持つお方でしたから。半人前が使うにはまだ少し早かったみたいですね」


 ハルヒトの腕の中で固く瞼を落としているトーリの髪は、もう元の色に戻っていて白い肌がよりいっそう白く見えた。


 しかしすうすうと無防備に寝息を立てている彼女に、アシェルはほっと小さく安堵の息を吐く。


「ここからはあなた方の仕事ですが、必要でしたらうちの猫を呼びましょう。あれは治癒の技を心得ています」

「ぜひ頼みたい。とりあえず今は彼女を休ませないと……イーノに部屋まで運ばせても構わないか?」

「ええ、むしろよろしくお願いします。恐らく丸三日は起きないでしょうから、その辺に転がしといてもらって大丈夫ですよ」


 本気とも冗談ともつかないことを言ったハルヒトに少しばかり困惑しつつ、イーニアスは壊れ物を扱うようにトーリを抱き上げて一礼する。


「では先に参ります」

「世話はリヴィに頼んでくれ」

「承知しました」

「俺の妹だ、安心してほしい」


 次ぐ言葉はハルヒトへ向けてかけると、彼は細い目を更に細めて手を合わせて頭を下げた。


「お心遣い感謝いたします」

「礼にはまだ早い。あなたにはまだまだ頼ることがありそうだから」


 目元が落ちくぼみ頬はこけてしまっているものの、死相の出ていた顔は少し楽になったようで、悲鳴のようだった呼吸も落ち着いたものになっている。


 穏やかに眠る祖父を、アシェルは微かに熱が滲む瞳で見下ろした。




*******




 バチンッと爆ぜたような音と共に割れたのはガラスの小瓶だった。


「なんてこと……いったい誰が……」


 割れたのはなんの変哲もない香水瓶だった。しかし机に滴るのは赤とも紫ともつかない不気味な液体と、それに染まったぐちゃぐちゃの髪の毛のようなものだった。


「あの呪いが破られるなんて」


 するりと髪が落ちた額にはうっすらと青筋が浮かんでいる。ぐじゃり、と歪に細い指が液体の中のものを握りしめた。


「……るさない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」


 硝子片で皮膚が裂けるのも厭わずに、両手でぐちゃぐちゃと髪を千切り低く呟かれる言葉はまさしく呪詛だ。


「……絶対に許さない………」


 ブツリと音がなり、ぽたぽたと落ちた血がテーブルの液体に滲んでいった。

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